清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

- 東京都北区 -

2011年03月29日 | 生活圏 関東 東京都 北区

地元・東京都北区の風景をアップします。

↓ 赤羽駅東口(北側)のロータリー。

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↓ 駅のロータリーより、すずらん通りの入口方向を写しました。(すずらん通りは現在、LaLaガーデンという名前になっています。)

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↓ ここいら辺は東京山の手の北端で、右側のビル裏は急な坂道です。坂を下ると東北線・高崎線・京浜東北線・新宿湘南ラインなどが走る線路が南北に延びています。またビル裏の坂の脇には「名主の滝」があり、北区の名所として永年地元の人々に親しまれています。写真は王子本町から上十条方面に向かっての風景です。この近所には、たくさんのご信者(十条連合)が住んでいます。

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↓ 平成おじさん=故・小渕首相邸です。さすが、立派な門構えです。

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↓ 豊島のサミット屋上より。

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P3090011駿台学園高校

P3090016清掃工場煙突

以上、絵画モードで撮影しました。

しかしイロイロな機能があって、カメラは実におもしろいなぁ。


- お 別 れ -

2011年03月27日 | 常住寺 行事 できごと 家族

3月25日。

十条連合を支えてきた女性信徒が亡くなった。

行年94歳。

喪主は80代半ばの実妹。さみしさを隠しきれない。

姉は若いころ、宇都宮常照寺の信徒であった。

上京して常住寺の信徒となって、宇都宮時代と同様に、

恩師・権大僧正日泰上人にお仕えしつつ、信行に励んだ(信心歴)52年間だった。

葬儀は至って質素に営まれた。

連合内のご信者が、お清めの食べ供養を持参して、参拝者に振る舞われた。

葬儀社・信興会も、おそらく商売になってないと思われるが、精一杯つとめてくれた。衷心より、深謝するばかりだ。

お布施もほとんどない。でも、寺内の僧侶全員で勤めさせていただいた。

回向の意義が失われたかのような時代にあって、常住寺は、いや本門佛立宗は、その本質を見失うことは、決してない。

二人分の年金で、やっとのことで暮らしてきたのが更に半減する。余裕は、ないだろう。一人暮らしのさみしさも、これから実感することになるのではないか?

80半ばのお宅をちょこちょこ訪ねて、時間をかけて笑顔を取り戻してもらえるように、接していきたいと思う。

半世紀もの間、ご信心一筋でやってきた姉の、御題目がしみついている御宝前で、共に追善回向のお看経をおあげする日々を過ごすとしよう。


- ボクは行けなかった -

2011年03月23日 | 東日本大震災

3,11の東北地震がおきてから、早くも二週間が過ぎた。

3月13日から現地入りする者もあり、昨日出発した救援班は2チーム。明日まで仙台に滞在する。

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「行こうぜ!」「何かしようぜ!」の一言が、他の人々を同じ思いにさせる。「対岸のなんとやら」という感覚がそこで弾けて、自分にできる支援はなにか?いま現地は何が必要か?どうすれば調達できるか?いくらかかるか?どうやって運ぶか?などと、具体的に考え始めるのである。

地震発生から間もない時に現地の人と会話すると次のような言葉が返ってきた。

「いま来てもらっても、受入られない。」「ガソリンがほしい。次に現金。」「一般人が来ても、手に負える状態ではないから…。」

しかし、毎日毎日、あちこちに連絡を取り、耳を澄まして聞いてみると、「いつ来てくれるんだ?」「○○を持ってきてほしい」という要望が聞こえてくる。

「いま行ってもしようがないじゃん」と言ってた者たちの考え方は、昨日までは通用しても、今朝の時点ではのろまと評されることになる。

ドアが開いたら、みんな勇ましく飛び出して行った。そして、飛び出して行った者たちはみな、自分でドアを開けようとする意思を持った者から、ドアを開けるコトができたのであったと感じる。

現地へ行けと言っているのではない。ただ、前へ出よう。そんなコトを、てるりき師から教わった。


- 超一流サービスの教科書 -

2011年03月03日 | 学び ・ すすめ

リッツ・カールトン超一流サービスの教科書】という本を読みました。超一流ホテルの、超一流の接客について書かれています。

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【本文紹介】

〔 挨拶にはこれから提供するサービスのレベルが凝縮されている 〕

「こんにちは」ひとつでお客様には伝わることがある。挨拶をした瞬間、お客さまはこれから提供されるサービスのレベルを感じ取る。まったくやる気がないのか、頼めば応じてくれるのか(反応型サービス)、ニーズを先取りして対応してくれるのか?

やる気のないサービス(「お水をもらえますか?」「通りを行ったところに自販機がありますよ」)は、間違いなくお客さまにそっぽを向かれる。グラス一杯の水を頼んでもなにも提供されず、嫌々ながら道順を教えられるのが関の山だ。

頼めば応じてもらえるサービス(「お水をもらえますか?」「かしこまりました、どうぞ!」)は、現代の標準的なレベルといっていいだろう。お客さまに不快な思いをさせることはないが、魅了することもない。依頼されたことだけをこなすサービスは合格点をもらえるだろうが、お客さまの心をつかむところまではいかない。

ニーズを先取りしtサービス(「いらっしゃいませ。今日はほんとに暑いですね。お水をお持ちしましょうか?」)に出会うことは、きわめて稀だ。そしてこれまで述べてきたように、これこそお客さまの心をつかむサービスだ。かゆいところに手が届くようなサービス。お客さまはすっかり心をつかまれてしまう。これを積み重ねていくことでお客さまにとってあなたの会社の価値は増していく。

お寺で教わる 「 お給仕 」 などは、まさに 「 お水をお持ちしましょうか? 」の精神と重なっています。「 させて頂こう! 」 という「 敬いの心 」が、そういう積極的な言動へとつながっていくのでしょう。

ご信者お互いのコミュニケーションではどうでしょうか?老若男女・信心歴の新古・役職の有無などにかかわらず、お互い御題目を信じ敬う異体同心の仲間です。

家族や仲間に勧められて、初めてお寺の門をくぐった人が、笑顔で「ありがとうございます」というあいさつを受けて、和やかなお寺の雰囲気に接したときには、やはり随喜の念を持たれるのではないでしょうか?

ボクらはサービス業ではありません。でも、菩薩行を志します。そして、笑顔や親切、まごころを忘れた態度は、仏さまのお心に反するというコトを知らねばなりません。

すなわち、この本でいう所の「ニーズを先取りしたサービス」は、菩薩行を志す者にとっては、できて然るべきと考えてしまうのですが、これはいささか厳しい感覚でしょうか?

しかし、やはり、人はこころ。超一流のサービスとは、敬い、親切、まごころ。これらの精神に凝縮されているハズ。そしてこれらは、損得や慢心、億劫な思いからは生まれてこないワケです。

ですから、「 菩薩の道を歩まんとする者は、おのれを捨てて世を利益しようとの精神を貫くべし 」 というメッセージを記して、本文を結びます。