小学3年の深秋、お導師におこされて寝ぼけたまま本堂にあがった。
そこには、いままで見たことのない景色があった。
まだ夜が明けておらず蛍光灯の明かりが灯る本堂は、まるで夜の景色だった。
徐々に明るくなって夜が明けるのが、とても不思議だった。
そんな中、兄弟子方が総出で、ご宝前のお給仕をされていた。
ボクが本堂に入ると、兄弟子方が歓迎してくれた。とても嬉しかったのを、
いまでもハッキリ覚えている。
6時近くになると、開門の参詣者が続々と本堂に入ってきた。
金子常太郎氏はからかってきた。「どうせ三日坊主だろう」と。
これが悔しくて、次の日もその後の日もずっと、5時30分に本堂に上がった。
いまでも金子さんには感謝している。
やがてお導師が、プレゼントだと言って、ボク用の改良服を下さった。
小学3年の身長で、足クビまで丈のある改良服だった。
これは、中学1年の終わりに得度するまで着続けた。
そしていま、これを着て、まさよしが早朝の本堂に出仕している。
当時、お給仕の最後は、お導師がお仏飯をよそうのをソバで見ていた。
お供えしたあとに、炊きたてのゴハンをお釜からすくって、食べさせてもらった。
とてもとても美味しかった。人生最高の、コメのうまさだった。
いま。これと同じことを、長男と次男にやっている。
やつらも、最高だと言いながら、嬉しそうにほおばっている。
そしてその日の晨朝参詣が始まる。まーとよしも、キットこの味を忘れないだろう。
朝のお看経が終わって部屋に戻ると、保温の弁当箱がおいてあった。
こいつは中々優れモノで、うどんやお蕎麦なども持ち運びができる。
その弁当箱の上には、なにやらメモ書きがおいてあった。
裕香からのメッセージ。よく見ないと読めない。
ヨコ書きとタテ書きの合わせ技で、さらに単語の途中で改行をしている。
訳すと、次のように書いてある。
【この青いの(弁当箱)は、おじやさんだよ。この中にはいってるよ。たべてね。】
ボクは親バカだ。しかも、「超」がつくかと思う。
なにをやっても可愛い。目の中にに入れても痛くない。「あばたもえくぼ」である。
だけど、この慈しみのこころをわが子だけに注ぐのでは申し訳ないと思う。
みほとけが、一切衆生に慈愛を注いで下さるのと同じようにありたい。
たとえば、新しい見習いが入ったら、わが子の如く平等に慈しみ、
同じように、コメの美味さを分け与えてあげねばならない。