清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

- 王子 と 浮間 -

2010年08月22日 | 常住寺 行事 できごと 家族

本日8月22日は甲お講と乙お講が一席づつ奉修されました。

甲お講は王子教区。

席主のお母様の、17回忌を併修。

また、闘病平癒のご利益をいただいて元気になったご家族もお参詣されました。

元気になられた姿を見るとやはり、とても嬉しく思います。

乙お講は浮間教区で奉修です。

席主は、昨今率先してご奉公されるようになり、ならば婦人会常任入り

しませんかと問うたところ「させて頂きます」とのご返事がありましたので、

年度の途中でしたが、本日辞令を下付いたしました。

また、お席では親子三代が顔を揃え、小学生と幼稚園に通うお孫さんは、

照れながらもとても元気にごあいさつしていました。

それぞれのお講席で、それぞれの喜びがあり、ありがたく一日を過ごせました。


- きゅうり と マヨネーズ -

2010年08月20日 | 学び ・ すすめ

昨日の朝食でキュウリのスライスが出ました。

ボクは、これにマヨネーズをかけて食べるのがスキです。

あんまり美味しいので、「みんな、きゅうりとマヨネーズは合うね!」と

言いましたら、子どもたちも「ウン!ウン!合うね!」とのご返事です。

たったこれだけのコトですが、美味しいゴハンと楽しい会話で、とても幸せな

ひとときとなりました。

このように、同じ感覚を家族で共有したいと思いますし、もっと広げますと、

同じ信仰心を共有したい。

仏さまの「み教え」を、そっくりそのまま頂く。

先師上人・恩師の「み教え」を、そっくりそのまま頂いてご信心に励む。

そして、「きゅうりとマヨネーズは合うね!」と同じように、

「ご信心ってありがたいね!」という、同じ信心前で歩んでいかなくては

ならないなぁと思うワケです。

一器の水を一器にうつすが如く、み教えを頂く。

我が思いを交えずに、純粋な信仰心の元にみんながスクラムを組んでいく。

子どもたちと楽しく過ごしながら、キュウリを美味しく頬張りながら、

こんなコトを考えていました。

【御教歌】

上葉より 下葉に露を ゆづるなり    蓮(はちす)花さく いけの夕かぜ


- こころざし -

2010年08月08日 | 学び ・ すすめ

先日のお講席でのコトです。

席主の方は半身が利きません。ですから、お席を受ける時はいつも、奥さんが全てをきりもみされています。よくなさる奥さんで、余所に苦労を見せるコトなくタンタンと、長い年月ご主人のお世話をされています。ご主人もお講席をお受けするのが楽しみで、とてもスローですが、自分でできる範囲のコトを積極的にこなしていきます。

お布施のご挨拶の時、1メートルほど離れた机の上に置いてある切手盆(お布施をのせる長方形のお盆です)を取りに動きました。

ゆっくりゆっくりと動きます。

30~40秒ほど静寂が続き、お布施を手にして導師座の前に到着しました。座るのにも一苦労すると思われたので『そのままの姿勢でご挨拶下さい』と申そうとしましたが、立ったままでもなく、イスに腰掛けるのでもなく、キチンと正座をして両手をついて、お布施のご挨拶をされました。

正座してからのモーションはとても丁寧でした。篤い志し溢れるご挨拶のお姿にジーンとなり、思わずこちらの頭が下がる思いでした。

人は心。 そんな言葉が頭をよぎりました。 篤い信仰心のなせるワザでしょう。 

長瀬さん。どうぞこれからもご夫婦仲睦まじく、一層お元気でいらっしゃいますコトをご祈願申し上げます。 御供養はおいしく頂きました。 とても暖かい思いで、お講席をあとにしました。 合掌。


- 東京都北区における戦災の記録 -

2010年08月06日 | 生活圏 関東 東京都 北区

昭和20年8月10日。B29など150機が飛来し、地元・北区を空爆した。死者152名。重傷者144名。

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空爆によって死亡した100体を超える遺体は常住寺に集められ、ひとまず境内に土葬され、後に神谷公園にて荼毘に付されたという。

その時、常住寺第二世権大僧正・日泰上人は、無数のご遺体の安置・埋葬に追われた。考えてもみてほしい。近隣が爆撃を受けた。境内には、ついさっきまで井戸端会議をしていたご近所の方々ばかりが、見るも無惨なお姿で息絶え、横たわっているのである。なんと辛く悲しい事か、想像に難くない。そして日泰上人とお弟子方々は、いつまた空襲されるかも知れない状況の中にあっても、有志で、遺体の安置埋葬と死者の回向を勤め続けたと聞く。

下記の文章は、地元・北区が空爆された時の戦災殉難者の記録である。本日8月6日。広島に原爆が投下された日に、8月10日に常住寺で奉修される「戦災殉難者・慰霊言上式」に先駆けて、北区の史実を調べて一部を選び記事をアップした。

【北区における戦災の状況 (総務省・HPより)】

北区域に対する最初の大規模な空襲は、昭和20(1945)年2月19日午後2時40分からのもので、王子区豊島地区にかなりの被害を受けた。

『新修北区史』は全壊60戸、半壊66戸、焼失戸数99戸、死者29人、罹災者は1128戸としている。さらに2月25日午後2時すぎにも空襲を受け、滝野川区で死者1人を出した。3月4日の空襲でも、滝野川区で死者14人の被害を受けた。3月10日の東京大空襲でも、余波を受け、30人が罹災し、14戸が焼失したほか、荒川区等からの罹災者を寺などで保護した。

4月12日にも空襲があったが、翌13日夜から14日未明にかけての空襲は、北区域最大規模のもので、王子・滝野川両区の広い範囲にわたって甚大な被害が出た。200人以上の死者、800人以上の負傷者を出した。王子区では、区役所や陸軍兵器補給廠等の官公署、王子製紙や日本フェルト等の民間工場が焼失した。滝野川区では、低地部で大きな被害を受けた。

この空襲の状況を「下十条国民学校建物焼失顛末書」で見ると、下十条国民学校の被災の状況は以下のようであった。

4月13日午後10時40分の警戒警報に続き、空襲警報が発令され、間もなく王子区の低地南方から荒川筋へ焼夷弾が投下された。校長以下の特設防護団員が詔書を背負い、重要書類を持ち出して防空壕の中に埋め、校内を点検した。すでに堀船、王子、東十条方面は燃え上がっており、14日午前0時30分には通学区域内の岸町に数百発の焼夷弾が投下された。その後、午前1時をまわって、学校内にも焼夷弾が投下され、そのうち消火が間に合わなかった理科室から燃え上がって、ついに校舎は全焼した。周辺は火の海であり、校庭には、周辺から避難してきた人々が続々と押し寄せた。(下記の絵画は、堀船国民学校が空襲で全焼する様子の描写。)

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5月25日夜の空襲では、「じゅうたん爆撃」を受け、王子区では883戸が焼失、死者10人を出し、滝野川区では23戸が焼失した。さらに、敗戦まであと5日という、8月10日には、朝からの空襲警報のなか、B29など150機が飛来し、北区域は死者152人、重傷者144人を出した。

さて、私が子供の頃の昭和40年代前半。線路のむこう側にある十条仲原地区には、戦時下を連想させるかの如き風景が未だ残っていた。あかつち山とドングリ山の間には、旧・国鉄の職員舎跡が廃墟となって残存しており、山の手の麓には防空壕の跡らしき横穴が数カ所空いていたのを思い出す。現在この土地は、「清水坂公園」という公園になった。地の利を活かした、高台からの見晴らしが良く、水と緑に囲まれた、素晴らしい場所に生まれ変わっている。

軍都と呼ばれていた北区は、終戦から半世紀をかけて力強く復興を果たし、そして更に大きく変貌を遂げた。旧・岩槻街道に沿って西側に集中していた軍用地は、公団住宅や野球場、全世界からオリンピック選手が集まってスポーツを科学する施設や国立競技場、学校や公園図書館などが立ち並び、都心の中でも緑が多く暮らしやすい住環境が整っている地域と言えるであろう。

豊かな国日本。愛する北区。

8月は終戦記念日の月である。この暑い季節を迎えて常住寺は宣言する。

平和と発展を祈念する意味に於いても、日々戦災殉難者等の追善回向を志し、愛する地元の御弘通教化のご奉公を以て地域を利益せしめ、地域に貢献する活動を貫いていく所存である。


- 納涼の集い -

2010年08月01日 | 常住寺 行事 できごと 家族

本日8月1日は『夏期参詣の御礼参詣日』です。また朝参詣終了後に、『納涼の集い』 が開催されました。

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屋台は7種類。 

①焼きそば。②たこ焼き。③焼き鳥。④フランクソーセージ。⑤わたがし。⑥ポップコーン。⑦かき氷。

その他、みつ豆やところてん。スイカも出回ってました。 なかなか豪華な品揃えです。

ご信者さんのお子さんお孫さんも多数参加でした。また、ご近所さんも4~5家族が参加下さいました。

今年の夏期参詣は子どもたちのお参詣が目立ちました。さいとう局長のお孫さん。

さかいさんはおじいちゃんおばあちゃんとお孫さん二人で皆参です。

近所の子どもたちは、一番多い日で16名のお参詣でした。

王子小から、けんちゃん親子も駆けつけて下さいました。保育園からの友だちです。

暑い日となりましたが、笑顔と笑い声のひびく、楽しい一日でした。

最後に、婦人会さん始め、教養各会の皆さんには、ご奉公ありがとうございました。