清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

「こころ」はどこを向いているか。

2015年07月31日 | 常住寺のご信者さんへ

本日・7月31日で、本年度の夏期参詣が終わります。

明日・8月1日からは、通常のお参詣時間になります。

朝参詣は、6時30分~8時30分まで。

ご法門は、8時30分から15分間ほど。


 7月30日の夏期参詣ご法門で、お折伏をいただきました。

「こころでやろうと思っていれば、身体がついてくる。」「やる気をおこせ。」と。

夏期参詣が終わっても、どうぞ、たがいにススメ励まし合って、共々に、日々のお参詣に励みましょう。


 当山第二世・権大僧正 日泰上人の御筆です。(高野家・北区堀船 蔵)

昭和辛酉。(しょうわ。かのと・とり。)昭和56年です。

ですから、高祖日蓮大菩薩・700回御遠諱の年にご染筆です。

辛酉は干支の一つで、第58番目の組み合わせ。十干は「辛」、十二支は「酉」です。

干支は60年周期で、60歳で還暦です。次回の辛酉は平成53年。

「日泰 書」と、おしたためです。

落款は、上の白印=(文字が白)が「信廣門下」しんこう・もんか。

下の朱印(文字が朱)が、「信成日泰」の御文字です。

信廣会=乗泉寺と門末寺院の会。

信成院=日泰上人の院号。


 

恩師がご覧遊ばされていらっしゃる。


お線香・おせんこう

2015年07月29日 | 学び ・ すすめ

当時、お導師ご健在の時代は、朝・5時55分ころ、朝参詣が始まる直前にお線香をお立てしていました。

ボクがお線香をたてると必ずお導師がおこります。

「お線香が曲がってる!」

御前机(おんまえ・づくえ)をはさんで、お導師は御乗台(ご・じょう・だい)にお座りで

まっすぐにお線香と御宝前を拝されていらっしゃる。

ボクは、内陣から御乗台にむかって立ち、お線香をおたてするんです。

 どこが曲がってるんだろう。まっすぐじゃないか。。。

こんな風に、いつも心の中でつぶやきながら、しかたなく、

まっすぐなお線香をわざわざ、斜めになるように立てていたのを思い出します。


お導師がご遷化になられ、やがてボクが御乗台に座らせていただくようになりました。

お線香は自分でお立てしてから、御乗台にすわります。

御乗台に座ってからお線香をながめると、まっすぐ立てたハズのが、曲がっています。

(/・ω・)/


見る角度によって、こんなにも違って見えるもんなんだ~。

そう気づいたのは、お導師をお見送りしたずっとあと。。。

当時のボクは、生意気にも憤然とした態度でお線香を立てていました。

だって、曲がって見えるんですもの。。。


お線香の話しは、仙台のお導師が切り出された話題でした。

ボクの話しを聞かれてコメントされたんじゃありません。

仙台のお導師はそういうことを、よくご承知でした。

「みんなそんなもんなんだよ。」

「御乗台に座って初めて気づくことって多いだろ。」

ご自身も少なからずご経験遊ばされたということか、言い得て妙なお言葉にこころ引かれたものです。


いま、チビどもも理不尽に叱られていると思っていることでしょう。

でも修行です。乗り越えて、立派なお教務さんになってほしいと切に願います。


 仙台のお導師は、ニコニコしながら、お線香をまっすぐ立てる定規を下さいました。

お手製みたいです。

プラスチック製で、T字型の定規です。

香炉に載せて、タテのラインにお線香を合わせる。シンプルですが、まっすぐ立ちます。

わざわざこしらえたのも、新発意(しん・ぼっ・ち。出家したばかりの僧侶を指します。)のころからの、

お師匠に対するお給仕の思いや、継承したあとに、同じようにお寺をしっかりとお護りしなくちゃという思い、

1人で二役するときの寂しさなど、いろんな感情が込められているのだと思ったのです。

強面のお導師ですが、ぐっと距離が近くなったように感じました。


仙台妙護寺 団参 ② 被災地ご回向

2015年07月27日 | 東日本大震災

妙護寺さんのお会式がおわり、すぐに被災地へ向かいました。

ご回向の場所は、仙台市若林区荒浜。県道・塩釜亘理線が南北に走っています。

荒浜地区の殉難者は180名ほどとありました。

また、荒浜にあがったご遺体は200~300にものぼったとのことです。

写真は、県道そばの荒浜小学校の建物です。

【以下、新聞の記事より】

荒浜小学校の屋上に避難した住民ら300人以上が助かったことから、市は「震災の被害を体感するうえで貴重な場となる」として保存を検討。

市は住民の意見を聞くため、2月からアンケートを実施。626世帯を対象に行い、239世帯から回答を得た。

「賛成」が71・5%と最多で、「意見なし」が21・3%、「反対」が7・1%だった結果を受け、保存することを正式に決めた。


 

荒浜でのご回向。妙護寺さんで全部ご用意下さいました。

準備が大変だったと思います。おかげさまで、こういうご奉公をさせていただけました。

ありがとうございました。

(近藤お導師をおかこみ申し上げ集合写真)

ご回向の風景。お焼香がわりに、お線香をお供えさせていただきました。

常住寺の団参者。

近藤お導師から、当時の様子をお聞きしています。

近藤お導師は、震災以降は毎月11日(震災は3月11日)に、各地をまわってご回向されていらっしゃるそうです。


 

閖上大橋から太平洋をのぞむ。こんなに穏やかなのに、当時はこちらから、津波が押し寄せたんですね。

妙護寺のみんさまと別れて、帰路につきました。名取インターに入るまえに閖上地区へ。

閖上中学校。

閖上中学校の校門を入ってすぐの、校歌が刻まれた石碑。今回は、右側の石碑うしろに、お塔婆を建立しました。

石碑と石碑の間にある小さなお塔婆は、平成23年にボクが建立したお塔婆です。

文字が消えてましたが、しっかり地面に刺さって残っていましたので、筆ペンで上書きしてきました。

校舎は震災直後のまま時が止まっています。

来る度に、散乱したガラス破片が片付けられていたりと、整理されてるのが分かりますが、

やはり、震災直後と様子は同じです。備品は一ヶ所にまとめられて積み上げられている。そんな様子です。

校舎内は現在、立ち入り禁止になっています。

中学生14名の犠牲者。そして、公民館から中学まで移動中に津波にさらわれた数百名の近隣住民。

日和山・ひよりやま。

公民館があったあたり。すっかり更地になってます。


 

帰りはゆっくり帰りました。阿武隈。那須高原。佐野。各サービスエリアで休憩しました。

南部道路から東北道へ。

次回はいつ行けるかなぁ。郷愁にかられる旅でした。


仙台妙護寺 団参 ①

2015年07月27日 | 東日本大震災

7月26日。

仙台・妙護寺さんの開導聖人・御正当会式(開導会)にお参りさせていただきました。

ご教歌「末の世の 衆生助くる のりとては  妙法下種の 外なかりけり」

妙護寺さんにお参りさせていただくのは2回目です。

前回は先住のお葬儀でした。震災のときは行ってないんです。

妙護寺のお導師さまは仰いました。

「ここは自分たちのお寺だから、自分たちで復興させる。」

「だから、お前らは来ないでいい。」「どこか、他所に、手伝いに行ってやれ!」

なんという力強いお言葉。当時は、ただただ感動するばかりでした。

ですから、震災の支援は一切してないんです。

妙護寺さんは、小高い丘の上にあります。

坂を登って山門につきますと教要師はじめご信者方々が大勢、出迎えてくれました。

すごい立派なお寺です。山門についたとたん、感動のあらしでした。

日晨上人の御筆。「不毀・ふき」。

こわさず。そこなわず。きずつけず。そしらず。

築・数十年の建物。重厚な建物は、建立当時のみなさまの厚い志を伺えるようです。

お部屋。廊下。戒壇。踊り場。もちろん本堂も。どこをとっても重厚な雰囲気です。

良い素材を使っているのはもちろんでしょうが、なんというか「お掃除や手入れが行き届いている」

そういう重厚さで、「古き伝統と格式のある日本建築」と表現したらいいと思います。

よく見ると、震災の爪痕もありました。当時は部屋のカベが全部崩れ落ちたとお聞きしましたから、

直して、かつ、この素晴らしい風格を出すに至るまで、相当の労力だったに違いありません。

瞬時に、そういう風に想像できました。山門をくぐったときからの感動は、それらを含めたところです。


 

(ホテルからお寺に向かう途中の道のり。お寺がある太白区に入ったところ。)

(ホテルの部屋から仙台駅ビルをのぞむ。)

宿泊は駅前のホテルでした。ふかふかのベッド。朝食がおいしかったです。

夕食は牛タンの有名店。ものすごくおいしかったです。

じつに、もったいない限りのおもてなしをいただきました。


 

那須高原サービスエリアにて、ゆかとツーショット。

被災地ご回向はつぎの記事にてご紹介します。


仙台 妙護寺 団参

2015年07月25日 | 常住寺のご信者さんへ

明日・7月26日。仙台・妙護寺さんのお会式にお参りさせていただきます。

出発は本日・25日の午前中です。クルマで仙台へ。行って参ります。

台風が心配で、一週間前から毎日、天気予報とにらめっこの日々でした。

おかげさまで逸れてくれたので一安心。

団参ご信者各位におかれましても、どうぞお気をつけてお参り下さいませ。


久々の東北です。

震災支援では、なんだかんだで10回ちかく、被災の各地に伺いました。

今回も被災地でご回向をさせていただく予定です。

仙台空港近辺。閖上あたりでのご回向を予定しています。

妙護寺の教要師。ご手配ありがとうございます。


 

写真は、石巻でのご回向。布教区で伺った時のものです。


20日。午後の動静。

2015年07月21日 | 日記

昨日・7月20日の午後。夏のごあいさつで都内を走り回っていました。

左に憲政記念館。右前方には国会議事堂。

官庁街をぬけて、溜池をつっきり、赤坂と六本木4丁目の境目あたり。

港区、渋谷区を離れて、本所方面へ。

ごあいさつがおわって、江原師といっしょにスカイツリーまで行っちゃいました。

よる。お寺に帰ってから、母の実家より送られてきた荷物の整理をしてたら、

日豊上人と母の結婚式・言上文がでてきました。

仲人は、常住寺事務局長をされた「種村徳一夫妻」と、清風寺で同じ組の組長「君島市太郎夫妻」の連名でした。

実際には、大阪日風寺の先住・小野山お導師、本山の遠藤日政上人のお二人でご紹介下さったとお聞きしています。

学校で同期だったんですね。

言上文は、恩師・日泰上人の御筆です。これは貴重なものを。。。

ありがたくいただきます。

 


うれしさは勇ましさの原動力

2015年07月15日 | 日記

王子連合のお講席にて。

7月は「王子連合・物故お役中」のご回向が、合わせて営まれました。


 

いつもは法号のみを読み上げますが、今回は俗名(ぞくみょう。ご生前のお名前です。)もあわせて言上させていただきました。

物故役員の霊簿は、昭和40年代に、各連合がしつらえまして、恩師日泰上人がご染筆くださったものを、いまでも現役で使わせていただいております。

 常住寺では普段、この霊簿を「毎月の甲お講」に持ってきて、導師座にのせていただくルールになっています。そしてお彼岸やお盆、年の暮れには、各連合が願主になって、乙のお講席でご回向が営まれることになっています。信心の相続者がいなかった役員などは追善のご回向があがりませんので、こうして連合を挙げてご回向させていただく機会があるということは、故人は、向こうでおよろこびくださっていることと思うのです。 

今回のご回向は、俗名も全部読み上げましたので、だいぶ時間がかりました。その間ご信者さん方はずっと、頭をさげて言上をききます。心の中で、言上をあげるお講師といっしょになってご回向させていただくのです。ですから、長時間のご回向の読み上げは、たぶん疲れることと思います。でも、今日のご回向はみなさんとても喜んでくださいました。ありがたくおもいます。

故人の名前を耳で聞く。たったこれだけのことですが、今は亡きご主人の、ご両親の、ご家族の面影を感じることができる時間になったのだと思います。ぼくも言上しながら、なぜか目頭が熱くなりました。ほん少し、やり方をかえるだけで、こんなに喜んでもらえる。ですから、工夫はするもんだと思った次第です。こういう場面のよろこびが勇ましく進むための力となりますように。

いよいよ夏本番。暑い中ですが、体調を整えて、みんなで夏期参詣を盛り上げましょう。


常住寺のご信者各位

このブログの、画面左側の帯に「フォトチャンネル」があります。

佛立宗の仏具屋さんで撮ったお道具の写真(価格入り)が、2つのフォルダ(チャンネル)に分けてアップされてます。

フォルダ・1は29枚。2は78枚。アップしてます。パスワードは、東京中央布教区事務所の「電話番号・下4けた」です。

分からなかったら、住職・清純まで、ご連絡ください。


宗 会

2015年07月14日 | 本山 宥清寺

7月7日。宗会の前日。

本山・宥清寺本堂において、終戦70年慰霊法要。

法要に続いて、本山・法悦殿において、

小山ご講尊猊下より、戦時中の体験についてご講演を賜りました。

7月8日9日。

第209回、臨時宗会。本庁・宗会議室にて。今期最後の宗会でした。

本山、本庁の近所。京都・北野の街並み。

七本松・中立売を下がってお好み焼きへ。

中立売りの商店街。

本山本堂正面。お香炉には、多くのお参詣者がお線香をお供えする。

朝参詣の風景。

朝参詣者のクルマ。

宗会初日に開導聖人ご墓所へ。

お向かいには、お教務さんの学校。

本門佛立講。本部親会場跡の石碑が残っています。

宗会終了のお看経。

くれのお講師。弘通局で頑張ってます。

 


検索キーワード

2015年07月13日 | 日記

ブログの機能で、「清純blogをみてくれた人が、どんなキーワードで検索をして、このブログにたどり着いたか」が、分かります。

検索キーワードを挙げてみますと、「本門佛立宗」「乗泉寺」「信廣会」「東京中央布教区」など、組織名の検索。

「講有」「権大僧正」「僧侶」「お教務」など、僧侶に関する検索。

「お看経」「本尊」「お題目」「教化」「随喜転教」「異体同心」「無明」など、お題目や教えに関する検索。

「塔婆」「数珠」「仏具」「戒壇」「袈裟」など、仏具の検索などが多くありました。

その中でも、ダントツで一番多いと思ったのは、「本門佛立宗の仏具」というキーワードでした。

これらの検索をした人たちは、ボクのブログを見るのが目的ではなかったけど、ヒットしたからのぞいてみた人です。

どんな情報がほしかったのでしょうか?とても気になります。


 

仏具はどこで買うのか?

自宅のお戒壇になにが必要か?

仏具にはどんな種類があるのか?

どんな時に、なにに使うのか?

どんなローソクやお線香を使えばいのか?

ふくめんはどこに売っている?

仏具の価格はどのくらいか?お線香の香炉はいくらで買えるか?

御宝前のお給仕についてもっと気軽に知りたい。

(葬儀が終わって)これは、どう処分したらいいのか?

こんな質問はよく受けます。


ネット社会ですから、いまは僧侶に聞くよりも自分で調べる人が多いかも知れません。

おローソクやお線香などは、本来は毎日消費するものです。

ですから、「近所で買いたい。」「良いモノを安く買いたい。」

こんな思いになるかも知れません。

「仏具屋さんに行けば、見て、聞いて、知ることができる。」

でも、遠くの人はどうするんだろう?

「近所のコンビニに行くような手軽さで、買う物がなくても品物が見れる。」

こんな風になったらすごいなと思うのです。(なんだか軽々しく言ってますが。。。)

いずれにしても、世間に伝える工夫をしなければ。そんな思いにかられました。

 


先頭を歩くのは。。。

2015年07月12日 | 日記

下記の記事を読んだ。「新・国立競技場の建設」についての見解である。

「新・国立競技場の建設」の賛否はさておき、記事を読んで、モノの考え方の勉強になった。


 

「新国立競技場は建てちゃダメです」戦後70年の日本が抱える"リフォーム"問題とは【東京2020】

http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/02/no-new-national-stadium_n_6405616.html


建物のデザインを一番に考えて図面を引く人。

周りの景観も合わせて考える人。

100年先まで考えてプレゼンする人。

どんな考えの建築士に声をかけるか。

どんな人が選考に携わるか。

それを、どこがまとめるか。


どんな組織でも、こうして多くの角度からモノを見て事を進める人が自然とリーダーになる。

将来を見据えて。広範囲に亘るものをキチンと描ける。

しかるべき人に協力を得て、未来を描いて実行できるのは、日々積み重ねている人。キチンと取り組んでいる人。

きっと私欲はないだろうし、つよい信念がある。

真剣に取り組んでいく中で、ろくに休暇なんて無いのでは、いや、アフター5すら無いんじゃないかと思う。

それでは困るが、ただ、あちこちにもっと、「そういう空気」があってもいいのではないかと思う。

各分野のトップをいく人の言動を、ちょっと真似てみようとするだけでも良い刺激になるだろう。

坊さんは「なんでもお見通し」でなくてはならない。なんてカッコばかりつけてたら、実を失う。

指導するなんて偉そうなもんじゃない。指導を受けて成長しようとする心を、いつも持っていたい 。

記事とは全く関連のないことだが、読んでいて、そんな、反省の思いもおきたものだ。


正しきものは、なに。

2015年07月11日 | 日記

欲がみえる。得ようと躍起になる。実に滑稽だ。

欲があると慈悲がない。慈悲があると欲がない。

ご信心では、そう、教わる。

「わたくし」を捨てることを、本当の意味で意識し始めたとき、欲が邪魔に思えるようになる。

許せない。

許せないのも「欲」か。

人は、業のふかい生き物だと思う。


 

「雨ニモマケズ」

(口語訳)
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

 

(原文)

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


ご信者のご奉公 教区のご奉公

2015年07月02日 | 常住寺のご信者さんへ

蕨駅そばにお住まいのご信者宅。お戒壇は大正末期のものと聞きました。

ピカピカに磨かれています。ものすごく古いけど、とてもキレイです。

止め金に仏丸。ステキです。全体を見れば余計、随所に施された細工が映えてみえます。

当時の宮大工の感性。当時の素材や工法。どれも、今とは違うんですね。時代を感じます。


 

元・事務局長のお宅。局長を看取った後、奥さんはご晩年、だいぶ視力が低下してました。

ですのでご令嬢は、お母さまが手探りでも生活できるように、あまり片付けをしませんでした。

お見送りをされて、四十九日忌のころには随分と片付いているのが分かりました。

一周忌を過ぎたころにはリフォームもされて、ご両親、兄と4人で暮らした長年の生活品を整理されました。

いまは、当時とは、見違えるほどキレイなお宅です。

こういう移り変わりを目の当たりにすると、ご家族の、ご両親への愛情を感じます。

そして、じつに賢いお方だなぁと敬意を表するものです。


 

志茂にあるご信者宅のまえから、かつて、おばの家族が住んでいた辺りを眺めます。

おばと長さんは、日泰上人ご法宅のお給仕をされていました。

毎朝ご法宅に上がり、掃除機と拭き掃除、朝食のお手伝い、恩師ご夫婦の所用などを、

常住寺の職員としてご奉公されていました。お二人ともお年を召されましたがご健在です。

「日本のお母さん」

ボクがお二人のお人柄を表現するのに用いるコトバです。

恩師によくお仕えになり、そして、ボクら子どもたちを、本当にかわいがってくださいました。


 

南教区は、千葉県の流山あたりから松戸、柏、船橋までの範囲です。

この写真は、おわたはずしの時の一枚です。手賀沼のそばにあるご信者宅。


 

常住寺の発祥の地。王子の堀船です。

このすぐわきにご信者宅があり、帰りに撮影しました。

写真は都電の栄町駅です。王子駅前から、栄町、梶原(堀船)と続きます。

さらに、荒川車庫前、あらかわ遊園前、小台、と続き、この辺りは本華寺さんのエリアです。

本当のおとなりさん。となりの町会です。

むかし、北区の南側’(田端、駒込あたり)に乗泉寺の本華組があり、これが発展して本船組へと編成し、常住寺の前身となるのです。

本華寺は本山末で清雄寺の縁故。同じ地域に別々の門末組織があり、それぞれ同じ組織名を冠するのは地域に因んだ名称なのかと考えます。

名称の由来を知りたいのですがわかりません。どなたかヒントになるようなことをご存じの方は教えていただけたら幸甚です。

王子のとなり町、豊島です。ここも様変わりしました。

豊島教区は、豊島と足立の新田あたりの教区です。この辺りもご信者宅がかたまっています。

新田は、荒川放水路が完成して隅田川と荒川に挟まれ、中州になった地域です。

荒川と江戸川。2つの河川は、実は人口の川なんですね。信じられません。。。

荒川は明治40年ころから掘り始めて、昭和5年に完成し、正式に荒川となりました。

詳しくは知りませんが、上流は自然の荒川。おそらく、埼玉の秋ヶ瀬あたりから東京湾までは人工の河川です。

北区の赤羽。岩淵に水門があり、そこから荒川と隅田川に分かれます。


 

仲原教区所属で赤羽にお住まいのご信者宅。左の短冊は小僧がしたためました。


 

先日ご奉安させていただいた御宝前。館林市にお住まいです。

北連合(川口市。旧・浦和市。旧・鳩ヶ谷市。)連合長のご令嬢が結婚され奉安となりました。

お道具を求める時もいっしょに参りました。

やがて、常信寺さんに日参してくれるようになったらいいなぁ。


 

最後は、河井氏がぬってくださった大塔婆のふくろ。

三祖ですから、3基分です。

日暮里の生地問屋までいって生地を購入。

お寺で仕上げて、客殿にてお披露目。みなさん喜んでくださいました。

ご奉公ありがとうございます。

ちなみに、7月なかばの支庁会議はここでさせていただきます。