清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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4月28日

2014年05月02日 | 学び ・ すすめ

去る4月28日、あっくんの13回忌を迎えました。

亡くなったのは、平成14年、750のご正当日でした。

あっくんが18歳、ボクが20歳の時に知り合い、関東学生会でともに活動しました。

行事のお願いと活動報告をしに、渋谷へ上がった帰り道、たまたま支庁室にいらしてたウチの先住とあっくんと、3人で帰った時のことです。

あっくんは満員電車の山手線の中で、人目もはばからずカバンからお拍子木を出して、ウチのお師匠様にそれをみせました。横からのぞくと、めちゃくちゃすり減ったお拍子木を片手に握りしめ、あっくんがこういいました。

「お導師!これ、もうすぐ折れそうです。ボクこれで二丁目なんです。」

お拍子木がすり減ったということは、それだけたくさんお看経があがっているということになります。ですから、頑張って信行ご奉公に励んでいることが一目で分かったワケです。

それを見たお師匠は、たいそうお喜びで、「私なんかなぁ~!もう何十本も、お拍子木を折ったかわからないぞ!!」と仰ったのが印象的でした。

当時の師匠は、第5支庁長でした。信廣会の幹事長もされてました。支庁内で、開導百遠忌の陣頭指揮を執っていらっしゃいました。

それが、弱冠18歳の、出家得度したてのお講師と、電車の中で張り合っていらした。

若い教務さんが頑張っている。これが嬉しくてたまらなかったのだと感じました。そして、折れかけたお拍子木をご覧になり、若き日のご自身をかさねていらしたかも知れません。

そのとき、ボクは会話に入れず蚊帳の外でした。

「お師匠様!かわいい弟子がひとりぼっちですが。。。」

あのときボクは、楽しげに盛り上がっている2人の会話を無言で聞くばかりでしたが、こうやって目に見せて、勧め励ますのが折伏なのだと教わった感があります。当時のボクは、得度していたにせよ、あっくんのような直向きな信心前など遠く及ばない状態でした。ですが、あの場面は忘れられず、いまになっても鮮明に思い出されます。

あの時たしかに、ボクはあっくんから、教化・折伏を受けたのです。はやくも13回忌を迎え、またあの時のことが思い出されます。

教化の功徳己に帰すのですから、次の一生へ向かって、たくさんの功徳をもって歩んで下さい。また次も、功徳を積むことができる環境に生まれ合わせて、今生の分もいっぱい活躍してほしいと、思いを込めてお塔婆を起塔しお看経させていただきました。

ご回向、お塔婆は毎月かかさずお供えしています。ボクが死ぬまで続けます。当たり前かもしれませんが、年々、そういう対象者が増えていきます。ずっとずっと、思いを込めて、お題目をおあげするばかりです。合掌。