おん1【恩】
[1]他の人から与えられためぐみ。いつくしみ。
[2]封建時代、家臣の奉公に対して主人が領地などを与えて報いること。
[3]給与。手当。
恩の主より情けの主(しゅ)
恩を受けた人よりも情けを受けた人の方をありがたくおもうものである。
人は情に感ずるものであるということ。
(大辞林・大辞泉より)
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「人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん」
(唐の時代。太宗皇帝・李世民の重臣、魏徴の言葉。)
人生なんてのは意気に感じるもの。
功績や手柄などというのは誰か人が語ってくれ。
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凡夫の目線では、取りこぼしてしまいそうな思想だ。
恩情に報いるコトができる人でありたい。
もうすぐ、十条連合の顔だったKさんの一周忌を迎える。
亡くなる少し前に引っ越して、写真の正面奥に見える団地に住まいしていらした。
(国立競技場・右 と 赤羽商業高校、交通機動隊施設・左)
(国立競技場は、Jリーグの試合もあるらしい。)
北区は戦時下、軍事施設があちこちに建ち並んでいた地域である。
戦後、その土地は自衛隊の所管になったり、学校や国立競技場になった。
(オリンピック選手専用の施設。ここも昔は軍隊の土地だったらしい。)
しかし多くの跡地は団地となり、昭和30年代からあちこちに、
巨大な団地群が建設された。
現在、その団地が老朽化し、建て替えや補修作業が行われている。
その際、別の団地をあてがわれて、引っ越しを繰り返すことになる。
十条のKさんは、亡くなる2年くらい前に、赤羽・西が丘の団地に越した。
住み慣れた環境と別れを告げたが、新しくて広い間取りを喜んでいらした。
いまは妹さんが跡を継いでいらっしゃる。容姿はお姉様にそっくりだ。
どこでも、当時新婚で団地に入居した夫婦が、いまでは70代80代の
高齢者となり、子供は自立して、団地内の過疎化が進んでいる。
団地の居住権は、次世代へ相続できないらしい。
また、できたとしても二世帯・三世帯では狭くて住めないハズである。
ボクが子どものころ、団地には大勢の同級生がいて良き遊び場だったが、
いまは静寂に包まれている。
人々の半生を見とどけ、そして老朽化して立て直される。
いま北区の団地群は、そういう時期を迎えている。
東京の佛立寺院は、戦前戦後に建立された所が多くある。
本寺から独立して寺号公称した輝かしい時代。
それから60年ほどの歳月が流れた。一代法華では申し訳がない。
2月20日。午前中は別院の甲お講を奉修。
午後は、takahashiさんの結婚式が、本堂にて挙行されました。
別席は赤羽にて。夕方は支庁協議会。
結婚式は二ヶ月前から準備を始めて、無事に執行できました。
泰信師が出座。局長夫婦と十条連合のみなさん、
寺族・千鳥会と寺務所の職員でご奉公させていただきました。
写真班は入山さん。みなさんありがとうございました。
披露宴は本年・秋に行われるとのコト。ホントお幸せそうなお二人でした。
奥さんは先日、懐中御本尊を護持されました。
お講席デビューも済ませ、みなさん喜んでくださいました。
また、浮間のご信者さんに赤ちゃんが誕生しました。二人目のお子さんです。
お会いする日を、いまから楽しみにしています。
本日・21日の朝には、結婚の御礼と出産御礼の言上が上がりました。
2月20日の、花前お導師の御七回忌ご正当に、二つの嬉しい御祝いがありました。
お導師。常住寺も、なんだかんだでにぎやかです。
2月20日 宇都宮・常照寺 第5世御住職
僧正・天翔院日悠上人 御七回忌ご正当をお迎えした。
22世講有日慶上人が乗泉寺住職となられて、
平成8年より花前日悠お導師が宇都宮住職にご就任された。
小僧は平成10年度、宇都宮でご奉公させていただき、
大変お世話になった。
お導師の奥様は出向のお教務全員に、三度の食事を全てご用意下さった。
なかなか出来ることではないと思う。
どれもとびきり美味しかった。いまも忘れられない。
当山(常住寺)第二世権大僧正日泰上人は
昭和18年~昭和40年に日慶上人に継承されるまで、
宇都宮・常照寺を兼務されていた。
その間、栃木常法寺、足利常行寺、桐生常薫寺、館林常信寺、
以上の4ヵ寺を建立された。
小僧が宇都宮へ出向させていただけたのもそんなご因縁によるものか。
当時、宇都宮で得度したお弟子方は恩師のおわす常住寺へと
所属替えをし、後世になって末寺の住職に就任したり、
現在も常住寺でご奉公されてるお教務さんもいらっしゃる。
小僧は宇都宮が大好きであった。出向してすぐに、そう思えた。
生まれて初めての土地だが、どこか懐かしい感覚があり、
とても見知らぬ地に来たという風に思えず、浅からぬご因縁を感じた。
時が経つのは早いもので、もう御七回忌である。
常住寺でもみんなでお塔婆を建立させて頂いたが、
世田谷別院の御墓所にても、お看経させていただく予定である。
合掌。
3月3日(土)夕方5時半から、子どもお話し会を行います。
2月はインフルエンザが流行してたので、やむを得ず中止となりました。
3月3日(土)は予定通り開催します。
(一部、3月4日とごひろうされてましたが、間違いです。)
4月の新学期で、年長の学年は6年生になりますね。
そろそろ思春期をむかえる子どもたち。
勉強やスポーツで、一週間の予定が一杯な子もいますね。
視野が広がり、いろいろなモノに興味を持つでしょうし、
恋をしたり、大志を抱くなど、希望に輝いた時期となります。
そんな中でも「やはりご信心が大切だから、参詣口唱に励んで行きたい」
という感覚をしっかりと身につけてほしいと、願っています。
お看経があがれば、かならず素晴らしい未来が待っているぞ!
【メールは嘘つきの始まり】 こんなタイトルのコラムを読んだ。
ぺろっと簡単に嘘が飛び出す、それがメールだ。「 ごめん!体調悪くてデートキャンセルになりそう 涙 」 とか 「 急用で行けなくなっちゃったよ 」 とか 「 寝ちゃってて終電のがしたよ、今日行けない。」 とか、そういうメール全部嘘かもしれないんですって。 ...泣いていいですか?(以上、本文)
【御教歌】
法の友 同じ こころの まじはりは いつはりがちの ふるまひなせそ
自分の思い通りにしたいためにウソをついたり、いかりやねたみ、ズルい心からウソをつくようなコトはつまらない。
自分本位の目線より、ご法第一と考えてゆけば、自ずとウソはなくなるモノだ。
いや、無くならなければウソである。
ご法のためにという心が高まって、凡夫のおろかな思慮が、尊いこころへとうつり変わっていけるように、日々タンタンと、お看経させていただかなくてはならないなぁ。
先日、船橋市のご信者宅で、甲お講を奉修させていただいた。
また、2歳で亡くなったご長女の37回・併修。
ご自宅では、家族全員(ご夫婦と次女)でお迎え下さった。
娘さんの年齢は20代後半とのこと。
心身共に、深い悲しみを乗り越えんと過ごされたであろう歳月。
そして7年後に、新たな希望の生命が誕生された。
目の前には、そのご令嬢が佇んでいる。37回忌。長い時間の流れである。
ご長女の写真はありますか?と聞くと、大事に保管されているアルバムを見せて下さった。
可愛らしい、本当にかわいらしい姿が、納まっていた。
美男美女のご夫婦も写っている。とても幸せそうな写真ばかりであった。
「亡くなったお子さんは、いまごろどうしているんでしょうね。」
回向の功徳が、故人に届くことを伝えたくて、こう切り出した。
お看経で頂いた功徳は、たとえ生まれ変わっていたとしても故人に届くと教わっている。
ならば、会うことは叶わないが、お看経が楽しみになる。
そんな時ふと考えた。
小僧はいま44歳。自分の前世は何者だったのだろう?
もしや、前世のボクの50回忌とかを、その家族が営もうとしているかも知れない。
そう想像すると、何だか嬉しく思った。
前世での家族と、どこかで体面しているかも知れない。可能性はある。
クレームを聞いてくれた業者の人かも知れない。
ウマの合わない同僚かも知れないのだ。
そして、だから、誰にでも、思いやりをもって接していかねばすまぬと思えた。
「袖ふれ合うも他生の縁」なのである。
ん?待てよ。
佛立の、本門のお題目以外でご回向されてたらイヤだなぁ~。
だから、一人でも多くの人に、お題目の有り難さを伝えよう。
本日・2月11日(祝)
光隆寺・立川別院において、東京中央布教区・前期弘通促進大会が開催された。
大会参詣人数は管内11ヵ寺に割り当てられ、毎々教講あわせて、300名の代表参詣である。
今回のご講演は、光隆寺御高職・亀井日魁上人より、門祖聖人についてお話しを賜った。
「お祖師様のご尊像は、法をお説きくださるお姿。門祖聖人のご尊像は、高祖のみ教えを頂戴するので合掌をされていらっしゃる。」とのお言葉に、なるほどという声に等しい、聴門される教講の吐息がきこえてきた。
300名が一斉に放った微かな声は一つになって、本堂中に、やんわりとそして大きくこだました。
その音声は、終始聴衆を魅了して已まないご講演だったコトを、象徴するモノだったと思う。
昨年度の弘通表彰は、布教区長・柴田日賢上人から各寺院へ、それぞれ下付賜った。
御利益談は、蒲田妙泉寺のご信者の体験談が発表された。
信心改良して精進する様が目に浮かぶような活きた文章であった。
代読であったが、語り手の臨場感あふれるごひろうの仕方が、更にご利益談を尊く盛り上げたと思う。
昼食の時間はご供養場をぶらついて、各寺院のご信者方々と会話するコトにしている。
今日は一階のホールにおじゃました。
ふとカベを見ると、なにやら見慣れた文言が大きく張り出されている。
ウチの、婦人会常任・お役心得を写したモノである。
これは、【鎌倉顕証寺婦人会の言葉の誓い】をまねて、3年ほどまえに小僧が作文したもので、
原文は、鎌倉の先住・日湘上人よりご教導賜ったものであると聞いている。
写真をご覧の通り、最初の二箇条は他の項目と、ことばの言い回しを若干変えてある。
「笑顔の人」 と 「あいさつができる人」から、お役をさせていただけます。(いただくコトができる)
こういう出だしで誓いの言葉が始まる。他は「させていただきます」である。
ねらいは、お役は御宝前から頂戴するものであり、
御法様のお使いとしてご奉公させていただくという精神・信心前を忘れてはならないという処にある。
すなわち、我慢の戒めであり、「させていただく」という精神の発露である。
こういう形で誓いの言葉を読み返したとき、あらためて「義は強くことやはらかに身を下る」という
不軽菩薩のご信心を意識した。
そして、小僧は王子の土地にあって、小石のごとき存在でありたいとねがう。
今日の大会は、布教区長・柴田日賢上人、光隆寺・亀井日魁上人、
そして各寺院のお導師方々の御徳を頂戴して、
各位のご弘通意欲の高揚に役立つ行事となったと思う。無事ご奉公成就と言えるであろう。
明日からは、この勢いを常住寺で活かさなくてはならない。
昨日、あまのさん宅で甲お講を奉修させていただいた。
パパちゃん(ご主人)は90歳を超えており、現在は地元の病院に入院している。
このお講席に、ご近所のご信者さんでない方がお参りされた。
ウチのがPTAでお世話になってる方で、席主とは、そのお姑さんが友だちである。
二人でつるんでお誘いしてきた。
長年の付き合いだが、ご信心の場面でごいっしょするのは初めて。
席主の奥さんも、たいそう嬉しかったと言ってらした。
お講の最後に席主の奥さんよりごあいさつがあった。
「みなさん。今日は大勢のお参詣、ありがとうございました。」
「昨日パパちゃんのところに行って、明日甲お講だからね。」
「パッパちゃんに代わって、お席お受けさせて頂くからねと言ったら、何だかウチの主人ったら涙ぐんで、合掌して、ニコッとしてるんですよ。」
こんな様子をごひろうして下さった。なんだかとてもありがたい。
お講席で御題目がたくさんあがり、その家も、その地域も利益せしめ、
多くの方がこの尊い妙法とご縁を結んで、ご利益をさずかりますように。。。
パッパちゃんは現在、高齢のため入院中。90数歳。
お講奉修の功徳と、下種結縁のご奉公の功徳をいただき、
どうぞ、もっともっと長生きして下さい。そう願った。
本年・平成24年は恩師権大僧正日泰上人の御23回忌と
御内室である大奥様・清信院様の3回忌を同時にお迎え申し上げる。
上の写真は、昭和61年5月。
日泰上人法ろう65周年と金婚式の慶祝会を開催させていただいた時の一コマ。
また本年度は、常住寺創建70周年の年にあたり、
5月には講有巡教を頂戴することになっている。
報恩教化と報恩ご奉公。無事に成就させていただけるよう、気張って行きたい。
現在、2月末に大奥様の御年回法要に向けて、
庫裡ご宝前の間と二の間を、少しずつ整理している。
整理の時に出てきた写真の中から、ここに2枚アップした。
撮影場所は、元・事務局長宅。
三世日豊上人は僧正のお袈裟をお召しだ。
住職ご継承のタイミングで権僧正になられたので
日泰上人が甲お講席におでましというコトは、
何かの御礼お講奉修だったハズである。
撮影時期は、昭和56~58年ころだと思う。
写真の中に宗会議員経験者が5名。大居士2名。
今年は常住寺創建70周年の年。恩師の御年回。
先師上人に対し奉り、また写真に写っている物故役員方々にも
ご弘通で盛り上がった常住寺を見て頂きたいと思った次第である。
(写真に写っているのは、亡くなった方ばかりじゃありません。念のため。)