清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

ご法宅のご遺品整理

2018年06月23日 | 常住寺 行事 できごと 家族

このたび、久しく途絶えていた青年会お講が奉修されます。


日時 7月1日(日)16:00

お席 常住寺・庫裏のご宝前

席主 高野正純


遠妙寺と妙泉寺の、お講師と青年会方々にご指導いただき、

常住寺の青年会が再発足の運びとなりました。

おかげさまで、7月1日には、お講を立てることができます。

小川彰孝師、柴田教信師、2ヶ寺の青年会方々、

そして、布教区内の青年会方々には、深く深く、御礼申し上げます。

 


わが家のご宝前でお講を奉修する。

わが家と言いましても、恩師のお住まい(ご法宅)の

ご宝前をお護り申し上げているので、

いまだ、恩師のご遺品であふれています。

今回のお講席は、祈念すべき第一歩となるお講です。

なので、大勢がお参りできるように、

思い切って整理をしています。

大奥様のお気に入りだった小物。

幼児が手にとっても小さく感じる大きさの、手彫りのくまちゃんたち。

ぼくは幼稚園のころ、このくまちゃんを手にとってよく遊んでいました。

くまちゃんのお鼻の先からお顔にかけて、木の年輪が丸くひろがっています。

この年輪を数えながら、「この木は◯◯歳だったのよ」と、大奥様が優しいお声で教えてくださったのを思い出します。

ネクタイとお洋服。

日曜日の朝参詣(お総講)がおわったら、ご信者方々に、お方見分けすることになっています。

恩師のお名前が書かれたのし。

いつも、余裕をもって、前もって、ご準備遊ばされていました。

何かあったら、サッとお渡しできる。そういう準備の品が、

「木箱(かたま)」の中から出てきました。

 

お講の当日は、大勢のお参詣をいただけるように準備を進めます。

かつては、廊下からお部屋に向かって、正座をして、

「ありがとうございます。清純でございます。」と申し上げてから入ったお部屋。

恩師のお住まいは、佇まいは変わりませんが、その役割を大きく変えて、

いま、ご弘通の道場となります。

きっと、恩師もお喜びくださることと思います。

さて、もう一踏ん張り、当日までがんばります。(^^)/


ふたつの 「信」

2018年03月25日 | 常住寺 行事 できごと 家族

3月18日(日)。お彼岸の入りに【 常住寺のお彼岸会 】が営まれました。

常住寺のご供養は毎回、愛情たっぷりの、婦人会の手作り弁当です。
今回はチキンカツ弁当。とてもおいしかったです。
お弁当の包み紙も寺内のお手製です。ステキなデザインでしょ。(^^)/

今回のお弁当は280個つくりました。ものすごい数量です。
でもね、ホントは500個くらい、なくちゃいけないんです。

お弁当の食材は業務用スーパー。
お盛物(おもり・もの。本堂のお供えです。)は足立の問屋さんで購入しています。
ここはスーパーなどの業者用の問屋さんですが、学校の行事でPTAが買い物をする場合などは、
一般の人も購入することができます。ウチも会員登録しているので購入することができます。
お供え。お鏡もち。果物。清酒。ジュース。毎回一通りそろえて、準備に取りかかります。

本堂をご荘厳する。「信は荘厳より起こる」と申します。
キレイなものを、お初を、お供えするのです。

また「香華・灯明」ですから、「お線香や生花のよい香り」そして、
「おロウソク、置き灯籠、吊り灯籠などの(あかり)」などをお供えして、ご荘厳するのです。
当日は厳かに、そして力強く、法要が営まれました。

「声、仏事をなす」と申します。
しっかりと、想いのこもった善きメロディーを奏でるのです。

当日はよいお天気に恵まれました。本当にありがたいことです。
そして、普段は中々お会いできない方々とお会いして、会話することができました。
これもまた、本当にありがたことです。体調など、無理を押しても参る方がありました。
あつい想いに、深く随喜したものです。

お彼岸がおわって一段落ですが、でもまたすぐ、次の行事がやってきます。
いや、行事もそうですが、日常のお参りがメインです。
日々淡々と修行に励みます。ただただ、その連続、積み重ねが大事です。

ここ数年、一生忘れることができない出来事の連続でした。
なぜこんなに続くんだろう・・・。
とびきり嬉しいこと。
死別やそれに匹敵するくらいの悲しいこと。
自分のことばかりではありません。
周囲の人々の、喜怒哀楽にふれる機会がものすごく多かったのです。

嬉しいことにせよ、悲しいことにせよ、いづれにしても無常を感じます。
喜びですら無常を感じます。決して永遠ではないのです。
刹那的なものは必ず苦しみがついて回ります。
なので、世の栄枯盛衰に心奪われることなく、
日々功徳を積むことが大事だと説く「仏さまの教え」が身に染みます。

今日は日曜日。
朝のお参りがおわってからご信者さんも大勢参加しての清掃デーでした。
おそうじが終わってお寺の運営会議。中長期のビジョンを語ることができました。
栄光ある近未来が想像できます。一人じゃできない。だから、信、ですね。
ボクたちなら、きっとできる。必ず成し遂げる。

仏さまの教えを遵守するという【信】と、そして、人を信頼する【信】。
喜怒哀楽の出来事があればあるほど、それに振り回されず、
仏さまの教えを守って、人を信じて、一歩一歩進んでいこうと思うのです。
そういうコトをあらためて意識することができた「今年のお彼岸」でした。


ずっと続けると誓う

2018年03月24日 | 常住寺 行事 できごと 家族

3月11日(日)
大泉学園を拠点に活動している【だいこんブラス】という吹奏楽団の、年に一度の演奏会に行ってきました。



昨年秋に急逝した叔父が所属していた楽団です。
最後のごあいさつの時、団長さんが追悼のコトバを述べて下さいました。



叔父が亡くなってから初めて、大泉の地を訪れました。
生活の匂いを感じるとこみ上げてくるものがありました。

普段はお寺に来れませんでしたが、亡くなる直前はお寺にいました。
お寺のクルマのオイル交換と洗車をしてくれるとのことでしたが、
曇天なので、洗車はまた次回と言って帰って行きました。
いま思えば、あのときは亡くなる数時間前なのです。洗車なんかできるワケないですね。
それよりも、よく、お寺まで参ることができたなぁと、そう、思った次第です。

世の中は一秒たりとも同じ状況は無いといいます。いわゆる「無常」です。
人の命は、本当にはかないものですね。いや、すべての形あるものは、いつかは必ず壊れる運命です。

ひとの心も同じですね。
常に移ろい変化していきます。なので、コトバって大事だと思います。
大事にしよう。仲良くしよう。がんばってやっていこう。
こうやってコトバにして、態度で示すよりほか、真実は存在しません。
大事にしようって思わなくなったら、それでお終いです。
仲良くしようって思わなくなったら、やはり、それでおしまい。
なので、コトバにして、そして行いで表し続けるんですね。
それも、死んだら、今生はそこまで、です。諸行無常の理を痛感する瞬間です。

いま、だれかが情けをかけてくれる。
ありふれた場面ですが、決して当たり前ではありません。
あること難し=ありがたい。のであります。
笑顔をみることができる。これも、ありがたいことです。
些細な日常は、奇跡の連続です。すべて、ご縁というものなのでしょう。
よいモノを向けよう。よかれと働きかけよう。ウソはつきたくない。ズルいことはしない。
そう言い続けて、人は罪を重ねているのといいますが、
そうだとしても、
言い続けよう。そして、態度で示そう。その瞬間しか、真実は無いのであるならば・・・。

 


母の日 2

2016年05月09日 | 常住寺 行事 できごと 家族

昨日・8日は母の日。お寺でも、お母さま方に感謝の思いをお伝えする行事が行われました。

朝参詣に引き続きお看経をおあげし、先住日豊上人の奥様には花束を贈呈。
婦人会のみなさまには、母の日カードを贈呈させていただきました。

母の日イベントが終わってから、営繕部と打合せをすませ、部屋に戻ろうと思って2階の講堂に入りましたら、
先ほど先住奥様に差し上げたお花が、大奥様のお写真のまえに飾ってありました。
いつまでも、お師匠さまへの想いを忘れない。恐らく一生ずっと、弟子としてお給仕の心を貫くんだと思います。

そんなおばあちゃんに、子どもと孫から、あらためてお花を差し上げました。

Mather Dayのプレートがささっているだけでグンとお花の見映えがよくなるもんですね。
そして、おばあちゃんを囲んで、みんなで記念写真です。



おばあちゃんはスッピンだからイヤだといいましたが孫にかこまれて拒否できず(笑)。
でもね。お化粧してる写真より、この方が自然でいいと思うんです。
変わってるとおもうでしょうが、ボクはお化粧してるのがあまり好きじゃなくて、
かみさんも普段はずっとスッピンでいます。自然が一番だとおもうんですけど。。。
まーとよしは表情がかたい。いちおう反抗期まっただ中ですので、あしからず。



「今日は母の日だから裕香が卵焼きつくるね」と言って、作ってくれました。
なかなかやるじゃないかー。お母さんじゃなくて、ボクがおいしくいただきました(笑)。

ひまわりはおかあさんへ。



ゆかが持ちたいっていうので持たせたら「重いっ!」と一言(笑)。



ゆかは自分がためたお小遣いでおかあさんにプレゼントしてました。
手紙が大好き。やっぱり女の子なんだなぁと思います。
まーは、今日届くように、事前にハガキを出してました。やるじゃないか。



「ひまわり」は、かなり喜んでくれてました。めでたしめでたし。これで家庭も平和です(笑)。
ただ、やっぱり、子どもたちからのプレゼントが一番嬉しかったんだろうなぁ。
女性は偉大ですね。わが子のことは、父親以上に頭の中から離れないものなのだと思います。
女性であるまえに母親。そう考えると、あらためて、聖なる存在のように思えてきます。
ボクなんかは平気でダダをこねますので、まぁ、子どもみたいなもんです(笑)。



今日の、母の日のご法門は明日アップします。
現代社会における、夫婦・家族の諸問題などをテーマにしました。
4月末から5月あたまにかけて読んだ本もご紹介したいと思います。
ご信者方々とも和やかな時間を過ごすことができ、ありがたい、感謝の一日になりました。


大奥様 7回忌

2016年02月29日 | 常住寺 行事 できごと 家族

ありがとうございます。本日・2月28日(日)11時より、本堂にて、常住寺第二世 恩師 権大僧正 日泰上人の御内室、大奥様・清信院さまの第7回忌が営まれました。

奉修御導師(ほうしゅう・おん・どうし)は、宣妙寺ご高職・宇治田日仁お導師。磬座(きんざ)には、廣全寺ご高職・柏日胤お導師。また、出座とご奉公で清秀寺より荒木誠啓講師がお手伝いにきて下さいました。寺内の教務部は3師。合計6師の出座をいただくご回向となりました。


 

大奥様・石関民子様は、大正2年にアメリカシアトルにて、外交官だった父・小山重右衛門氏と芳野姉の次女としてご誕生。

(写真は、上下とも「左」が、大奥様。右は、いまもご健在のお姉様・秋谷真佐子姉。)

ご入信は日本に帰国してから。お住まいは、台東区・上野桜木から港区・青山の官舎へと移り、お過ごし遊ばされました。青山学院大学にて学ばれ、女学校時代から青学時代、ご成婚までずっと毎朝、早朝5時には家をご出発され、当時は麻布にあった乗泉寺へ徒歩でお参りされました。

「青山から麻布まで、お寺へはお一人で歩いてお参詣してたから、冬なんかまだ暗いでしょ。だから、おまわりさんからよく呼び止められたの(笑)」

「若い女の子が、こんな朝方まで、どこをほっつき歩いていたんだ」と。

「いいえ、さきほど起床しまして、これからお寺の開門参詣です。」

「・・・・。そうか。すれはすまなかった。」

「だけど、お寺参詣は感心だが、まだ暗いので、女の子の一人歩きは危ないから、くれぐれも注意して行くように。」

おまわりさんとの間で、よく、こんなやり取りがあったといいます。大正ロマンという風に表現される時代、「ハイカラさんが通る」で描かれたのと同じ時代のお話しです。

「子どものころから、お小遣いをためて、お寺にお供え申し上げるのが楽しみだったのよ。かわってるでしょ。」微笑まれながら、そうお話し下さったのを思い出します。ご信心が強く、慈しみ深く、志があつく、家柄もよく、優しさと知性、聡明さを感じさせるような明るいご性格で、かつ容姿端麗でいらしゃった。そんなお方だったから、お寺に生まれたわけでもなく、宗門人として代々続いた家柄だったわけでもないのに、師匠の奥様(口唱院さま、清泉院さま)から見初められて、お教務さん(日泰上人です)とのご縁談をいただくことになったのでしょう。

信和会の集まりでお供をさせていただいた時に、「(前回は欠席だったけど)やっぱり、石関さんがいないとダメだわー。」と、盛り上がる井戸端会議の中で、ニコニコ顔でどこかの奥様が仰ったのを覚えています。「みんなが笑顔で盛り上がるのは、知性や慈しみ深さから出る。」この時、こんなことを感じたものでした。ウチの奥様ばかりでなく当時、ステキなご内室様方が集っていらしたのだと拝します。

日泰上人とのご成婚は昭和11年。日泰上人は御年33歳。大奥さまが御年23歳の時です。先述の通り、八世日歓上人の奥様・口唱院様とご令嬢で十五世日晨上人の奥様・清泉院様に見初められ、日泰上人のお嫁さんにと、ご両親を通してご縁談をいただきました。「口唱院さまと清泉院さまには、随分と可愛がっていただき、親しく、色々なことを教わったのよ。」と仰せで、乗泉寺時代は奥様方のもとで、乗泉寺内の教務部ご家内としてのご奉公に励まれました。昭和17年・師命により、日泰上人が王子に赴任。王子の地にお寺を(常住寺を)建立される時代の幕開けです。

以降、約70年もの長きに亘って、王子の地(東十条6丁目)にて、常住寺をおつくりになった日泰上人のお側でお給仕を申し上げ、ご法を弘めるための、内助の功を尽くされました。お寺をお護りされ、生活のリズムを正確に刻まれて、お弟子を愛でて、いつも明るくお元気で、周りに希望と元気を与えて下さいました。ボクは昔からずっと、いや今から先も、大奥様が、理想の女性像であり続けることでしょう。本当にお優しく、頭のいいお方でした。

平成2年12月29日に恩師日泰上人がご遷化あそばされたあとも、大奥様がご健在だったので、恩師の面影を失うことなく今日まで来れました。そんな、いつもお元気だった大奥様も、平成22年3月1日。行年97歳でご帰寂。3月1日ですから、今年のように閏年だったら、2月29日に亡くなったことになります。日泰上人が亡くなったのは12月の29日。数字からも、恩師にお仕えするお姿、ご夫婦の深遠なるご縁を感じます。


 

さて。宇治田お導師と柏お導師は、かつて常住寺において、恩師日泰上人のもとでご奉公遊ばされました。荒木師は、清秀寺先住・権大僧正日應上人ご夫妻のまご(奥様は、日泰上人の妹)です。おでましを賜りましたのはそんな方々ですから、今回はあくまで、ご来賓や団参をおことわり申し上げ、「常住寺の、寺内のお教務さんとご信者で営むご回向が、執行された。」という形の一座にさせていただきました。

本年・平成28年度は、当山の歴代住職・恩師上人(十五世講有日晨上人、権大僧正日泰上人、僧正日豊上人)のご年回を同時にお迎えします。11月3日には、「乗泉寺巡教」という「本末信廣会の公式行事」を常住寺で頂戴する予定で、この時に、乗泉寺のお導師にご唱導をたまわり、ご年回も併せてお勤めいただくことになっております。第一座を小松川清秀寺のご高職 権大僧正・岡本日苑上人に、第二座を乗泉寺巡教といたしまして、大本寺・乗泉寺のお導師に、それぞれ、ご唱導をたまわる予定です。このたびお招き申し上げなかった方々も、秋にはお出ましいただけるかと思います。その折りには、どうぞよろしくお願い申し上げます。

実は同日、田端佛立寺では門祖会がご奉修でした。田端は小松川の末寺で、岡本日苑上人が住職を兼務されています。荒木師はお導師の随行で田端に出仕予定でしたが、日苑上人より「お会式は毎回あるが、大奥様の7回忌は1度きりだからね。」とお言葉をいただき、荒木師を常住寺に遣わして下さいました。お導師には、ご高配をたまわり、ただただ、あつく御礼申し上げるばかりでございます。また、信興会さんからは祭壇のご遺影前に、生花をお供えいただきました。その他、お塔婆のお供えを頂戴した方々など、各位にあつく御礼申し上げます。 

 


法類巡教 高祖会

2015年11月09日 | 常住寺 行事 できごと 家族

11月3日(文化の日)

大宮妙玉寺のお導師さまご唱導のもと、

「法類巡教」「常住寺 高祖日蓮大菩薩・お会式 」が奉修されました。


妙玉寺、扇教寺、本華寺、草加・妙源寺、相模原・妙現寺。

5ヶ寺のご住職方にご出座いただき、団参者のお参りもいただきました。

また、妙益寺、信泉寺から、お教務方がお手伝いにきて下さいました。


今回は、草加・妙源寺より、「青薫合奏団」がお参り下さり、引率の大人も含めた、

総勢20名の大人数で素晴らしい演奏を聴かせて下さいました。

お子さんは小さなお子さんから高校生までと幅広く、

息の合った演奏は、お参詣者の心に響く素晴らしいメロディーでした。

草加の青薫合奏団は、ものすごく演奏レベルの高い楽団でした。

また、演奏のレベルが高いだけでなく、雰囲気がものすごく良いのです。

みんな優しいメンバーばかりで、そして、とても立派でした。

そもそも、指揮者やお世話の大人の方々が、そういう雰囲気をもっていらっしゃいます。

その優しい雰囲気が、常住寺にも映っていました。

ちょっとモヤモヤするような場面でも、「気がついたらお互い譲り合っていた。」

寺族はお会式終了後に、そんな話しで持ちきりになりました。

笑顔や優しさというものが、例えが悪いですが、風邪がうつるのと同じように、人々にうつっていった。

そんな場面を目の当たりにしました。


当日は、宗歌も、合奏団の演奏で斉唱しました。

伴奏の音楽を流して歌うのと、またひと味ちがって良いものでした。

裕香はお会式の数日前から、宗歌の演奏を練習していました。

指揮者の方から「楽譜が読めるなら、当日いっしょに演奏しないかい?」と

お声をかけて頂いてたのです。

お会式の当日、「合奏団のみなさんが到着しました」という連絡が入ったときの裕香の顔が忘れられません。

なにか、大切なものをみつけたような目の輝きを見せてくれました。

本番前に合奏団のみなさんといっしょに音合わせをしました。

大人の方や高学年の学生さんは、裕香の練習にも付き合って、ご指導下さいました。

サビの部分では、みんなが自発的に、裕香の演奏にあわせて、歌をうたってくれました。

みんな、それぞれ自分の準備をしていたのに、サッと一つになるような動き。

裕香はきっと、このシーンを忘れないことでしょう。

草加のみなさん、本当にありがとうございました。

とてもあたたかなお会式になりました。

奉修お導師、草加のお導師、ご出座のお導師、団参の方々、寺内参詣ご奉公方、ありがとうございます。

 


足利・常行寺 開導会

2015年06月23日 | 常住寺 行事 できごと 家族

足利常行寺さんの開導会に参らせていただきました。

雨の予報。しかも段々と予報が悪くなっていきました。

でも、雨はふりませんでした。

好天のおはからいをいただきました。

寂光より、日味上人がお慶び下さったかと思ったほどです。

服部お導師。

お久しぶりにお会いできてありがたく思いました。

宇都宮より浜口師が出座でした。お元気そう。

水田師。ものすごく、よく、お導師にお仕えされていました。感動です。

みんなでお参りさせていただきました。ありがとうございました。

ご縁の深い、本当に深いお寺です。

お互いにご弘通に気張りましょうと、励まし合った一日となりました。

 


恩師の御前

2015年04月28日 | 常住寺 行事 できごと 家族

「常住寺第二世」権大僧正・日泰上人のご胸像まえが整備されました。

ご奉公者は前局長の斉藤参与ご夫婦です。

土をたがやし。雑草が生えないシートを敷いて。まわりに草や小さな樹木を植えて。

置き石を三つ。白い玉砂利を敷きつめて。よしずを立てて。

伺った作業内容はこんな感じでした。

二日間に亘るご奉公。ありがとうございます。

ものすごくキレイな仕上がりです。

ご奉公に随喜申し上げます。

 


ご降誕会式(れんげまつり)

2015年02月09日 | 常住寺 行事 できごと 家族

本年度「常住寺・ご降誕会式」

2月8日(日)8時から10時までの2時間。本堂にて「口唱会」。


 

2月8日(日)

いつもの朝参詣は6時30分から8時30分までですが、この日は8時に無始已来で口唱会スタート。

10時までの2時間のお看経でした。

ご降誕会式は例年、みなさんで楽しむ企画を立てるのですが、今年は佛立開花運動・3年度の正念場です。

5カ年誓願成就のご祈願も含め、奉祝・報恩の口唱会をさせていただきました。

朝参詣から数えると3時間半のお看経。夕看経も含めると一万遍のありがたや口唱会となりました。


 

口唱会が終わりますと、「お塔婆と衣桁」のカバーができたと報告をいただきました。

生地は、前田相談役、河合前事務長、ウチのかみさんの3人で、日暮里の問屋まで買い出しに行って下さいました。

裁縫は本職の河合氏が仕上げて下さいました。素晴らし出来映えです。

みなさん客殿に集まってきて、カバーの装着作業をしました。

いままでは長年、お会式などの行事があるたびに、莫大な量の模造紙で包まれたお道具を

一つづつ出しては、また包んで仕舞うというご奉公の繰り返しでした。

カバーができましたので、これで中身が何だか分からなくなってしまう梱包から解放されます。

素材を購入するまでの道をつけて下さった前田相談役。本職の裁縫は河合氏でした。

各位のご奉公に随喜申し上げます。


2月9日(月)王子教区・乙お講

本所中学の前にあるご信者宅で奉修です。

ご宝前の左わきに、「第二世・権大僧正 日泰上人」の御遺墨が掲げられています。

ご宝前の右わき。こちらも日泰上人のご遺墨。そして、小僧の処女作。

作品として見てみると、なんともはずかしい。。。

王子連合のご信者方々と、和気藹々とした雰囲気の中でお講が勤まりました。

ご法門は後日アップします。今月の、今後のお講席でも同じご法門になります。

パソコンやスマホを持っているかたは、ご覧になって下さい。


今日のお参詣者の中に、大正8年生まれのかたがいらっしゃいます。

95さい。

関東大震災の経験者。貴重な存在です。

この方は本当にスゴいです。とにかく明るくて、とてもお元気です。

つい最近まで、数ヶ月に一度のペースで、お友だち数名と温泉旅行にいったりしてたそうです。

元美容師。日本髪も結えるそうです。「自宅の路面側にあった美容院あと」は、いまはホカ弁に貸してます。

いつもニコニコ。この方がいらっしゃると、その場が明るくなります。ありがたいです。

目指せ100さい!いや、もっともっと長生きして下さい。


お講席では「彼岸会のポスター見本」がお出迎えしてくれました。

「席主のお父様」の作品です。

イラストレーターを屈指して、0,1㎜単位でレイアウトを修正されます。

本職ですが、それでもすごいです。

今年は、書類配布の時期を半月から1ヶ月早めていきます。

おさそいする期間、将引の期間を、余裕を持って確保です。

さそう側の「ぼさつ心」の昂揚・涵養もはかっていかねばなりません。

みんなで盛り上がって、はりきってご奉公させていただきましょう。


お風とおし

2014年12月28日 | 常住寺 行事 できごと 家族

12月26日。常住寺・本堂内陣のご清掃と、宝物のお風とおしをさせていただきました。

泰信師が「まさ」と「よし」にご指導下さり、一緒にご奉公させていただきました。

なんとか、集中してやってくれています。

お敬いの心で、ていねいに、ていねいに。

うっかりすると、怒鳴られますが、そういう場面はほとんどなく、慎重にできています。

さすが泰信師。まもなく法鑞50年の大先輩が、内面からはきびしい空気を出しつつも、表面はとてもやさしく、導いて下さいました。

お風とおしをして、「虫よけ」を入れ替えて、お軸をふたたびお巻きして宝蔵にお納めする作業です。

ご本尊のみを「お風とおし」していましたが、今回は、その他、ご真筆のご遺墨などをお出ししました。

歓尊時代の記録が載っている記念誌です。

乗泉寺の旧本堂で営まれた法要など、初めてみる写真が満載です。しかも新品。ページをめくる時に、薄紙をグシャっとしてしまい慌てました。

平成27年度は、秋頃までを目安に、本堂うらの宝蔵と仏具・什物の格納庫を大掃除する予定ですので、まだまだ沢山でてくることでしょう。

以前お導師がお作りになった「ご本尊のリスト(写真付き)」と照合しながら、一つひとつ確かめる作業をしていきます。照合できるまで、徹底的に調べます。

お写真も、初めて拝見するものが多数ありました。

こちらは、まだ開けてません。これから作業します。

本堂うらの塔婆・浄書室は、すべて空っぽにしてから窓のサッシも外してお掃除しました。

新しいじゅうたんを敷いて、机も取り替えました。

窓のサッシは外側からしか外せない構造ですので、手を滑らして落下させたら大変です。時間をかけて慎重に作業が進みました。

おかげさまで、窓のワクまでお掃除ができました。でも、経年劣化で傷んだところは仕様がありません。

水屋は年明けから水道回りの取り替え工事に入りますので順次、きれいにしていこうと思っております。

あと、墨汁の汚れは、これはどうにもなりません。コルクの壁紙を貼っていこうと思っています。

レトロな、カセットテープがでてきました。淳尊のご法門も録音されているようです。はたして再生できるでしょうか?

年末年始は時間がありませんので、寒参詣あけくらいから作業に入ることになりそうです。

終わったら、また記事をアップします。テープが再生できればいいなぁ。。。


主 師 親

2014年12月10日 | 常住寺 行事 できごと 家族

ボクが生まれた時の写真。

大奥様がだっこして下さり、その左は大阪の祖母、右は種村郷子姉、そして母です。

種村夫婦は日豊上人の仲人です。そのむかし、種村さん宅のご宝前で日豊上人は出家得度を決意されたそうです。ボクも種村郷子さんに御奉公を教わりました。お綿の折り方、おちり払いの仕方、お助行に連れて歩いていただいたのも覚えています。ご信者さんへのお参詣の勧め方、教化子のお世話など、現場で実際にみせていただき教えて教えていただいた思い出があります。普段から着物を着て、草履で闊歩する御奉公は、そんな遠い昔の景色ではありません。 

 

2枚目の写真は、昭和43年の撮影だと思います。場所は常住寺の境内です。(右)母がいとこ姉妹の妹を、(左)おばがボクを、だっこしてくれています。いとこの姉の方が左に写っています。撮影位置も現在はコンクリートが敷かれ、クルマの駐車スペースになっています。

 

3枚目は昭和52年です。日泰上人が日豊上人に住職位を継承された年です。この年はボクが見習いを始めた年でもあります。不覚にも、見習いが始まった日にちを覚えていないのですが、御乗台でお看経をされていた日泰上人がご閑士のお席へお移り遊ばされ、日豊上人が御乗台に上がられた移り変わりを内陣から拝見しておりましたし、見習いが始まったころは5時半に出仕すると外は明るかったのが徐々に日の出が遅くなり、やがて6時の朝参詣が始まったあとに太陽がのぼるようになったのを覚えています。この様に、いろいろ記憶を辿ると、おそらく9月ごろから見習いを始めたのだと思います。

見習い初日は開門参詣のご信者さんから「どうせ三日坊主だろ~(笑)」と、からかわれました。実のところ、気まぐれで早起きしたに過ぎなかったので、翌日に出仕するつもりなんか更々なかったのですが、この時にからかわれたのがとても悔しくて、次の日からずっと出仕したような次第です。ちなみに、翌日はほめられました。ほめられたけど、同時にからかわれました。3日目も同じでしたが、4日目からは「ありがとうございます」「おはよう」「がんばれよ」にかわりました。このこともよく覚えています。いま思えば、この人は変化の菩薩です。このご信者は郵政省の職員でした。バイクに乗って仕事をするので、交通安全の御利益をいただくようにと、お教務さんのご弘通車・オートバイ3台をご有志され、晩年まで欠かさず、定期的に新車の入れ替えもご有志され続けていらっしゃいました。この方は相続者がおりませんでしたので、護持ご尊像はボクが相続させていただき、ご尊像は現在、庫裏ご宝前のお厨子に収まっております。

上の写真を撮ったとき、ボクは左手で日泰上人の右手のぬくもりを感じていました。緊張感も手伝ったのでしょうか、それほど距離が近く感じたものです。このように、この写真を撮ったときの感覚は鮮明に覚えています。

見ていた景色、そして写真を撮るときの周りとのやり取りなども、ややおぼろげですが覚えております。たしか、よこに並ぶのが勿体なくて一歩下がったら、「写真はあとあと残るんだから、横に並んで撮らさせて頂きなさい」と、お導師からお叱りをいただきました。それで横に並んだら、日泰上人の右手の暖かさを感じた。このように記憶がつながっています。まだ得度したワケでないので、略五条・お袈裟も取ろうとしましたが、これも、学徒としてかけさせていただきなさいとのお言葉を賜ったのをおぼえています。思い返せば、本当にありがたいかぎりです。思い出は尽きませんがこの辺で。ただ、恩師のご恩を忘れちゃいかんなぁと思いふけったひとときでした。


新年度の総祈願

2014年12月10日 | 常住寺 行事 できごと 家族

平成27年度の総祈願ができあがりました。

毎朝、ご法門の前に唱和するためにも本堂に掲示するのですが、この大きなポスターを、当山の相談役が毎年作って下さいます。今回も素晴らしい出来映えです。

「佛丸のすかし」が入っており、唱和するときに一層、士気が高まる感がします。

お仕事で使ってらっしゃるので本職のワザです。

イラストレーターを使って作成し、配置は、0,1㎜単位で調整できるとのことです。スゴいぞ。

A3の用紙をタテよこ4枚づつ=16枚をつないだポスターが、また1年間、本堂で活躍します。

今日は一日、年末大掃除の準備をしました。

上の写真は、1000枚入りの「超うすうすの半紙」です。

これで御尊像をおつつみ申し上げ、内々陣の真裏にある宝物庫に収めます。

当山第二世・権大僧正日泰上人がお使いになられていた「ご本尊、ご尊像のおちり払い用のお筆」です。

第三世・日豊上人もお使いになられ、小僧も使わせていただいておりましたが、ついに、筆の毛が根こそぎ抜けるまでに劣化しました。

もう何十年使われてきたのでしょうか。しかたなく、今月末のおちり払いから、新しいお筆に交換させていただくことにしました。

本数が多いので、新しい筆と古い筆を輪ゴムでペアにして、書道用品店から持ち帰りました。

お筆は、柔らかい半紙を筒状にまるめて収まっています。

表面には日泰上人のご直筆で、ご本尊、ご尊眼やご尊顔、ご尊体と類別が記されています。

これらは常住寺の歴史ですから、古い御筆は宝物庫にて保存するつもりです。

宝物庫も飽和状態で、整理が必要。水屋も水道シンクを取り替え、棚やテーブルを取り替える予定になっており、採寸を済ませました。

来年は終戦70周年の年です。戦後に活躍してきた什物は大事に使われてきましたが、それでも経年劣化してしまいます。

景色が変わるのは恩師の面影が薄れるようで気が進みませんが、本年度から「常住寺ルネッサンス」の合い言葉を揚げたごとく、

恩師の教えを守る中で、未来に残すものを積み上げていこうと思います。

 


ガストでランチ

2014年10月25日 | 常住寺 行事 できごと 家族

今日のお昼、先日の台風で延期になったお講が営まれました。ご供養は、十条連合のご信者方12名と、近所のガストにていただきました。

ここで、2人の方がお講願主にならせて頂きますと仰ってくださり、お役中の皆さんも喜んで下さいました。

つめ助行の対象者も見つかりました。タイミングを見計らって、日にちお助行に伺うことになりました。

11月の予定も打ち合わせて、皆さんのご様子も聞かせていただいて、ありがたく思った次第です。

同じ時間に上尾で、赤ちゃんの初参詣がありました。そちらにも参りたかったのですが、ここは泰信師がご奉公下さいました。お総講が終わって上尾にとんぼ返り。おつかれになったと思います。

食事は大勢で食べると、より一層おいしく感じるものですね。ご年配の方で、ドリンクバーは要らないと仰る方もありましたが、お役中さんがドンドン飲み物を運んで下さったので、「では、いただきますか」と、おいしく召し上がっていただけたようです。

和やかなひとときを、ありがとうございました。合掌。


本家

2014年10月25日 | 常住寺 行事 できごと 家族

先般、王子・堀船にある「お導師のご生家」の、床を張り替える工事が行われました。

本家の叔母は、工事のために家の中をカラにして、ついでに長い年月にたまった家財道具を思い切って処分したと、感慨深げに話してくれました。古くなって不要となった品々も、叔母にとっては、祖父母やお導師、兄姉たち家族との思い出がつまっていた事でしょう。この日は、しばらく思い出話しを語ってくれましたので、心地よく聞き入ってしまいました。

祖母が、お講のご供養で使うのに揃えた「食器やお箸」が各50づつ。当時はモノのない時代でしょうから、手に入れるだけでも大変だったと思います。いまと貨幣価値が違うから、値段を聞いてもピンときませんでしたが、安い買い物ではなかったハズです。この食器は、甲お講のたびに教区内のご信者宅に貸し出して大活躍したそうで、祖母の思いがこもった食器でした。

これは処分する瞬間まで、ひとつひとつ丁寧に布で包んで床下の格納庫にしまってあったそうです。「おばあさんの思いがこもっているけど、使いようがないから処分しました。」という叔母の言葉は、自分が元気なうちに整理をつけたいという、後々のことを考えた上での事だと察しました。

Ca3j0027

Ca3j0029

そんな大処分が行われる中、ちらし寿司をつくるための道具だけが残されました。1つは桶で、1つは木をくりぬいたムクの大皿です。

Ca3j0024

本家は、昭和50年代に建て増しをして床面積が倍以上になりました。その、建て増しをする前にご宝前の間だった部屋は、いまは叔母たちの居間になっています。子どものころは、ここが大広間のように見えたものですが、実際には4畳半と6畳の二間だけです。よくここで7人家族が暮らしてたなぁと思いつつ、今は亡き祖母と、ボクが生まれる前に帰寂した祖父に思いを馳せたひとときになりました。