清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

掌中の珠

2016年04月30日 | 日記

どどん。どどん。ど・どんどんどん。

お寺に太鼓が響きます。今月から、裕香がお寺の太鼓を練習しています。

リズム感はいいんじゃないかと思います。まぁ。親ばかですが。

毎日、夕方のお看経で練習です。そして、先週の日曜日に朝参詣デビューしました。

太鼓が置いてある場所はご信者席の一番前ですから、デビューの朝は、ちょっと緊張しているようでした。

はにかみながら、嬉しそうに太鼓にむかって歩いて行く裕香の姿をみていてありがたい気持ちになりました。

「よろこんでやってくれてる」「太鼓が叩きたいと思って進んでやってくれてる」からです。

この日は、ご信者さん方々が温かい目で見守って下さいました。本当にありがとうございました。

裕香はこれからもいろいろなご奉公のシーンを、ひとつひとつ、よろこんで、進んでやっていくことと思います。

御法のお役に立たせていただきます。よろこんでさせていただきます。そういう心が育まれています。

親バカついでに申しますと、将来いつか、裕香がお嫁に行ったとき、「 嫁ぎ先のお役に立つお嫁さんになるよう」にと、

そんなことをつよく意識して、ずっと育ててきました。。。いや、そのつもりです。

おそらく女性は、生まれてから結婚するまでの時間よりも、結婚してから死ぬまでの時間の方が遙かに長いと思います。

ですから、嫁ぎ先で可愛がっていただけるように育てるのが一番いいかと、こいつが生まれた時、すぐにそう考えました。

まだまだお父さんの「おひざ」で遊んでくれますが。。。あー、涙が出てきた。すぐにそういう時期がやってくることでしょう(涙)。

明るく元気に育ってほしい。

そして、積極的であれ。朗らかであれ。慈愛に満ちた人であれ。人に可愛がられる人であれ。善し悪しを言える人であれ。

最後に「ウソつくな」「ズルいことするな」。これはボクが定めた、高野家の家訓です。

最愛なる裕香へ。どうか、ずっと、御法のお役に立たせていただきたいという心で、生きていって下さい。

親ばか全開ですいません。m(_ _)m


死ぬともよしの 覚悟しておけ

2016年04月29日 | 日記

4月28日はお祖師さま・日蓮聖人の【立教開宗 記念日 】です。鎌倉時代の建長5年(1253年)4月28日(ご聖寿32歳)に、法華経本門八品の宗旨をお立てになられました。日蓮聖人を高祖父といただくボクらにとって、この日は特別な日です。記念すべき日であり、よろこびの日です。



この記念すべき4月28日は、あっくんのご命日でもあります。平成14年4月28日。行年32歳。立教開宗から数えて750年目をお迎えするその日に生涯を終えました。くしくも、お祖師さまが立教開宗あそばされたご聖寿と同じ年齢での帰寂でした。あれから14年。毎月・28日または29日のお総講のどちらかで、かかさず、あっくんのお塔婆をお供えし、ご回向させていただいております。これからもずっと、ボクが死ぬまで続けますし、そのあとも、残された者たちがきっと、遺志を継いで続けてお塔婆をあげてくれることでしょう。為。信誓院尚会日達法師、仏道増進菩提。

先般、2月28日には大奥様の七回忌が営まれました。それに併せてご信者さんから、奉修お導師・出座お教務の、お召し替え用の姿見を2台ご有志いただきました。また、別院のご信者さんにカ布地を扱うプロがおり、その方が縫製して下さいました。右上の、編み物でつくったお花は奥さんの手作りです。表裏、上下を間違わないようにと編んで下さいました。すがた見は特注で、ガラスが割れても飛び散らないように加工してあり、ガラスの厚さも、通常のものより数㎜厚いものに仕立てて下さいました。ぱっと見は分かりませんが、たしかに重厚な感じがします。これを大奥様の御年回で使いはじめました。姿見をご有志者くださったご家庭では先般、3人姉弟の3番目、次男さんがお亡くなりになりました。34歳でした。当然、ご両親やご家族は、譬えようもないほど深い悲しみに包まれましたが、お母さまは、こう、仰いました。「これから先、私は更に、一生懸命にご奉公させていただきます。」「そして、自分が積んだ功徳をすべて、亡き次男に回向する。」というのです。もう、ただただ、ありがたさで一杯になりました。亡き魂は悲母の慈愛につつまれ、きっと暖かな未来へと進んでいくことでしょう。

人はいつ死ぬかわかりません。本当に分からないと思います。ですから、生きているうちに、いま動けるうちに、やれることをしておかねばきっと後悔することになります。ですから精一杯いまを生きて、功徳を積んで行かねばと思います。死に対する恐怖は消えません。でも、少しは、いつ死んでもいいと思えるくらいの、覚悟とまではいいませんが、心づもりができてきたように思えるこのごろです。ここ数年、多くの方々をお見送りしてきました。お寺ですから当たり前なのですが、そもそもウチの宗派は、お葬式専門の仏教ではありません。生きているいま、功徳を積んで未来に道を開くように如説修行する日常です。姿見のうらには、ご有志者のお名前と故人の法号(お戒名)、ご有志の日付を墨でしたためました。ご信心の、ワンシーンごとの功徳がすべて、故人にまわり向かいますように。衷心より追善菩提を弔わせていただきます。合掌。

 

 


まもるべきもの

2016年04月28日 | 日記

夕暮れ時。一日の予定がおわってお寺に帰ってきました。
この日は90歳になる常功師が夕看経をして下さる日でした。
朝参詣に出仕することはなくなってしまいましたが、月に5日間は夕方のお勤めをして下さいます。

現在、夕方のお勤めが終わると毎日、本堂ひだり脇の住職室の電気をつけます。
これはボクが決めた、ここ数年の習慣です。
ですから、ご年配の常功師はむかしの通り電気を消して下がることがあります。
これはもう、長年の習慣でしたから、そのようになさる。電気の節約です。
ご年配の方に、長年の習慣を変えてもらうのはちょっとお気の毒ですから、あとでそっと、スイッチを入れておくようにしています。
ただ、常夜灯の明かりをたよりに、本堂の澄んだ空気につつまれる時「そうか、今日は常功師が夕看経だったなぁ」と、思い返すのです。

外の明かりを頼りに、本堂東側にすすみ、常夜灯の明かりにあわせて撮ったのが上の写真です。
いつもと違い、明かりのない本堂は、お師匠さまがご健在だったころを思い出させます。
なつかしい感じがしました。おもわず写真を撮り、そして、住職室の電気を灯しました。

住職室を明るくしておきますと、四方八方を照らすことができます。部屋の4辺すべてに出入り口がついているのです。
当山第二世・権大僧正 日泰上人(常住寺を建立されたお方で、ウチの坊さん、ご信者みんなの恩師です)がご健在だったころは、
ご染筆をなさったり、弟子のご法門をお聞き下さり、ご教導をくださった場所です。

第三世・僧正 日豊上人は殆ど、この住職室にお座りになりませんでした。
きっとお師匠さまの面影が残っており、ご自身が座るという気持ちになれなかったと拝します。
ボクも、ここに座ることはありません。同じ理由で、ましてや先住すらなさらなかった事です。



日泰上人がご健在だったころ、住職室を通って用を足すことが多々ありました。
ここを通らないと、本堂の用事ができないのです。ですが、ここは恩師のお部屋です。
みんな、入るたびに正座して深々とお辞儀し「失礼いたします」と申し上げてから通りました。
出るときも同じです。座ってごあいさつ。恩師がいらっしゃらない時でも、それをしたものでした。

ふりかえると常住寺は、多いときには10人ほどのお坊さんがお弟子として所属していました。
ボクが乗泉寺から帰ってきた平成14年は、お導師・日豊上人ほか4名、合計5師のお坊さんがいました。
いまは、90の常功師、上尾の別院を担当してもらってる泰信師と、ボクの3師きりです。



「一人で忙しいだろう?」とよく心配されますが、忙しさは数年前と比べて、ほとんど、かわりません。
むしろ、マイペースでできる分、いまの方が数10倍も楽なのです。
しかも、本堂のお給仕はチビどもが一緒です。もう、内陣のご奉公を始めてから、8年が経ちました。
ただ、それでも、人がいなくなって困ることがあります。
それは「お寺の権威を守れない。」「畏敬の念でルールを守ること。ができなくなる。」ということです。

いまは当山史上で一番手薄な時代ですが、もうすぐ、次世代を担うものが出てまいります。
先人が亡くなっても遺族は健在です。ですから、しっかりとお守りして、やがてお見送りをする。
そして、お寺の権威や畏敬の念などといっしょに、次世代につないでまいります。

ですから、ボクの代はブリッジ世代です。ブリッジ世代は淡々と日々のお勤めをします。
そうやって、リズムを刻んで、未来へと繋げるのです。
常夜灯のみの本堂で、恩師の時代を思い返しつつ、未来の希望を頭に描きながら、この日も一日が終わりました。
さぁ!明日もはりきってやっていこう!



ご教歌 さきのよの果報はうけぬ今生の 修福は後の手まはしにして

2016年04月27日 | ご法門

ご教歌 さきのよの果報はうけぬ今生の 修福は後の手まはしにして


大 意 コツコツと、功徳をつむ毎日を送ること。それが、いまと未来にむけて、ご利益をいただくもと。運命に左右されず、淡々と進むこと。


いま、嬉しいことがある。あるいは悲しいことがある。人生の中で喜怒哀楽はつきものです。そしてそれら、自分の身におこる出来事すべては、過去世において、自分自身がまいてきた種による結果だと教わります。「よいことをしたから、その報いをうけた。」「わるいことをしたから、バチが当たった。」など、一つのアクションだけでなく、無数の行いが重なって、先々の運命がつくられていくようです。

いま、幸せですか?それは、過去によい行いを積み重ねてきた結果です。しかし、「なんで、こんな苦しい思いをしなければならないんだろう。」というご縁も、決して少なくありません。そんなとき、過去世のご因縁だから仕方がないで済ますことはできません。なんとか解決の糸口をみつけようとすることでしょう。

そんな時、どうぞ、みみを澄ませて聞いてください。
「お寺にお参りして、お題目をお唱えする。」すると、「自分にそなわった、マイナスのご縁」=罪障(ざい・しょう)というものが消えていくと教わります。罪障が消えると、ご縁がひらけます。今日から先の生活で、いままでだったらこんなスムーズに行かなかったのに?ということがスムーズにいくようになり、こんなに苦しかったのにということが、苦しみから解放されたり、いままで憎しみ合ってたのが、いたわり合う関係にかわったり、不思議なご縁が訪れるというのです。

ご信心には、そういう、ありがたい効果がある。だから、お参りをしてみよう。きっといいことがあります。そして、このご教歌では、いままでの運命をどうこう云うのではなく、いま、毎日を、コツコツと功徳を積むことが大事である。そうすることによって、未来に道が開けるとお示しです。よい時でもご信心をわすれず、大変な時でもご信心を忘れずに歩んで行くこと。つらい人などは、くよくよせず、ご信心を軸にして、いまをしっかり歩んでいくことが大切なんだとお諭しいただくのです。


ご指南

ご利益を蒙るに顕冥の二つあり、かげより守り給ふを冥の御利益と申す。其冥とは、やどがえした後に火事になり、賊のさりたる後に其山道を通り、舟にのりたしと思へど、のりおくれて滞留して、延日を心になげけども、其日出でたる舟は、われて、のりおくれたるが仕合せとなり、病ありし故に宿善の薫じて、此大法にあひ、未来永き悪道におつるをのがるるなど、これをふしぎの御守り冥益とは申すなり。

顕益といふは、あらわれていかにも御利益と思ひしらるるを顕益といふ。それは願のままに忽ち成就することなり。


ご教歌 孝行の子は子をもたぬ程よりも おやの恩しる人の人なり

2016年04月24日 | ご法門

【ご教歌】 
孝行の子は子をもたぬ程よりも おやの恩しる人の人なり


【大 意】 
俗に「子を持ってしる親の恩」あるいは「子を育てて知る親の恩」 と申します。子供をもつ親になってみて初めて、いままで親から受けた恩をしるというのです。しかしこのご教歌では、本当の孝行の子というのは、自分が親の立場になって慈悲を垂れるようになる以前に、親から受ける恩というものを知っていて、恩に報いる人を言うと仰せです。すなわち、人の立場にたってものを考えることができる。ご宝前のご恩、親のご恩をしって、報恩のまことを尽くす人となれとお示しのご教歌です。


 

【ポイント】
恩をしる。→ 相手の立場を感じ取れる。ご法様からの恩恵も感じ取れる。→ 信心の大事をしっている。

・親孝行を教える。
・恩に報いるということを教える。
・人の立場にたって、物事を捉えることができる。だから、ご法様からの恩恵を感じることができて、報恩ご奉公に励むことができる。
・孝行の子となるのはなぜか?生まれつき、そいうい感性をもって生まれたか? 親がそういう風に育てたか? 或いは、多くの人の考え方や行動、そういう空気など「育った環境」が、恩を知る人間を作り上げたのか?

【自分自身の改良点】
・ご法さまへの畏敬の念をふかめ、お敬いのこころでお給仕申し上げる。
・孝行の人となる。
・親切で思いやりのある人となる。
・五常を知って、姿勢正しく生きる。五常は信でつつむ。

【他人へお勧めする角度】
・よき人が育つ「環境」づくり。 
積極的にお参詣。お看経。ご指南を定木としてぶれない信心前。笑顔。自分から挨拶。思いやり。これらを毎日続けること。
・育て方。
親が見本を示す。やって、みせて、聞かせて、いっしょにやる。


 

【ご妙判】(お祖師さま・日蓮聖人のおことば)
父母に孝あれとは、たとい親はものに覚えずとも、悪さまなる事を云うとも、聊か(いささか)も腹をたてず、誤る顔を見せず。
親の云う事に一分も違えず、親によき物を与えんと思いて、せめてする事なくば一日に二・三度笑みて向かえとなり。


きいて、かんじとって、おこなう

2016年04月22日 | 日記

地元の民生委員をつとめる方から連絡が入った。とある児童の生活を心配する声であった。

国からお役をいただいていても、よその家庭に介入するのはむつかしいものだという。

この方は、ウチのかみさんをとても可愛がって下さる。本当にありがたくおもう。

いつも声をかけて下さり、引っぱって下さるのである。

そして、結果、尊いコトをする場面に居合わせることができるようになる。

地域全体の幸せをねがって活動する。

「お手伝いさせていただきたい」そう思ってしまう活動内容を聞かされる。

あたたかな協力の和が広がる。なかよく、地域の平和を守る人が増える。

じつに尊い連鎖だとありがたさで一杯になる。

昨夜、見識の深いご信者に、このことを話した。

「手をつないでやってください」

「子どもは、頭をなでてやるのもいいけど、手の温もりっていうのはすごいパワーです」

そう、教わった。

そうか!手を繋ごう。

そして、目をみて話しをしよう。

やさしい言葉をかけるようにしよう。

そうやって、慈しみのこころを、ひろげていこう。

そう、思った。

他愛もない会話だった。しかし、一言ひとことが重い、大事な言葉だった。

自分で気づいてもおかしくない程度の内容だったが、それが、人からアドバイスを受けたときに、なるほどと気づく。

しっかりと、言葉に耳をかたむけようと思う。

真実のことばに、耳をかたむけることができるようになろう。


街頭募金

2016年04月18日 | 日記

4月17日(日)常住寺の例年行事「街頭募金」が実施されました。東十条駅。十条駅。赤羽駅。3駅にて同時に実施。総勢50名ほどでご奉公させていただきました。赤羽駅は、泰信師、前田相談役方々を先頭に、十条駅は斉藤勝男参与を先頭に、それぞれ募金活動をさせていただきました。十条駅は人数が少なかったわりに、募金額が多かったように思います。大健闘でした。赤羽駅は駅前が広範囲で、場所を定めるのが大変だったようです。

募金活動の歴史は、小田原のゆりかご園という孤児院(当時の呼び名)への支援から始まっています。募金活動は昭和30年代からはじまり、本年まで、50年以上に亘って活動を続けています。親のいない子どもたちへの支援。そして、ハンセン病患者さんへの支援が募金の寄付先となり、このテーマで長年活動をしてきました。やがてゆりかご園とのご縁が途絶え、以降は「東京都北区の社会福祉協議会」に寄付をさせていただいております。北区社会福祉協議会は「地域ささえあい活動」を行っており、高齢者、子ども、障害者などへの支援や、住みやすい環境つくりなどの事業をおこない、また、支援しています。そこに、募金で得たお金を全額(必要経費は認められているが、常住寺ではすべて、手弁当で活動しています。)寄付させていただいているのです。

写真は小僧が担当している東十条駅の北口です。佐藤さんご家族とつついさんがご参加下さいました。天野さんはご高齢にもかかわらず、フルタイムでの参加でした。すごい!

まさやくん。あずさちゃん。まさ。よっち。元気いっぱいで活動してくれました。

瑛太くん。シャキッと立って大きな声でがんばりました!

裕香ちゃん。風邪ぎみだったけど、弱音を吐かずにがんばりました。

もえちゃん。おねえちゃんです。リードしてくれました。

そもそも、王子駅が主な募金場所でしたが、駅のお偉いさんのご協力が得られず、残念ながら数年前から王子駅はナシになり、3駅のみでの実施となりました。王子からはじまり50年続けてきた活動ですが、王子駅の場所を提供していただく相談にあがっても全く話し合いにならず、言い争うのは避けたいので引き上げた次第です。ウチは「王子・常住寺)と申します。ですからやはり、王子が地元です。いつかまた、王子駅で活動が再開できる日がくることをねがいます。

余談ですが、前日は中学の同窓会で、赤羽のやきとり屋の名店「もんちゃん」で盛り上がりました。40名以上の参加があったと思います。ちょうど、フランスからしげが帰ってきて、それがきっかけで集合がかかりました。しげの家族とも初めて会いました。奥さんはイギリスのアイルランド人で、英語と日本語、フランス語とドイツ語が話せます。すごい。だから、つまり、しげも日本語・英語・フランス語が話せるってことですね。フランスでワインを作ったり。作ったのを保管・管理したり(これが難しいらしいー)、輸出したりしているらしいです。すごい。

遅くまで続いた同窓会。名古屋から2名。新潟から1名。わざわざ帰ってきて参加です。名古屋在住の友だちを含むその他数名で毎日、Facebookでチャットをしています。雑談ですが、続くっていうことはすごいことだと思います。ありがたく思います。reiko、今朝はすいませんでした。失敗したー。しかし、キミの楽しげな笑顔がムカつきました(笑)。しげの宿をさがして民泊を見つけました。オーナーの聡子さんご夫婦、人柄の良さそうなご夫婦でした。こういう出会いを嬉しく思います。またお世話になります。しげのことで、minaがこまめに連絡くれました。すこし熱がでたようです。幹事は大変だなぁ。お疲れさまでした。17日、八子がしげと会ったのですが、その場に行こうと予定してましたが、体力が尽きて寝てしまいました。しげ、申し訳ございませんでした。そんな集まりの翌日でしたから、朝参詣、募金活動、しげのチェックアウトの立ち会い、局長室会議、もろもろの相談事など、一日びっしりでちょっと大変でしたが、充実していてありがたかったです。

今回の募金活動は急きょ、熊本の震災支援をもりこみました。長薫寺ほか多くのお寺がある地域です。募金がおわって今朝さっそく、熊本と連絡をとりました。募金のお金は公共の団体に寄付しますが、常住寺として熊本のお寺を支援させていただきました。どうぞみなさん、ご無事で、そして早期の復旧をこころよりご祈願させていただきます。

 


記念日

2016年04月01日 | 日記

本日・平成28年4月1日は、佛立開導日扇聖人ご生誕199年です。

つまり、来年・平成29年4月1日が、ご生誕200年の御正当になります。

残すところあと1年数ヶ月。

がんばって、誓願が達成できますように気張って進んでまいります。


4月1日は小僧の出家得度記念日でもあります。

高祖日蓮大菩薩700回ご遠諱の年、4月1日の開導聖人ご生誕日に得度させていただきました。

早いもので、もう35年が経ちました。得度式は、中学1年生の最終日でした。

いまでは、もうすぐ50に手が届いちゃうおっさんですが、初心を忘れずにまいりたいと思う次第です。

上の写真は、当山草創期からの有力ご信者で、元・事務局長の故・杉山六雄氏宅でのお講席で撮影したものです。

時代は、昭和の末ごろかと思われます。

お導師・日豊上人。大奥様。奥様。杉山さん。常功師。高井定吉さん。天野袈裟雄さん。中山又親さん。金子常太郎さん。

泰信師。泰明師。庄村孝道さん。河合伊佐雄さん。山田正次さん。斉藤勝男さん。長瀬洸次さん。今関岩男さん。

吉水幸一さん。金子智昭さん。増田富次さん。三澤新二郎さん。

ボクが朝のお給仕を続けてさせていただくきっかけを作って下さったのは金子常太郎さんで、

泰信師、泰明師の左となりに写っているお方です。みなさん、たいへん可愛がって下さったお役中さんです。

なつかしい写真はさておき、4月2日から新年度です。はりきって佛立開花運動の、残りの期間を進んでまいります。