去年は2人。今年も早や2人の友だちが、常住寺の所属信徒になりました。きっかけは殆ど、ご両親のどちらかを亡くされたときにご縁を得ました。
その内の一人は、他の友だちにも声をかけてくれています。仏教用語でいう「お教化」を、しているかのようです。
「お前んところも、ここの納骨堂に入ればいいじゃんか。」「近いし。」「やっぱ、安心だよ。」「安いしなぁー。」
「遠くじゃ墓参りも行けねーだろ。たまには線香の一つも供えてよっ!」
「毎月700円だから、お寺にきて納めて。」
「なっ!」
「何ヶ月分かまとめてでも大丈夫だから。」
「ほら、ここの玄関から入って、ここで納めればいいから。」「おやじも、おふくろさんも、きっと喜ぶぞ。」
「なっ!」
こんな感じです(笑)。
教えを深く聞いたワケではありません。ただ、両親への孝行と、仲間への深い慈しみを感じます。
本人は、ほとけさまの教えを知りませんが、その一番コアな部分を実践しています。おもしろいモノです。
この友だちは、大勢の同級生の内情を知っています。聞いていると、それは、興味本位で知りたがっているのとは全く違います。
地元の仲間をとても大事にしているのです。
それは丁度、町内会の役員さんが、町内の隅々まで熟知していて、町の平和を守って下さっているのと似ていると感じます。
余計なことは言いません。でも、いつも心配しているのです。
そして、時には身銭を切って助けていますし、ちょこちょこ声を掛けたり、電話したり、みんなの不安を取り除くような活動をしています。
やつは、中学の時には、いわゆる不良でした。いまでもそうかも知れません。でも、めちゃくちゃ人がいい。
「お坊さんに向いてるな。」やつに、そう言ったことがあります。
驚いた顔をして、「おれが~?冗談いうなよ!」と言ってましたが、ボクはまんざら冗談ではありませんでした。
ただ、坊さんになるには、やはり、幾つもの高いハードルがありますが。。。
18歳のころ、同級生が2人亡くなりました。一人は白血病で、一人は事故でした。
ボクは、その二人のことを、いつも考えていました。「やちらの魂は、いま、どこへ行ったのか。」と。
事故現場はお寺から歩いて10分くらいのところです。そこを通る時にはいつもお題目を唱えています。
ある日、ふと思いました。「ボクは、いま、なんでお題目をお唱えしているんだろう」と。
そんなことは決まっています。亡き魂が浮かばれますようにと思ってお唱えしているのです。
ところがある日、自分は怖いんじゃないか?と思うようになりました。
亡くなった魂に引かれて、自分もどうにかなっちゃうんじゃないかと、おびえているだけなんじゃないかと思ったのです。
自分の心の内ですからウソはつけません。「そうじゃない!」と打ち消そうとしても、「やっぱり、怖いんだろー。」と、自分を責める自分がいました。
ボクは坊さんです。そんな風に思ってお題目をお唱えしているなんて、本当に坊さん失格だと思いました。
そして、亡くなった同級生二人のご回向を、キチンとさせていただこうと考えました。しかし、命日も覚えていません。そんな体たらくです。
ですので、毎年、新学期がはじまる4月2日に、いまは亡き友だちの回向をさせていただこうと決めました。
この時から、日々の、自分のお看経のときには、友だちのご祈願と、亡き友だちのご回向を心がけるようになりました。
先述の友だちは、事故の当日、本人といっしょにいました。事故の瞬間はいっしょにいませんでしたが、その前後の様子をよく覚えています。
ボクはずっと、まだ10代で、やりたいことも、酸いも甘いも経験せずに亡くなった友だちが不憫でなりませんでした。
しかし、やつはやつなりに精一杯生きていたことを聞きました。とても具体的に。
亡くなったのは悲しいのですが、それを聞いて少し嬉しくなりました。40年ちかくあった心のつかえが少しとれました。
去年から4月2日のお塔婆が増えました。この「無意識にお教化している友だち」が、いっしょにお供えしてくれているのです。
常住寺のご宝前には、ご本尊さまの正面に2つのお三宝がお供えされています。
ひとつは「入信書」で、もうひとつは季節によって違いますが、2月~3月は「お彼岸のご回向申し込み」です。
昨年、やつが入信書を書きましたので、お供えしました。となりには多くのご信者が申し込んだ「お彼岸のご回向」がお供えされていました。
偶然にも一番上には、やつが昔付き合ってた彼女が申し込んだご回向がお供えされていました。もと彼女は、うちのお寺の3代目のご信者です。
時を経て、ご宝前の御前にて、二人の名前が並びました。隣り合わせたのは全くの偶然で、なんだか不思議な気持ちになったものです。
いま、多くの同級生と会う機会に恵まれています。楽しいひとときです。
学生時代、毎日いっしょにいた仲間たち。連れじゃないけど、時折遊んでたやつら。
中学のときにはほとんど会話しなかった同級生も、いま、40年ちかい時を経て、同じテーブルで談笑しています。
活躍してるやつ。年をとったのに、当時よりもいまの方が俄然、めっちゃ美人になったのもいます。
いろんな内情が飛び込んでくる。人生っておもしろいなぁって思います。
そんな集いに、ボクはいつも、坊さんとして参加しています。
表面には出しませんし服装もラフな着こなしですが、どんな場面でもずっと、ボクは坊さんとしてそこに居ます。
そして、やつと同じように、いつもみんなのことを祈っています。今朝もご祈願させていただきました。明日もです。
願わくば。ご法さまのおはからいをいただき、多くが救われていきますように。そう、願ってやみません。