清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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出会い と 別れ

2018年08月05日 | 日記

6月28日、担任会に出席しました。
役員がすべて交代し、新体制となってから初の集まりです。
第5支庁管内34ヶ寺のご住職方が親睦を深めた和やかな会合でした。

受付をする中、清雄寺の栢森師と写真を撮り合って戯れておりました。
担任会の様子を、猊下にお伝えするのに、ご令嬢さまとのLINEを通じて、
タイムリーに写真をご覧いただいておりました。

リラックスしたひとときの交流は、お偉い方々の、普段は見ることのできない一面を
拝することができます。旧知の間柄でも新鮮な発見の連読だったかも知れません。
そういう、貴重な良き時間になりました。

 


7月の初旬は宗会があり、本山・本庁に上がっておりました。
19期の青年教務会のメンバーでの会食。全員、宗会議員をさせていただいてます。
武蔵小杉。東金。道後・松山。そして王子から集まっての会合でした。
会食は、京都の「弘(ひろ)」。焼肉の名店です。
もう少し、みなさんとゆっくり話したかったですが、またの機会を設けたいと思います。

7月末には、大阪へ伺いました。
三田のお導師ともお話しすることができ、また、19期の別のメンバーにも会うことができました。
先日ここのご子息が、なんと9歳の若さで、自ら志願して、出家得度をしました。
あどけないお顔ですが、お教務さんとして、みなさんといっしょにご奉公されてました。
凜々しさと可愛らしさ(お坊さんにですから、可愛いって表現はダメかな・・・)があり、
もうそれだけで、いっしょにいるこっちが、ありがたくなっちゃいます。
お師匠さまも、そして、ご尊父さまもいらっしゃるのですが、
ぼくも、彼の輝かしい未来を応援させていただきたいと思います。

 


7月はいろいろありました。

100歳の強信者さんがお亡くなりになりました。
このお方は、亡くなる2ヶ月前に、ご自分のご子息に先立たれました。
もう80歳に届く年齢です。ですから、男性の平均寿命・・・ですね。
ご長寿はめでたいハズですが、こういう思いをする。なんとも切ない気持ちです。

そしてもう一人、子どものころにはよく一緒に遊んだはるくんをお見送りしました。
3歳年下の彼は、ミュージシャンでした。

バンド名は「サニー デイ サービス」

知りませんでした。実にたくさんの曲をリリースしています。

ここ2年くらい、同級生や年齢の近い人たちをお見送りすることが続きました。
その度に、いままでに体験したことのない悲しみに包まれます。
こういう心の状態を無明っていうんですね。
机の上で習っていても、体験しないと、とても理解できません。

そして、こういう体験はこれで終わりじゃなくて、これからどんどん増えていくのでしょう。
もう、そういうお年頃です。

そしていつかは自分の順番が巡ってくる。
仏教では、人生のおわりがいつやってきてもおかしくないっていう覚悟を教わります。
いわゆる、臨終を習うということです。そして、いまを大事に過ごさなくてはなりません。
ボクは、自分の思いを捨てて、おのれの使命を自覚して、一生懸命に歩んでいかねばならない。のです。

これから先、ずっとずっと、はるくんのお弔いをさせていただきます。
どうぞお題目の功徳で、やすらかでありますように。。。

 


7月7日の昼間は、別件の納骨やその他のご奉公があり、終わってから「ハレルヤCafe」に行きました。
中学時代の同級生が働いている職場の、3ヶ月に一度のイベントです。



健康な食材を調理して宅配する。ものすごく美味しくて元気になるお食事でした。
食べると、カラダが喜んでいるように感じました。やるねー。プロですねー。
彼女は、昔からずっと、とても元気でめちゃキュートな人です。
おかげさまで、元気をもらいました。ありがとー。

この日は、お寺に帰ってきたタイミングでちょうど、
もんちゃんの大将のご遺族がお参りにきました。
亡くなった方も、遺族も、両方とも、ボクの同級生です。
しばし一緒にお参りして別れました。
そして夜には、またまた、もんちゃんの大将を偲ぶお参り、です。
大勢と会えて、いっしょにお看経・ご回向できる。本当にありがたく思います。

毎月、キレイなお花が届きます。
そして今月は、サプライズでお誕生日のお祝いも。
故人を偲ぶ中で、大事な人のお誕生日。。。

一周忌を勤めあげ、いま、みんな前を向いて歩こうとしています。
そんな時なので、故人といっしょにっていうつもりで、手作りケーキを作りました。

作ったと言っても、ボクはデコレーションしただけ(笑)。
幼稚園からずっといっしょの友だちが、全部作ってきてくれたので、
いいとこ取りで、飾りだけやらせていただきました。
この人もめっちゃお料理上手。そして、めっちゃステキな人です。
なんて言うか、まー、天使ですね。
いや、ここはお寺ですから「菩薩」と表現しておきます。
ほんと、慈しみが深い人。仲良しで、そして、人として尊敬できます。
そういう仲間がいる。心から、ありがたく思っております。

こうして、2ヶ月ほどで、多くの出会いと別れと、そして新しい発見がありました。
本当はひとつひとつ、記事にしたいんだけど、どうにも時間が・・・。

まだまだあるんです。いろいろあります。
日々、感謝の連続です。語り尽くせない想いが、幾重にも重なります。
そして、坊さんとしての使命をもって歩むことができていると思います。
・・・。いや、ホンマかいな(笑)。

 


「 役割 」 と 「 慈悲 」

2016年05月12日 | 日記

ここのところ家庭問題の記事を書いていましたら、このブログを読んでくださっているご近所の方から、わが家の様子を心配するお言葉をかけていただきました。(ご本人がこれを読んだら、そんな大げさなと仰るかもしれません。ただ、ボクらは嬉しかったのです。)この方は小学校の元・PTA会長さんです。町会でもお世話になっており、なにかとお声をかけて下さる有りがたい存在です。そして、ご縁があるのだと思いますが、この方が会長の時に、ウチのかみさんが副会長をさせていただいておりました。本来はそんなお役をいただける者ではありませんが、この会長さんのご指導のお陰様で、無事に任期を務めることができたのだと感謝しております。

さかのぼって思い返せば、「3人兄妹の一番上が小学校に上がるとき」には「学区域外の小学校」に入れるコトも視野に入れて考えていました。思案をしていたときにタイミングよく会長さんご夫婦がお声をかけて下さり「こっちにおいでよ」と、やさしく誘って下さいました。ボクはこのことをかみさんから聞いて、すぐ、「そうやって誘って下さったのだから、学区内の学校に上がろう」と決めました。あれこれ思案していたのがウソのように、一瞬で決心しました。それほど、親切な一言というのは大きな力があり大きな救いになると実感しました。ですので、今回ご心配いただいたことも本当にありがたく思いました。そして、いただいたご恩を、ご本人にもまた他の方にもお返し申し上げたいと考えた次第です。

元会長さんとは町内会でもごいっしょさせていただいております。ウチの町会はとても雰囲気がいいと感じます。みなさん本当に仲睦まじく、にこやかです。近所に困った人がいたら親身になって手助けする方がいらっしゃいますし、みなさん積極的に治安を守る活動をされています。自治体とはよく言ったもので、まさしく、自分たちの町は自分たちで守るという信念があるのだと感じます。ですから、みなさんがなさる活動内容を見聞きし、意気に感じて「自分も活動に参加する」なんて方も多いんじゃないかと思うのです。


 

先般、小学校の掲示板に画像の標語が張り出されているのに気づきました。「まちがえをおそれず、元気に発言すること」をうながしてくれています。ネットで検索したら一杯ヒットしました。どうやら、有名な絵本の中の文言みたいです。これを一部、次の通りご紹介します。(画像は小学校の掲示板です)

教室はまちがうところだ     まきたしんじ(氏)

教室はまちがうところだ
みんなどしどし手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
まちがうことを おそれちゃいけない
まちがったものを ワラッちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出しあい 言いあうなかでだ
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ

絵本は、こんな言葉で綴られているようです。(つづきは画像の文章をお読み下さい。)

じつにありがたいコトバの連続です。『 間違えながら、経験しながら成長していく。だから、まちがうのが当たり前。それを、自分はできるからって、人をバカにしちゃあダメ。人の失敗を笑っちゃダメ(蔑んだらダメ)。だからみんな、勇気をもって挑戦しよう。わからないことは分からないと言えて、そこから覚えていこう。元気出していこう。』と、教室中を、そういう空気にしてしまう、そんな魔法のコトバだと思いました。そしてこれは、これから色々なことを経験して成長していく子どもたちへの励ましですね。


このまえも書きましたが、仏教では、「欲がある人は慈悲がなく、慈悲のある人は欲がない。妙なものだ。」と教えていただきます。人をバカにしたり、あざけ笑ったりするのは欲です。よわい人に優しくないのも、欲ですね。怒るのも欲。自分を卑下するのだって欲なんだそうです。なんだか欲ばっかりです(笑)。そんな中で、まごころで接することができる、人に親切にできる、自分の気持ちを押しつけない。一本すじが通ってる(なんのスジだろ(笑))。見返りなど求めない。これらは慈悲になるんだと思います。

自分の思いを捨てて公の立場で物事に取り組む、なんていうのも慈悲でしょうか。たとえば、自分にとって利益がない人間がトップに立ったとしても立場上、全力でサポートする。自分が損しても、自分の立場が下になったとしても、自分の役割を自覚して行動する。それができれば、すばらしいことだと思います。逆に、それができない人ばかりが集まる組織はきっと、消滅するんだと思うのです。自分はそろそろ上の立場だと自覚する。そういうものばかりが集まっちゃったら、そしたら、だれが下で働くんでしょうね(笑)。滑稽です。

役職は上から与えられるものですが、自分がすべき役割は、心ある人が担おうとする。たとえば、お母さんじゃなくてはできなことがたくさんあるでしょうが、その替わりを務めようとこころざすことはできるのだと思います。この人のために、困っている人のために、地域の平和のために、なにかお役にたてることがしたいという目線を持っている人が「世の中のお役に立てますように」「みんなに喜んでもらえますように」という思いの中で、すすんで役割を果たそうとする。先生が心をこめて生徒を育てて下さる。町会の方が無償で地域の平和のために活動されている。これらは当たり前でしょうか。当たり前ではないのですが、こういう一つ一つの思いあって、よい世の中をつくっているのだと思います。だから、こういう人たちのおこころざしをありがたく思います。そして自分も、積極的にお役に立たせていただけるよう、今日もまた元気でぼさつの境地で生きていけますようにと、私の思いをすてて道を求めたいと思います。

 






ちりを払い あかを落とさん

2016年05月07日 | 日記

「リズムを刻む」。ここのところずっと頭にあるのは、このことばかりです。「同じ時間に同じことをする」「毎日欠かさず、きめたことをやる」。たったこれだけのことをするだけなのに、そのことで「頭が一杯になる」といっても過言ではありません。まぁ、ただ、ずっと続けるのは簡単ではないかも知れませんね。ですから、たとえ単純作業であっても「今日も忘れずにやった」ということに、大きな喜びを感じています。

ボクはどちらかといえば、いい加減な性格です。言わばだらしがないんです。そんな人間が住職を勤めています。そもそもお寺は厳格なもので、何でもキッチリ動いていました。時間も、モノを置く場所も、干し方も、たたみ方も、目が見えない人でも困らないんじゃないかと思えるくらい、同じ時間に同じ場所で同じことをやっています。いや、やっていました。昔の、草創期の、まだ戦争が始まる前からの習慣も残っていました。それが代々伝わった。当初のやり方がかわらず正確に伝わり、残っていたのです。もちろん時代に合わなくなった古い習慣は廃れていったハズです。そういうモノではなく、恩師の乗泉寺時代からの御魂が、ご薫陶が、残っていました。

お寺の習慣をうやむやにすることなく、踏襲して行く。もちろん、新たなやり方もリズムを刻んでやって行く。これはご弘通に大きく寄与することになります。時間が正確だとそれが、人が集まる下地になるからです。また正確なリズムを刻むと、自分自身の心が、信心前がブレずにいられることでしょう。信じる部分がブレないと、自然と人に影響を与える機会が増えます。ですからこれもやっぱりご弘通の一助となるわけです。その核になる部分を恩師の教えを軸にして守っていく。そのはじめの一歩は雑巾のかけ方やおふきんの干し方といった単純作業を正確にこなすという所から始まります。ですから、日々のリズムを大事にして歩んでいきたいと思います。

そんな中、ここ数年やっていなかったお習字を再開しました。毎日すこしづつ筆を持とうと思います。「書は人なり」で、つづいていくと字にこころが映っていくことだと思います。こころを定めて、思い定めていきたいと思います。


こころをみがく 

2016年05月04日 | 日記

ご指南

人 一身の いきおい 面にあつまる、面を心の庭という、面上のいきおい眼中にあり。

故に利鈍は 眼に よく あらはれたり。

されば 一身の本は心にあり、故に心を以て人に賢愚ある也。

されば 眼ばかりを賢にせんとて、細くしても、太くしても詮なし、心をみがくべし。


 


 

常住寺の「朝のお勤め」は毎朝、6時30分から8時30分までです。ご法門は毎朝、8時30分からです。
全盛期の統計は、平日で80名~100名ほど、日祝で100~208名という数を、おぼろげに覚えています。
お勤めは、6時~8時30分。ご法門は、7時と8時30分の2回でした。
いま、いつかこの水準に戻そうと、真剣勝負の毎日です。
現勢は遠く及びませんが、日々をしっかりと勤めさせていただきます。
タイミングをみて線を引いていきますが、いまとりあえず、なるべく6時からお看経をおあげするようにしています。
暖機運転30分、そして、6時30分から、朝参詣が始まります。スタートダッシュ。
ボクは、地元のご弘通を果たす使命がある。

現在、開門参詣は、よしむら(ご主人)さん、茂出木さん、うつのさんご夫婦、くらさん、やまださん、
おばあちゃん、おかあさん、まさ、よし、つるみおばさん。だいたいこの顔ぶれです。11名ほど。
いま、寺族に檄を飛ばしています(笑)。やがて、その他も参ってくることでしょう。

一拍おいて、常題目の時間(朝参詣の当番参詣)には、当番でなくとも欠かさず毎日、
斉藤勝男さんご夫婦と種村さん、斉藤三さんがお参りです。局長も足の関節が痛みますが、
このタイミングに参っております。天野さんとゆかは、これに先駆けてお参りです。

いまはご法門めがけてお参りが集中しています。ここからまた、お参詣の輪が広がっていくことでしょう。
さぁ、もうすぐ朝参詣の時間です。心をみがこう。今日も朝のお勤めに励みます。


子は鎹 ( かすがい )

2016年05月02日 | 日記

また親ばかネタです。申し訳ございません。

写真は、裕香が書いた落書きです。家族全員の名前が書いてあり、ボクの名前は、生まれた時に名付けていただいた名前と坊さんの名前(漢字は同じで、読みだけ異なります。)が「ひらがな」で書いてあります。また、おばあちゃんとおかあさんのは、それぞれ旧姓も、漢字で並べて書いてあります。ちなみに書いた紙は、ご信者さんがお布施を包んで下さった半紙です(笑)。お布施の紙は粗末にせず、書道やメモにも使わせていただいてます。m(_ _)m

この落書きをみて、裕香の心の内を想像しました。
たとえば、「書いてみて、みんなの名前が並んでるのがうれしい」のであろう、とか、「坊さんは得度すると僧名にかわり、女性は結婚すると名字がかわる。そこが興味深い。」のであろう、とか、裕香がどういう感覚でこれを書いたのかを想像したのです。ぼくは「清純=きよすみ」から「清純=せいじゅん」へと名前がかわった。おばあちゃんは「旧姓:宮脇→高野」。お母さんは「旧姓:西村→高野」です。

裕香にしてみれば何となく書いて、目で見て、「へぇ、そうなんだ。」というくらいのコトなのでしょう。しかし、心の奥底はそれだけでしょうか?あまり深く勘ぐってもしかたないことです。しかし、ボクはこの落書きを見て、裕香が未来を想像しているように思えました。「自分もやがてお嫁に行くだろう。」「どんな人と巡り会い、どんな人生を送るのだろう。」「なんていう名字になって、どこに住んで、なにをするのだろう。」などと、もうこれは、むしろ親が想像してることで、本人はそんなことは更々考えていないかも知れません。しかし、意識の中で、漠然とした想像があるように思えてなりませんでした。「おばあちゃんやおかあさんのように、いつか、わたしもスキな人のところへお嫁にいく。」と、遠くを見つめ、思いを定めているかのように思えてなりませんでした。裕香は、親にそう思わせるようなフシが、生活のあちこちで見受けられるのです。

まだ親の膝の上で遊んでくれているわが子がそんなことを想像しているのかと仮定し、勝手にさみしさを覚えています。そして、「世は無常」=少しの時間も、同じ状態にあることがない。という真理が頭をよぎります。瞬く間に時が過ぎ、周りの景色も、人の心も、大きく変化していくのでしょう。その流れについていけるか。流されてしまわないか?よい方向へ進んで行けるか?大事なものを見失わずに進んでいきたい!などと、ねがいを込めてしまいました。ですのでこの時分、大ゲンカしていた夫婦がこの落書きをみて我にかえりました。

子どもの存在はこのように作用する。本当に不思議です。ケンカに話しを移しますと、夫婦が仲違いをしているときの、子どもの役割というのは非常に大きいと思います。子どもたちが中立な立場に立って双方を諫める。こんな図式があればきっと、家庭の平和が保たれるに違いない。裕香は、自分がその役割をすべきだということを、無意識に知っているかのようでした。まぁ。わかりませんが(笑)。


 

子は鎹(かすがい)

夫婦仲が悪くても、子への愛情のおかげで夫婦の縁を切らずにいれるということ。
子が夫婦の縁を保ってくれるということのたとえ。
「鎹(かすがい)」とは、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む、 両端の曲がった大きな釘のこと。


先日、長男が高校の友だちを連れてきました。「いまから友だち連れていっていい?」「いいよー。」で、14人です(笑)。中高が同じ敷地内の学校で、4月から高校一年生になりました。中3の時のクラスメートがみんな仲良しで、高校に入ったばかりですが、プチ同窓会として集まったそうです。このメンバーがいいんですね。長男は、そういう出会い、巡り合わせに恵まれている気がします。みんなお寺にきて、本堂に上がってごあいさつをして、ハイテンションの中でタコ焼きパーティーが始まりました。ボクは2階にいましたが、フィーバーぶりが聞こえてきます(笑)。気がつけば、ボク以外の家族全員がタコ焼きパーティーに参加していました。なんちゅう家族や!

和やかな時間だったと思います。思春期に入ってからは息子2人とは中々コミュニケーションをとれませんが、大事な仲間をつくって元気にやってる様子をみるとホッとします。半数は女子でした。ですからこの中に、秘かにスキな娘がいたかも知れません。そう考えるとちょっと畏まってしまった次第です。


 

わが家にはハムスターがいます。数ヶ月前、ボクの中学時代の友だちが分けてくれました。つがいだと「ねずみ算」ですから、メス2匹をもらいました。ところが、ひと月ほどしたら9匹の赤ちゃんが生まれました。「おまえー!このやろー!つがいじゃないかぁー。」と云っても時すでに遅し(笑)。突然の出来事にあわてたボクらは、ハムを飼ってくれる人を探しました。カミさん、恐るべし。ほんの数日で全部さばきました。いかに地元に仲間の輪を築いているのかがよく分かりました(汗)。驚いたことに、その一ヶ月後にまたまたハムの赤ちゃんが生まれました。出産して一晩いっしょにいた。その隙の早ワザです。やるじゃないかハム太郎(笑)。今度は7匹でした。これはビバペッツが全部引き取ってくれました。



果たして、16匹もの赤ちゃんを産んでもカゴの中は2匹のハムスターのみ。
安心していると今度は裕香が泣き始めました。
「なんで家族をバラバラにしちゃうのぉー(涙)。」号泣です。

大家族がいいのでしょう。誰かの死を看取ったり、別れがあったりと、無常を感じる場面もありません。ですから、こうして、動物との別れに色々な思いを感じたのだと思います。それで、けっきょく、ふたたびオス・メスのつがいにして目出度く新たなハムが誕生しました。現在わがやにはハム用のゲージ(カゴ)が3つ。ハムが9匹います。裕香は大喜び。なんだ、たくさんいるだけでいいのか。ちょっと腑に落ちない感がありますが、まぁいいでしょう。ただお願いですから、もうこれ以上増やさないで下さい。m(_ _)m


大勢がいいんですね。にぎやかな雰囲気がスキみたいです。ケンカはしたくありません。でも、でしゃばらなけど、しっかりと云う事は云う。裕香はそういう風に生きてます。兄妹のなかで一番大人びているかも知れません。「子は鎹」。裕香は自分の役割を無意識に知っているように思えてなりません。以上、超がつく親ばかがお送りしました。m(_ _)m


掌中の珠

2016年04月30日 | 日記

どどん。どどん。ど・どんどんどん。

お寺に太鼓が響きます。今月から、裕香がお寺の太鼓を練習しています。

リズム感はいいんじゃないかと思います。まぁ。親ばかですが。

毎日、夕方のお看経で練習です。そして、先週の日曜日に朝参詣デビューしました。

太鼓が置いてある場所はご信者席の一番前ですから、デビューの朝は、ちょっと緊張しているようでした。

はにかみながら、嬉しそうに太鼓にむかって歩いて行く裕香の姿をみていてありがたい気持ちになりました。

「よろこんでやってくれてる」「太鼓が叩きたいと思って進んでやってくれてる」からです。

この日は、ご信者さん方々が温かい目で見守って下さいました。本当にありがとうございました。

裕香はこれからもいろいろなご奉公のシーンを、ひとつひとつ、よろこんで、進んでやっていくことと思います。

御法のお役に立たせていただきます。よろこんでさせていただきます。そういう心が育まれています。

親バカついでに申しますと、将来いつか、裕香がお嫁に行ったとき、「 嫁ぎ先のお役に立つお嫁さんになるよう」にと、

そんなことをつよく意識して、ずっと育ててきました。。。いや、そのつもりです。

おそらく女性は、生まれてから結婚するまでの時間よりも、結婚してから死ぬまでの時間の方が遙かに長いと思います。

ですから、嫁ぎ先で可愛がっていただけるように育てるのが一番いいかと、こいつが生まれた時、すぐにそう考えました。

まだまだお父さんの「おひざ」で遊んでくれますが。。。あー、涙が出てきた。すぐにそういう時期がやってくることでしょう(涙)。

明るく元気に育ってほしい。

そして、積極的であれ。朗らかであれ。慈愛に満ちた人であれ。人に可愛がられる人であれ。善し悪しを言える人であれ。

最後に「ウソつくな」「ズルいことするな」。これはボクが定めた、高野家の家訓です。

最愛なる裕香へ。どうか、ずっと、御法のお役に立たせていただきたいという心で、生きていって下さい。

親ばか全開ですいません。m(_ _)m


死ぬともよしの 覚悟しておけ

2016年04月29日 | 日記

4月28日はお祖師さま・日蓮聖人の【立教開宗 記念日 】です。鎌倉時代の建長5年(1253年)4月28日(ご聖寿32歳)に、法華経本門八品の宗旨をお立てになられました。日蓮聖人を高祖父といただくボクらにとって、この日は特別な日です。記念すべき日であり、よろこびの日です。



この記念すべき4月28日は、あっくんのご命日でもあります。平成14年4月28日。行年32歳。立教開宗から数えて750年目をお迎えするその日に生涯を終えました。くしくも、お祖師さまが立教開宗あそばされたご聖寿と同じ年齢での帰寂でした。あれから14年。毎月・28日または29日のお総講のどちらかで、かかさず、あっくんのお塔婆をお供えし、ご回向させていただいております。これからもずっと、ボクが死ぬまで続けますし、そのあとも、残された者たちがきっと、遺志を継いで続けてお塔婆をあげてくれることでしょう。為。信誓院尚会日達法師、仏道増進菩提。

先般、2月28日には大奥様の七回忌が営まれました。それに併せてご信者さんから、奉修お導師・出座お教務の、お召し替え用の姿見を2台ご有志いただきました。また、別院のご信者さんにカ布地を扱うプロがおり、その方が縫製して下さいました。右上の、編み物でつくったお花は奥さんの手作りです。表裏、上下を間違わないようにと編んで下さいました。すがた見は特注で、ガラスが割れても飛び散らないように加工してあり、ガラスの厚さも、通常のものより数㎜厚いものに仕立てて下さいました。ぱっと見は分かりませんが、たしかに重厚な感じがします。これを大奥様の御年回で使いはじめました。姿見をご有志者くださったご家庭では先般、3人姉弟の3番目、次男さんがお亡くなりになりました。34歳でした。当然、ご両親やご家族は、譬えようもないほど深い悲しみに包まれましたが、お母さまは、こう、仰いました。「これから先、私は更に、一生懸命にご奉公させていただきます。」「そして、自分が積んだ功徳をすべて、亡き次男に回向する。」というのです。もう、ただただ、ありがたさで一杯になりました。亡き魂は悲母の慈愛につつまれ、きっと暖かな未来へと進んでいくことでしょう。

人はいつ死ぬかわかりません。本当に分からないと思います。ですから、生きているうちに、いま動けるうちに、やれることをしておかねばきっと後悔することになります。ですから精一杯いまを生きて、功徳を積んで行かねばと思います。死に対する恐怖は消えません。でも、少しは、いつ死んでもいいと思えるくらいの、覚悟とまではいいませんが、心づもりができてきたように思えるこのごろです。ここ数年、多くの方々をお見送りしてきました。お寺ですから当たり前なのですが、そもそもウチの宗派は、お葬式専門の仏教ではありません。生きているいま、功徳を積んで未来に道を開くように如説修行する日常です。姿見のうらには、ご有志者のお名前と故人の法号(お戒名)、ご有志の日付を墨でしたためました。ご信心の、ワンシーンごとの功徳がすべて、故人にまわり向かいますように。衷心より追善菩提を弔わせていただきます。合掌。

 

 


まもるべきもの

2016年04月28日 | 日記

夕暮れ時。一日の予定がおわってお寺に帰ってきました。
この日は90歳になる常功師が夕看経をして下さる日でした。
朝参詣に出仕することはなくなってしまいましたが、月に5日間は夕方のお勤めをして下さいます。

現在、夕方のお勤めが終わると毎日、本堂ひだり脇の住職室の電気をつけます。
これはボクが決めた、ここ数年の習慣です。
ですから、ご年配の常功師はむかしの通り電気を消して下がることがあります。
これはもう、長年の習慣でしたから、そのようになさる。電気の節約です。
ご年配の方に、長年の習慣を変えてもらうのはちょっとお気の毒ですから、あとでそっと、スイッチを入れておくようにしています。
ただ、常夜灯の明かりをたよりに、本堂の澄んだ空気につつまれる時「そうか、今日は常功師が夕看経だったなぁ」と、思い返すのです。

外の明かりを頼りに、本堂東側にすすみ、常夜灯の明かりにあわせて撮ったのが上の写真です。
いつもと違い、明かりのない本堂は、お師匠さまがご健在だったころを思い出させます。
なつかしい感じがしました。おもわず写真を撮り、そして、住職室の電気を灯しました。

住職室を明るくしておきますと、四方八方を照らすことができます。部屋の4辺すべてに出入り口がついているのです。
当山第二世・権大僧正 日泰上人(常住寺を建立されたお方で、ウチの坊さん、ご信者みんなの恩師です)がご健在だったころは、
ご染筆をなさったり、弟子のご法門をお聞き下さり、ご教導をくださった場所です。

第三世・僧正 日豊上人は殆ど、この住職室にお座りになりませんでした。
きっとお師匠さまの面影が残っており、ご自身が座るという気持ちになれなかったと拝します。
ボクも、ここに座ることはありません。同じ理由で、ましてや先住すらなさらなかった事です。



日泰上人がご健在だったころ、住職室を通って用を足すことが多々ありました。
ここを通らないと、本堂の用事ができないのです。ですが、ここは恩師のお部屋です。
みんな、入るたびに正座して深々とお辞儀し「失礼いたします」と申し上げてから通りました。
出るときも同じです。座ってごあいさつ。恩師がいらっしゃらない時でも、それをしたものでした。

ふりかえると常住寺は、多いときには10人ほどのお坊さんがお弟子として所属していました。
ボクが乗泉寺から帰ってきた平成14年は、お導師・日豊上人ほか4名、合計5師のお坊さんがいました。
いまは、90の常功師、上尾の別院を担当してもらってる泰信師と、ボクの3師きりです。



「一人で忙しいだろう?」とよく心配されますが、忙しさは数年前と比べて、ほとんど、かわりません。
むしろ、マイペースでできる分、いまの方が数10倍も楽なのです。
しかも、本堂のお給仕はチビどもが一緒です。もう、内陣のご奉公を始めてから、8年が経ちました。
ただ、それでも、人がいなくなって困ることがあります。
それは「お寺の権威を守れない。」「畏敬の念でルールを守ること。ができなくなる。」ということです。

いまは当山史上で一番手薄な時代ですが、もうすぐ、次世代を担うものが出てまいります。
先人が亡くなっても遺族は健在です。ですから、しっかりとお守りして、やがてお見送りをする。
そして、お寺の権威や畏敬の念などといっしょに、次世代につないでまいります。

ですから、ボクの代はブリッジ世代です。ブリッジ世代は淡々と日々のお勤めをします。
そうやって、リズムを刻んで、未来へと繋げるのです。
常夜灯のみの本堂で、恩師の時代を思い返しつつ、未来の希望を頭に描きながら、この日も一日が終わりました。
さぁ!明日もはりきってやっていこう!



きいて、かんじとって、おこなう

2016年04月22日 | 日記

地元の民生委員をつとめる方から連絡が入った。とある児童の生活を心配する声であった。

国からお役をいただいていても、よその家庭に介入するのはむつかしいものだという。

この方は、ウチのかみさんをとても可愛がって下さる。本当にありがたくおもう。

いつも声をかけて下さり、引っぱって下さるのである。

そして、結果、尊いコトをする場面に居合わせることができるようになる。

地域全体の幸せをねがって活動する。

「お手伝いさせていただきたい」そう思ってしまう活動内容を聞かされる。

あたたかな協力の和が広がる。なかよく、地域の平和を守る人が増える。

じつに尊い連鎖だとありがたさで一杯になる。

昨夜、見識の深いご信者に、このことを話した。

「手をつないでやってください」

「子どもは、頭をなでてやるのもいいけど、手の温もりっていうのはすごいパワーです」

そう、教わった。

そうか!手を繋ごう。

そして、目をみて話しをしよう。

やさしい言葉をかけるようにしよう。

そうやって、慈しみのこころを、ひろげていこう。

そう、思った。

他愛もない会話だった。しかし、一言ひとことが重い、大事な言葉だった。

自分で気づいてもおかしくない程度の内容だったが、それが、人からアドバイスを受けたときに、なるほどと気づく。

しっかりと、言葉に耳をかたむけようと思う。

真実のことばに、耳をかたむけることができるようになろう。


街頭募金

2016年04月18日 | 日記

4月17日(日)常住寺の例年行事「街頭募金」が実施されました。東十条駅。十条駅。赤羽駅。3駅にて同時に実施。総勢50名ほどでご奉公させていただきました。赤羽駅は、泰信師、前田相談役方々を先頭に、十条駅は斉藤勝男参与を先頭に、それぞれ募金活動をさせていただきました。十条駅は人数が少なかったわりに、募金額が多かったように思います。大健闘でした。赤羽駅は駅前が広範囲で、場所を定めるのが大変だったようです。

募金活動の歴史は、小田原のゆりかご園という孤児院(当時の呼び名)への支援から始まっています。募金活動は昭和30年代からはじまり、本年まで、50年以上に亘って活動を続けています。親のいない子どもたちへの支援。そして、ハンセン病患者さんへの支援が募金の寄付先となり、このテーマで長年活動をしてきました。やがてゆりかご園とのご縁が途絶え、以降は「東京都北区の社会福祉協議会」に寄付をさせていただいております。北区社会福祉協議会は「地域ささえあい活動」を行っており、高齢者、子ども、障害者などへの支援や、住みやすい環境つくりなどの事業をおこない、また、支援しています。そこに、募金で得たお金を全額(必要経費は認められているが、常住寺ではすべて、手弁当で活動しています。)寄付させていただいているのです。

写真は小僧が担当している東十条駅の北口です。佐藤さんご家族とつついさんがご参加下さいました。天野さんはご高齢にもかかわらず、フルタイムでの参加でした。すごい!

まさやくん。あずさちゃん。まさ。よっち。元気いっぱいで活動してくれました。

瑛太くん。シャキッと立って大きな声でがんばりました!

裕香ちゃん。風邪ぎみだったけど、弱音を吐かずにがんばりました。

もえちゃん。おねえちゃんです。リードしてくれました。

そもそも、王子駅が主な募金場所でしたが、駅のお偉いさんのご協力が得られず、残念ながら数年前から王子駅はナシになり、3駅のみでの実施となりました。王子からはじまり50年続けてきた活動ですが、王子駅の場所を提供していただく相談にあがっても全く話し合いにならず、言い争うのは避けたいので引き上げた次第です。ウチは「王子・常住寺)と申します。ですからやはり、王子が地元です。いつかまた、王子駅で活動が再開できる日がくることをねがいます。

余談ですが、前日は中学の同窓会で、赤羽のやきとり屋の名店「もんちゃん」で盛り上がりました。40名以上の参加があったと思います。ちょうど、フランスからしげが帰ってきて、それがきっかけで集合がかかりました。しげの家族とも初めて会いました。奥さんはイギリスのアイルランド人で、英語と日本語、フランス語とドイツ語が話せます。すごい。だから、つまり、しげも日本語・英語・フランス語が話せるってことですね。フランスでワインを作ったり。作ったのを保管・管理したり(これが難しいらしいー)、輸出したりしているらしいです。すごい。

遅くまで続いた同窓会。名古屋から2名。新潟から1名。わざわざ帰ってきて参加です。名古屋在住の友だちを含むその他数名で毎日、Facebookでチャットをしています。雑談ですが、続くっていうことはすごいことだと思います。ありがたく思います。reiko、今朝はすいませんでした。失敗したー。しかし、キミの楽しげな笑顔がムカつきました(笑)。しげの宿をさがして民泊を見つけました。オーナーの聡子さんご夫婦、人柄の良さそうなご夫婦でした。こういう出会いを嬉しく思います。またお世話になります。しげのことで、minaがこまめに連絡くれました。すこし熱がでたようです。幹事は大変だなぁ。お疲れさまでした。17日、八子がしげと会ったのですが、その場に行こうと予定してましたが、体力が尽きて寝てしまいました。しげ、申し訳ございませんでした。そんな集まりの翌日でしたから、朝参詣、募金活動、しげのチェックアウトの立ち会い、局長室会議、もろもろの相談事など、一日びっしりでちょっと大変でしたが、充実していてありがたかったです。

今回の募金活動は急きょ、熊本の震災支援をもりこみました。長薫寺ほか多くのお寺がある地域です。募金がおわって今朝さっそく、熊本と連絡をとりました。募金のお金は公共の団体に寄付しますが、常住寺として熊本のお寺を支援させていただきました。どうぞみなさん、ご無事で、そして早期の復旧をこころよりご祈願させていただきます。

 


記念日

2016年04月01日 | 日記

本日・平成28年4月1日は、佛立開導日扇聖人ご生誕199年です。

つまり、来年・平成29年4月1日が、ご生誕200年の御正当になります。

残すところあと1年数ヶ月。

がんばって、誓願が達成できますように気張って進んでまいります。


4月1日は小僧の出家得度記念日でもあります。

高祖日蓮大菩薩700回ご遠諱の年、4月1日の開導聖人ご生誕日に得度させていただきました。

早いもので、もう35年が経ちました。得度式は、中学1年生の最終日でした。

いまでは、もうすぐ50に手が届いちゃうおっさんですが、初心を忘れずにまいりたいと思う次第です。

上の写真は、当山草創期からの有力ご信者で、元・事務局長の故・杉山六雄氏宅でのお講席で撮影したものです。

時代は、昭和の末ごろかと思われます。

お導師・日豊上人。大奥様。奥様。杉山さん。常功師。高井定吉さん。天野袈裟雄さん。中山又親さん。金子常太郎さん。

泰信師。泰明師。庄村孝道さん。河合伊佐雄さん。山田正次さん。斉藤勝男さん。長瀬洸次さん。今関岩男さん。

吉水幸一さん。金子智昭さん。増田富次さん。三澤新二郎さん。

ボクが朝のお給仕を続けてさせていただくきっかけを作って下さったのは金子常太郎さんで、

泰信師、泰明師の左となりに写っているお方です。みなさん、たいへん可愛がって下さったお役中さんです。

なつかしい写真はさておき、4月2日から新年度です。はりきって佛立開花運動の、残りの期間を進んでまいります。


いつくしみ

2016年03月04日 | 日記

去年は2人。今年も早や2人の友だちが、常住寺の所属信徒になりました。きっかけは殆ど、ご両親のどちらかを亡くされたときにご縁を得ました。

その内の一人は、他の友だちにも声をかけてくれています。仏教用語でいう「お教化」を、しているかのようです。


「お前んところも、ここの納骨堂に入ればいいじゃんか。」「近いし。」「やっぱ、安心だよ。」「安いしなぁー。」

「遠くじゃ墓参りも行けねーだろ。たまには線香の一つも供えてよっ!」

「毎月700円だから、お寺にきて納めて。」

「なっ!」

「何ヶ月分かまとめてでも大丈夫だから。」

「ほら、ここの玄関から入って、ここで納めればいいから。」「おやじも、おふくろさんも、きっと喜ぶぞ。」

「なっ!」

こんな感じです(笑)。

教えを深く聞いたワケではありません。ただ、両親への孝行と、仲間への深い慈しみを感じます。

本人は、ほとけさまの教えを知りませんが、その一番コアな部分を実践しています。おもしろいモノです。


この友だちは、大勢の同級生の内情を知っています。聞いていると、それは、興味本位で知りたがっているのとは全く違います。

地元の仲間をとても大事にしているのです。

それは丁度、町内会の役員さんが、町内の隅々まで熟知していて、町の平和を守って下さっているのと似ていると感じます。

余計なことは言いません。でも、いつも心配しているのです。

そして、時には身銭を切って助けていますし、ちょこちょこ声を掛けたり、電話したり、みんなの不安を取り除くような活動をしています。

やつは、中学の時には、いわゆる不良でした。いまでもそうかも知れません。でも、めちゃくちゃ人がいい。

「お坊さんに向いてるな。」やつに、そう言ったことがあります。

驚いた顔をして、「おれが~?冗談いうなよ!」と言ってましたが、ボクはまんざら冗談ではありませんでした。

ただ、坊さんになるには、やはり、幾つもの高いハードルがありますが。。。


18歳のころ、同級生が2人亡くなりました。一人は白血病で、一人は事故でした。

ボクは、その二人のことを、いつも考えていました。「やちらの魂は、いま、どこへ行ったのか。」と。

事故現場はお寺から歩いて10分くらいのところです。そこを通る時にはいつもお題目を唱えています。

ある日、ふと思いました。「ボクは、いま、なんでお題目をお唱えしているんだろう」と。

そんなことは決まっています。亡き魂が浮かばれますようにと思ってお唱えしているのです。

ところがある日、自分は怖いんじゃないか?と思うようになりました。

亡くなった魂に引かれて、自分もどうにかなっちゃうんじゃないかと、おびえているだけなんじゃないかと思ったのです。

自分の心の内ですからウソはつけません。「そうじゃない!」と打ち消そうとしても、「やっぱり、怖いんだろー。」と、自分を責める自分がいました。

ボクは坊さんです。そんな風に思ってお題目をお唱えしているなんて、本当に坊さん失格だと思いました。

そして、亡くなった同級生二人のご回向を、キチンとさせていただこうと考えました。しかし、命日も覚えていません。そんな体たらくです。

ですので、毎年、新学期がはじまる4月2日に、いまは亡き友だちの回向をさせていただこうと決めました。

この時から、日々の、自分のお看経のときには、友だちのご祈願と、亡き友だちのご回向を心がけるようになりました。

先述の友だちは、事故の当日、本人といっしょにいました。事故の瞬間はいっしょにいませんでしたが、その前後の様子をよく覚えています。

ボクはずっと、まだ10代で、やりたいことも、酸いも甘いも経験せずに亡くなった友だちが不憫でなりませんでした。

しかし、やつはやつなりに精一杯生きていたことを聞きました。とても具体的に。

亡くなったのは悲しいのですが、それを聞いて少し嬉しくなりました。40年ちかくあった心のつかえが少しとれました。

去年から4月2日のお塔婆が増えました。この「無意識にお教化している友だち」が、いっしょにお供えしてくれているのです。


常住寺のご宝前には、ご本尊さまの正面に2つのお三宝がお供えされています。

ひとつは「入信書」で、もうひとつは季節によって違いますが、2月~3月は「お彼岸のご回向申し込み」です。

昨年、やつが入信書を書きましたので、お供えしました。となりには多くのご信者が申し込んだ「お彼岸のご回向」がお供えされていました。

偶然にも一番上には、やつが昔付き合ってた彼女が申し込んだご回向がお供えされていました。もと彼女は、うちのお寺の3代目のご信者です。

時を経て、ご宝前の御前にて、二人の名前が並びました。隣り合わせたのは全くの偶然で、なんだか不思議な気持ちになったものです。


いま、多くの同級生と会う機会に恵まれています。楽しいひとときです。

学生時代、毎日いっしょにいた仲間たち。連れじゃないけど、時折遊んでたやつら。

中学のときにはほとんど会話しなかった同級生も、いま、40年ちかい時を経て、同じテーブルで談笑しています。

活躍してるやつ。年をとったのに、当時よりもいまの方が俄然、めっちゃ美人になったのもいます。

いろんな内情が飛び込んでくる。人生っておもしろいなぁって思います。

そんな集いに、ボクはいつも、坊さんとして参加しています。

表面には出しませんし服装もラフな着こなしですが、どんな場面でもずっと、ボクは坊さんとしてそこに居ます。

そして、やつと同じように、いつもみんなのことを祈っています。今朝もご祈願させていただきました。明日もです。

願わくば。ご法さまのおはからいをいただき、多くが救われていきますように。そう、願ってやみません。

 


ご信者になった同級生

2016年01月03日 | 日記

2月9日に、友だちのお母さまの一周忌をお迎えします。早いもので、もう、一年が経ちました。

じつはこの日に、同級生のお母さまが2人亡くなっています。

自宅はお向かい。ご近所です。むすこ同士は仲良しで、同じ職業。

ですから、いまでもしょっちゅう集まっています。

亡くなったお母さまお二人は同じ年。。。

これはもう、浅からぬご因縁で結ばれたモノ同士だと思うのです。

先ほど電話が入り、一周忌の打合せをすませました。同級生のお母さまのご回向。こうして法要をさせていただくことができる事を、本当にありがたく思います。

そのほかに、2月9日の一周忌をお迎えするまえに、一度みんながお寺に集まって、本堂でいっしょにお看経をあげることにしました。そして、もうひとり、3月にお母さまを亡くした友だちがいます。こちらもウチのご信者になっていますので、3人の同級生といっしょに、亡き魂のお弔いをさせていただくことにしました。

いま常住寺には、5人の同級生がご信者として所属しています。中学時代の友だちと、こうして付き合っていけることに感謝します。ありがとうございます。合掌。


伝えること

2016年01月02日 | 日記

おおみそかは、深夜に越年参詣が営まれ、ご信者みなさまと共にお看経をあげながら新年を迎えました。

これは長年かわらない「常住寺の恒例行事」で、寺号公称からずっと同じスタイルかどうかは分からないのですが、少なくとも、ボクが生まれたときにはすでに、現在の形式で法要が営まれておりました。これが、この先もかわらず、ボクは一生を終えるまでは続けていくことでしょう。そして、次の世代もきっと、続けて行っていくのだと思います。

こうして、続けていくことの重みが、年を重ねるごとに増していくことでしょうし、これからずっとさきの将来はどのような景色になっているか、そんなことを微笑みながら想像しつつ、今やることを淡々とすすめています。

お寺のことを次の世代に伝えていく。楽しみでもありますが、これがなかなか骨の折れることでもあります。いま、いっしょに歩みながら、言葉もそうですがやってみせて伝えています。楽をしては伝わらない。ですから、次の世代がほめられると自分にとっても鼻高々なのです。いや、そんな人目を気にするのは本来二の次であり、しっかり流布してゆくさまを楽しみにして、一歩一歩、いっしょに進んでいこうと思います。

これから乗泉寺。祝杯式です。今日は一足早く行って先に帰ります。明日は初お総講です。本年度の活動要点をごひろうする準備がたくさんあります。ことしもまた、元気いっぱい、はりきって活動できますように。。。