清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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ご教歌 みなながら あらましかばと 思ふらん  物はなかばに たることをしれ

2015年01月12日 | ご法門

ご教歌 みなながら あらましかばと 思ふらん  物はなかばに たることをしれ


大 意 (日晨上人「ご法門のかなめ」より)

思っていることが全部思う通りになってほしいと、誰しもが考える所だが、

私ども凡夫の欲は貪欲の傾向が強いので、この辺でよしとすることを忘れ、己を滅ぼす方へ走りたがる。

欲ばかりかいていたら口唱(お看経)の時間も惜しくなる。

半分成功したら有難いと思い、そこで大事なものを置き去りにしてはおらぬかを、反省することが大事。


 

みな‐ながら【皆×乍ら】[副]

 ことごとく。すべて。 「―脱ぎおき給へる御ふすまなどやうのもの」〈源・蜻蛉〉



あら-・まし 【有らまし】〔連語〕 

 あろう。 …であろうに。 …であればよいのに。

 鏡に色・形あらましかば、うつらざらまし。
 <鏡に色や形があったとしたら、何も映らないであろうに>(『徒然草』)


らん(覧) らむ。に、同じ

 現在起こっている事象から、その原因・理由や背景などを推量する意を表す。

 ㋐原因・理由が示されている場合。…だから…なのだろう。…というわけで…なのだろう。
 「思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを」〈古今・恋二〉

 ㋑(多く「など」「いかに」という疑問語を伴って)原因・理由が示されていない場合。どうして…なのだろうか。なぜ…なのだろうか。
 「やどりせし花橘(たちばな)も枯れなくになどほととぎす声絶えぬらむ」〈古今・夏〉


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