清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

ふたつの 「信」

2018年03月25日 | 常住寺 行事 できごと 家族

3月18日(日)。お彼岸の入りに【 常住寺のお彼岸会 】が営まれました。

常住寺のご供養は毎回、愛情たっぷりの、婦人会の手作り弁当です。
今回はチキンカツ弁当。とてもおいしかったです。
お弁当の包み紙も寺内のお手製です。ステキなデザインでしょ。(^^)/

今回のお弁当は280個つくりました。ものすごい数量です。
でもね、ホントは500個くらい、なくちゃいけないんです。

お弁当の食材は業務用スーパー。
お盛物(おもり・もの。本堂のお供えです。)は足立の問屋さんで購入しています。
ここはスーパーなどの業者用の問屋さんですが、学校の行事でPTAが買い物をする場合などは、
一般の人も購入することができます。ウチも会員登録しているので購入することができます。
お供え。お鏡もち。果物。清酒。ジュース。毎回一通りそろえて、準備に取りかかります。

本堂をご荘厳する。「信は荘厳より起こる」と申します。
キレイなものを、お初を、お供えするのです。

また「香華・灯明」ですから、「お線香や生花のよい香り」そして、
「おロウソク、置き灯籠、吊り灯籠などの(あかり)」などをお供えして、ご荘厳するのです。
当日は厳かに、そして力強く、法要が営まれました。

「声、仏事をなす」と申します。
しっかりと、想いのこもった善きメロディーを奏でるのです。

当日はよいお天気に恵まれました。本当にありがたいことです。
そして、普段は中々お会いできない方々とお会いして、会話することができました。
これもまた、本当にありがたことです。体調など、無理を押しても参る方がありました。
あつい想いに、深く随喜したものです。

お彼岸がおわって一段落ですが、でもまたすぐ、次の行事がやってきます。
いや、行事もそうですが、日常のお参りがメインです。
日々淡々と修行に励みます。ただただ、その連続、積み重ねが大事です。

ここ数年、一生忘れることができない出来事の連続でした。
なぜこんなに続くんだろう・・・。
とびきり嬉しいこと。
死別やそれに匹敵するくらいの悲しいこと。
自分のことばかりではありません。
周囲の人々の、喜怒哀楽にふれる機会がものすごく多かったのです。

嬉しいことにせよ、悲しいことにせよ、いづれにしても無常を感じます。
喜びですら無常を感じます。決して永遠ではないのです。
刹那的なものは必ず苦しみがついて回ります。
なので、世の栄枯盛衰に心奪われることなく、
日々功徳を積むことが大事だと説く「仏さまの教え」が身に染みます。

今日は日曜日。
朝のお参りがおわってからご信者さんも大勢参加しての清掃デーでした。
おそうじが終わってお寺の運営会議。中長期のビジョンを語ることができました。
栄光ある近未来が想像できます。一人じゃできない。だから、信、ですね。
ボクたちなら、きっとできる。必ず成し遂げる。

仏さまの教えを遵守するという【信】と、そして、人を信頼する【信】。
喜怒哀楽の出来事があればあるほど、それに振り回されず、
仏さまの教えを守って、人を信じて、一歩一歩進んでいこうと思うのです。
そういうコトをあらためて意識することができた「今年のお彼岸」でした。


ずっと続けると誓う

2018年03月24日 | 常住寺 行事 できごと 家族

3月11日(日)
大泉学園を拠点に活動している【だいこんブラス】という吹奏楽団の、年に一度の演奏会に行ってきました。



昨年秋に急逝した叔父が所属していた楽団です。
最後のごあいさつの時、団長さんが追悼のコトバを述べて下さいました。



叔父が亡くなってから初めて、大泉の地を訪れました。
生活の匂いを感じるとこみ上げてくるものがありました。

普段はお寺に来れませんでしたが、亡くなる直前はお寺にいました。
お寺のクルマのオイル交換と洗車をしてくれるとのことでしたが、
曇天なので、洗車はまた次回と言って帰って行きました。
いま思えば、あのときは亡くなる数時間前なのです。洗車なんかできるワケないですね。
それよりも、よく、お寺まで参ることができたなぁと、そう、思った次第です。

世の中は一秒たりとも同じ状況は無いといいます。いわゆる「無常」です。
人の命は、本当にはかないものですね。いや、すべての形あるものは、いつかは必ず壊れる運命です。

ひとの心も同じですね。
常に移ろい変化していきます。なので、コトバって大事だと思います。
大事にしよう。仲良くしよう。がんばってやっていこう。
こうやってコトバにして、態度で示すよりほか、真実は存在しません。
大事にしようって思わなくなったら、それでお終いです。
仲良くしようって思わなくなったら、やはり、それでおしまい。
なので、コトバにして、そして行いで表し続けるんですね。
それも、死んだら、今生はそこまで、です。諸行無常の理を痛感する瞬間です。

いま、だれかが情けをかけてくれる。
ありふれた場面ですが、決して当たり前ではありません。
あること難し=ありがたい。のであります。
笑顔をみることができる。これも、ありがたいことです。
些細な日常は、奇跡の連続です。すべて、ご縁というものなのでしょう。
よいモノを向けよう。よかれと働きかけよう。ウソはつきたくない。ズルいことはしない。
そう言い続けて、人は罪を重ねているのといいますが、
そうだとしても、
言い続けよう。そして、態度で示そう。その瞬間しか、真実は無いのであるならば・・・。