清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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愛おしさ・・・。

2015年08月28日 | 日記

「ペコロスの母に会いに行く」

「ペコロスの母の玉手箱」

この2冊が本屋さんで、ひら置きで陳列されてました。


認知症を患った母親を介護し、見送る。

親への敬意にあふれ、そして、

老老介護の様子を、優しさで包んだ。

そういう作品です。

認知症の母が、息子にむかって「ハゲ」とつぶやく。

あたたかく、コミカルに描かれてます。

表紙のイラストは、見ただけで胸が熱くなる感がします。

パラパラ読んでみた感想は、全体的に、時空を超えて描いているということ。

過去、現在、未来が、交差しています。

うたた寝から過去の思い出に。未来へ旅立つ様子につながります。

刹那。

一生は「まぼろしの如し」なんですね。

長い道のりですが、まばたきするのと同じくらい短い時間でもある。

みたいです。。。

年老いた母が、息子の頭をなでて慈しんでいる。

いくつになっても、やっぱり親子です。

いや。

夫婦も、そして親子、兄弟も。

深いご縁で結ばれていて、ご縁はずっと続いていく。。。

いまの一生だけでなく、ずっと、ずっと、らしいです。

おなじ続くのなら、わるいご縁はなくしたいですね。

その努力をしたい。

ゆっくりと。やさしく。

欲をすてて。プライドをすてても。大事にまもる。

読んでて、そんなことを、ぼんやりと、考えさせられた気がします。

こわしちゃイヤですよ。大事に。大事に。

 四こまマンガなのですが、ちょっと忙しいので、まだ少ししか読んでません。

新聞の記事は、ネットで拾いました。読んでみて下さい。


ひとりでもつらぬく

2015年08月22日 | 日記

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の実妹、朴槿令(クンリョン)氏が、

靖国神社参拝や慰安婦問題、日本の謝罪などについて「正論」を炸裂させた。

(中略)

韓国による対日謝罪要求についても、「全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が訪日した際、

首相よりはるかに重要な天皇陛下が頭を下げているのに、なぜ、日本の首相が替わるたびに謝れと言うのか」と、韓国の対応を批判。

日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに被害意識だけ抱いていては国益にならない」と発言した。

そのうえで、「北東アジアの平和実現のために日本は親しく付き合わなければならない隣国であり、解放前の“親日”と解放後の“親日”では概念が違う」と強調した。

(産経新聞デジタルより)

http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/150801/wor15080120440031-n1.html


朴槿令(クンリョン)氏は、日本が韓国の経済発展のために尽力した点に感謝し、

パートナーとして親しく協力する国であることを述べているのであり、

日本に肩入れしているとか、そういうことではないハズです。

韓国は、ネットユーザーなどが「日本に移住しろ」などと反発しているとのこと。

語弊がないように申しますが、韓国を責めるとか、そういうために、この記事をかいたのではありません。

ただ残念ですが、韓国の、そういう風潮を変えることは簡単ではないのでしょう。


日韓の外交問題はさておき、

何ごとも、正論であっても、それを一人で唱えることはとても難しいことです。

孤独であり、周囲からの批判を浴び、時には身の危険を覚悟するようなこともあるかも知れません。

たえず憂いがつきまとい、心労は並ではないでしょう。

でも、自分自身も、そのようにしたいのです。

貫けたらいいなぁと思う。いや、それだけの信念が持てる、確信できるだけの力をつけたいものです。

欲を捨てて、私ごとを捨てて、仲の善し悪しで決めず、好き嫌いではなく、公の立場に立って、物事を考えたい

そのためには、しっかりとした見識をそなえることが必要であり、定木となるものでしっかりと学ばなくてはなりません。

恒久平和の確立。五常をもつつんだ信の一字を、日々学んでまいります。


 

 


無畏(むい)

2015年08月20日 | 常住寺のご信者さんへ

仏教語大辞典(中村元・著)

無畏とは、

①確信。恐れをもたぬこと。真理について正しく知り、確信して語って、なんの不安・疑惑も存しないこと。

②恐怖しないこと。おそれのないこと。安穏で怖畏の全くない状態。勇気。おそれずやろうという強い心。

と、あります。


無畏施とは、

三施の一つ。無畏を人に施すこと。

人の厄難を救うこと。おそれなき状態を与えること。

一切衆生に恐怖の念をなからしめること。

獅子・虎狼・恐賊・水火などから人を救っておそれること、なからしめること。

と、あります。


3000年前のインド。

ブッダが仏教を説いた時代の様子を想像しますと、

日が暮れると深い闇につつまれて、とおくオオカミの遠吠えが聞こえると、人々は恐怖した。

などという情景が思い浮かびます。

火災や水害も、なすすべもなく逃げ惑うといった様子を想像してしまうものです。

水害では高台に逃げたり、猛獣のいそうな場所には近づかないようにしたり、

病気になったら看病し、夜のとばりにつつまれるのが不安で、みんなで集まって身を守ったり、

食事や水も、生きるのに必要なものがすぐソバにあればいいのですが、そういう不安も大いにあったハズです。


無畏施は、人々の不安を取り除くという、とてもありがたいほどこしです。

安心をあたえる。災厄から救って、勇気がわくようにしてあげられる。

こんな、ありがたいことはありません。


現代風に言うとどうでしょうか。

受験や就職などの節目を、よりよい方向へいけるようにアドバイスや手助けをする。

老いや病気の不安を、生活の不安を取り除いてあげられる様々な手助け。

こんなことが挙げられるでしょう。


地元の同級生ですごい奴がいます。

同窓生の親が亡くなったらウチに相談にきてくれたり、

結婚してない女子がいたら、月に一回とかの間隔で様子伺いの電話を入れたり、

誰かが商売を始めたら、ここで店をやってるから行ってやれと教えてまわったり、

なんだか坊さんにむいてるぞと思わせるような言動をする友だちです。


B'zのうた「愛しい人よgood night」は、

「悪い予感はどうか捨てて、愛しい人よ、good night」という歌詞で静かに終わります。

身近な、そして大事な人の、不安を取りのぞいてあげていますよね。

また、モーニング娘。の歌には、「大好きな人が正直でした。」という歌詞がありました。

深い歌詞だと思いました。曲をつくった「つんく♂」は、詩人ですね。

彼女に勇気を与えることは友だちでもできますが、彼女の不安を取りのぞくことは、彼氏にしかできません。


その人にしかできないことがある。

自分にできること、いや、自分がすべきことをしっかり分かっていて、そして、勇ましく進みたいものです。

正直でなくてはならない。

欲があったり、ウソつきでは、できない。

無畏施は、人がもつ「欲のこころ」など、

「マイナスの因縁をつくってしまう性格・本能」を滅していかなければ、

ほどこすことは、できないもの、なんですね。

仏教では、そういう、「罪障(ざいしょう)」と呼ばれるものを、「罪障をつくってしまう心を消していくこと」を、学ぶことができる。

人は欲を消すことはできないけど、「無畏施をほどこすことのできる人でありたい」と、願いたいものです。


不軽菩薩(ふきょう・ぼさつ)

2015年08月17日 | 学び ・ すすめ

先日、鎌倉顕証寺の行事に参加させていただいたとき、80代のご信者さんとお話しする機会を得ました。

知性からくる明るさがあり、とてもハイカラな印象の女性でした。

ある分野で大成され、現在も第一線で活躍されている有名人。ヨコハマ生まれのヨコハマ育ち。

なんだかカッコいい響きです。

この方をふくめて、11名で二次会。

顕証寺さんの霊園寺務所は全面ガラスばりで江ノ島と七里ヶ浜、江ノ電が走る景色が一望できるロケーションです。

ここでお日さまがある時間から日が暮れるまでの風景に囲まれながら、ステキな時間を過ごしました。

ステキだったのは、80代の女性信徒かも知れません。

とにかく人をほめます。

「あなた。〇〇が素晴らしいわね。」「あら、あなた。随分と丁寧な言葉遣いでステキじゃない。」

こんな調子です。

こんな言葉が、深い内容の経験談を聞かせていただくまにまに、テンポ良く飛び出してくる。

大笑いと興味深さ、そして心地よさに包まれた時間でした。


最近よく、人のよいところをみつけたり褒めるのは、不軽菩薩の修行に通じるものがあるとおもうのです。

「不軽菩薩」とは、法華経・常不軽菩薩品第二十に示される菩薩です。

不軽菩薩はあるとき町に出て、人々に近づいてはこう言いました。

原文読み下し:「我れ深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし。」(妙法蓮華経開結・四八九頁)

現代語訳:「私は、あなたがたを軽んじません。それは、どんな理由によってか。あなたがたは、すべて、菩薩行を行えば、成仏する素質を備えているからです。」

この言葉を多くの人々、一人ひとりに伝え、そして心から合掌礼拝をして回ったというのです。

果たして、人々の反応はと申しますと、ほめられて喜ぶのではなく、却ってバカにするなと怒りだし、不軽菩薩を追い払おうと棒を持って追い回したり、石を投げつけて迫害しました。それでも不軽菩薩は礼拝することを止めようとはせず、遠くに逃げてはまたそこから人々を拝み、来る日も来る日も、この礼拝の行を続けました。そしてついには、ほとけになられたと言います。


不軽菩薩は、人々の仏性を拝みました。

ていねいに。心を込めて。がっしょうをして。深く頭を下げました。

仏性とは、人が生まれながらにして持っている「ほとけになる素質」「ほとけのような心、性格」です。

仏性はだれの心の中にもある。でもなにかによってそれが隠れちゃってる。

それを引き出してくれるのは、尊いぼさつのアプローチです。

因縁は原因と結果。「てめー!」と言われて「なんだこの野郎!」となる。

「よろしく」といって「おぅ。よろしく」とかえってくる。

不軽菩薩は「あなたを心から敬います」とアプローチして、人々から「ふざけるな」と責められました。

でも、その人たちは、ながいながい時を経てですが、やがて仏性が花を開いたのだと説かれています。


80代の女性は、100まで現役が目標と仰ってました。

そして100まで、人々を利益せしめるために、妙法の教えのすばらしさを伝えひろめたいと仰ってました。

そこには、欲のかけらもないと思いました。

清らかで、ありがたく、しかも最高のロケーションの中で、こころが洗われた心地で鎌倉を後にしました。


開導聖人・ご指南  (扇全二十六巻百十一頁)

常の菩薩のこころをわするべからず。

菩薩は人をそこなはず。

菩薩はいかりの心なし。

菩薩は同行を破する事なし。

菩薩は弘法をよろこばぬ事なし。

菩薩は我慢偏執なし。

菩薩は法の為に身をおしむ事なし。


見ること。きくこと。

2015年08月15日 | 常住寺のご信者さんへ

本寺・乗泉寺の南西角の交差点は「猿楽町(さるがく・ちょう)」という。

写真を直進すると乗泉寺・正門。右折すると南門。右奥の木々が乗泉寺の境内。

能で有名なのは、観阿弥・世阿弥の親子である。南北朝から室町時代の猿楽師であり、能(猿楽)を大成させた功労者である。

猿楽は狂言と合わさり、明治以降には「能楽」と呼ばれるようになった。奈良時代に中国から伝わった散楽がルーツだという。

能のことは詳しくない。ただ、雅楽、舞、面など、日本の伝統芸能のイメージは、なんとなく頭に浮かぶ。そんな程度の知識である。

猿楽町の由来はあらためて調べてみるとして、今回は、能の舞台の一場面について記事を書くことにする。


なにかの本で、能の一場面を懐旧していた文章があった。

舞台の一番最初、観客すべてから注目を浴びる大事な場面に、お坊さんを演じるものが出てくる。

面をつけずに、一の松、二の松、三の松の橋がかりから舞台の中央にでて名乗りを上げる。

「自分は、諸国・一見の僧である。」と。

この僧侶は、諸国を旅して様々なものを見聞きして歩く「放浪の旅僧」である。

旅僧は名乗りをあげると、それ以降は舞台中央の右側、一番客席に近い位置で観客をヨコに見る角度に座り込んで、すっと舞台の様子を眺めている。

ついには、舞台が終わる最後まで観ることだけしかしない。


のっけに名乗りをあげて以降、いっさい何も演じずに、シテ(能の主役)が演じる様子を眺め続ける。

いや、眺めるという、そういう役柄なのである。

いったい、なんのためにそのような役柄を置くのか。興味ぶかい。


数年前、千代田区の社会福祉協議会にて、傾聴ボランティア養成講座を受けた。

話しの聞き方を学ぶ授業で、たしか8週間ほど通ったと思う。

会話の中で、「相手の言わんとするところ」をしっかりと聴けるようになるための練習で、

うまく話せない人だったとしても、聞き手がしっかりとこころの叫びを理解してさしあげる。

そして、なにをするかと言うと、なにもしないのである。相手のこころを理解する。

そして、よく分かると伝える。共感。共有ができるテクを教わった。

こんなことは真剣に聞いていれば分かることなのかも知れない。

しかし、意外と、「この人の良いところを挙げてみて下さい」と言われて答えに詰まることがある。

また、「この人が求めていることは何ですか」と聞かれても、正確に答えられるであろうか。

だから、見るということ。聞くということは、以外と簡単なことではないと思うのである。

ボクは、授業を受けたあともずっと手探りの状態であり、だから「耳をすませていよう」と意識をしていたい。


能楽の僧侶は、なにをしていたのであろうか。なにを表現していたのであろうか。

さとりの境地か。世俗の欲か。移りゆく人のこころか。無常の世の中か。

方丈記に「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という一節がある。

おなじように見えても、同じではない。みみをすませて。まわりをみていたいものだ。

 

 

 

 


大きい「お塔婆」

2015年08月12日 | 日記
7月のお盆がおわったころから、今度は、終戦70年・戦没者のお塔婆を立てはじめました。
大塔婆(写真中央)は、以前にお会式で建立していたものを、前局長・斉藤勝男氏がカンナをかけて
仕上げて下さいました。
大塔婆はボクがおしたためさせていただきました。
実は、大塔婆に浄書させていただくのは初めての経験です。
斉藤さんの大工の腕前はプロはだし・玄人跣ですが、大塔婆を削るのは初めて。
わざわざ「初めて」という表現をするだけ、難しい作業だったと思います。
普段は見慣れた大塔婆も、いざ削ってなんて考えながら手で触ってみてますと、
「こんなにも太くて、幅ひろで、長くて、大きかったか!」と気づきます。

今回は、斉藤さんとボクの、初めて同志のコラボで大塔婆が建立されました。
3月10日は東京大空襲があった日。
8月5日は広島への原爆投下。9日は長崎。
常住寺近辺へは、8月10日に空爆がありました。
8月15日は終戦記念日。
9月2日は降伏文書に調印した日。
大塔婆は、9月のお彼岸まで建立させていただこうと思っております。
(下記のURLで、以前の戦争記事にアクセスできます。ご参考までにどうぞ。)
 
終戦70年・慰霊法要は、8月9日の日曜日、朝参詣に併せて本堂で営まれ、
朝参詣終了後には納骨堂でもお看経があがりました。
ご回向は現在も、毎朝8時ころ下記のとおり言上させていただいております。

①終戦70年・戦没者の諸精霊。
②戦没将士英霊の諸精霊。
③常住寺周辺、空爆殉難者の諸精霊。
④満洲開拓佛立村・殉難者の諸精霊。
⑤(環太平洋)沖縄、台湾、東南アジア、パプアニューギニア・ラバウル等のオセアニア、中国、日本近海などにおける戦没将士英霊と戦没者の諸精霊。
⑥シベリア拘留・死亡者の諸精霊。
⑦昭和殉難者の諸精霊。
妙法経力 追善菩提。。。

まずは、戦争の悲劇を繰り返さないこと。戦没者がお題目でうかばれること。
そして、ぼさつの道をこころざす佛立宗門人の中にあって、常住寺の僧侶はもちろん、ご信者やそのご家族などが、
「自分には縁のない方ではあるけれども、上行所伝のお題目で全ての亡き魂が救われていくように。」とねがう心を持つようになる。
そんな「ぼさつ心」の涵養も、ご回向をしばらく続けていく目的の一つです。
そのために「戦没者」と一つにくくらず、上記の7項目をゆっくりと大きく言上させていただいております。
ねがわくは。
正法興隆、世界平和、天長地久、国土安穏、万民快楽、一天四海、皆帰妙法、後五百歳中広宣流布無令断絶
 
 
 

修学塾

2015年08月10日 | 日記
8月5日。
常住寺で修学塾でした。
近年はずっと、毎年8月はウチが会場です。

はじめのお看経は蓑田先生におねがいしました。
 
いつもは自分が座らせていただいてる導師座。
よそのお導師にお勤めをいただき、脇で手をついて深々とお辞儀申し上げますと、
いまは亡きお師匠にお給仕申し上げているような気持ちになり、なんとも有り難く思ったものです。
ご信者席でお看経をあげる受講のお講師方。

講義をされる蓑田先生。休憩時間に一枚。
こちらも同じく休憩時間。
 
受講者は30名ほどだったでしょうか。
夏の暑い中を、みなさん熱心に受講されました。

塾がおわって受講者が帰られたあと、支庁役員と布教区役員が残って、次期の準備。
番長・東金のお導師さまは、本庁からお帰りになられ、その足で駆けつけて下さいました。
ありがたし。

すべて終わって、赤羽駅あたりで暑気払い。
東金のお導師さまはお帰りになっちゃいました。
(T_T)
 
みなさん、旧知の仲で無二の存在です。
だいじな、だいじな仲間です。
みんな忙しいので頻繁に会うことはできません。
でも、それぞれの寺院でがんばって、それをまた持ち寄って互いにススメ励まし合うのが理想ですね。
若いころと同じ距離、同じ間合いでは、つきあいが続かないのかも知れません。
無常。形有るモノも、世間の様子や人の心、立場、見据える先、一瞬たりとも、
おなじ状態であることはないという理(ことわり)が聞こえてくる昨今です。


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2015年08月08日 | 日記

幸せな人に共通する23項目という記事を読みました。

ご参考になればと思います。


 


01 人に対して恨みを抱かない。
02 既存概念にとらわれない。
03 毎日の日課の中に、運動を取り入れて健康を保つ。
04 まわりに応援してくれる仲間を持ち、ネガティブな人とは付き合わず、時間をムダにしない。
05 他人の目を気にしない。ライオンがいつ寝ていいのか羊に聞かないのと同じように。
06 人にお願いばかりしない。
07 困難なことは、自分を成長させるためのチャンスだと考える。
08 失敗しても立ち直りが早い。
09 (ここはカットしました)
10 深呼吸する。
11 すべてを手に入れることができないことを知っており、あるもので満足する。世界が自分だけのものになってしまったら、つまらないはず。
12 恐怖に支配されず、リスクを恐れない。
13 しっかり「NO」と言えて、後悔しない。必要な時は境界線を引こう。
14 心の声に従う。将来へのビジョンを持つだけでなくそれに従う。
15 何の見返りも求めずに与える。
16 見栄を張ったり、うぬぼれたりしない。
17 情熱ややる気が、彼らの行動力。自分が行っていることを信じる。
18 不平不満を言わない。
19 仕事のことでも私的なことでも、人の中身を大切にする。
20 形勢がどんなに悪くても立ち向かう。
21 自分が始めたことは自分で終わらせる。
22 他人と自分を比較しない。
23 人の成功を心から望む。


いかりをうつさず。あやまちをふたたびおかさず。礼これ和を以て貴しとなす。

信仰心。畏敬の念。敬い。慈しみ。冥の照覧。


 


納涼の集い

2015年08月03日 | 常住寺のご信者さんへ

8月2日は毎年恒例の「納涼の集い」が、おこなわれました。


 

夏期参詣は7月いっぱいで終了。8月1日(土)は、月初お総講。

そして、8月2日(日)に、夏期参詣ご奉公の、打ち上げとしての納涼イベントでした。

 

長年のご奉公者もお元気です。

ですから、そういうご信者方には、真夏の境内でのイベントは、いささかお体に響くのではと心配になります。

60代になると、30代や40代のようにはいきません。ムリは禁物です。


 

スイカ割り。ヨーヨーすくい。かき氷。

婦人会、若葉会、ファミリー会のみなさん。

子どもたちは炎天下でも元気いっぱいでした。

入れ替わり立ち替わりでご参加いただきましたが、ピーク時にはテーブルを全部だしました。

盛り上がり、ありがたいかぎりです。


 

全部おわってから、反省会をしました。活発な意見が飛び交いました。

ご信心のコアな部分をうながす場面もありました。

こういう内容の話し合いに、初めて参加した人もありました。

ぼさつの道が信心なんだと聞く。そんなミーティングでした。


 

反省会のあとは、残り物のビールでしばらく談笑しておりました。

自然発生の飲み会です。いいパターンです。

ピザをとったりして、なにもないテーブルがまたまた華やぎ、宴会が続きました。

そんな中で、教化総運動を復活させるという結論にまでいきました。


 

今回も、前局長が夏期参詣を皆参されました。

ただ、お疲れになられたのでしょう。ちょっとお風邪を召されてダウンです。

昨夜、お供水をお届けしたら、奥さんがとてもお喜び下さいました。

そいういご様子を拝見するだけで、こちらまでありがたくなってしまいます。

よろこぶということ。笑顔。

ありがたさを表すということは、ものすごく大きな施しなんですね。

前局長が本堂にいないと、お寺がさみしく感じます。大きな存在です。

ご無理をぜず、でも、早く元気になって戻ってきて下さい。合掌。