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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

「的外れ」な者であることを認めて、神と思いを一つにする生き方へと

2023-02-20 22:45:08 | 聖書から
ダビデは主(神)に言った。
「私は、このようなことをして、
大きな罪を犯しました。
主よ、このしもべの咎(とが)を
取り去ってください。」サムエル記下24:10



私たちが自分の罪(的外れ)を
告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、
その罪(的外れ)を赦し、
あらゆる不正から
清めてくださいます。Ⅰヨハネ1:9



 ルカ5:33~39
 ロマ書3:9~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句2/21;火)



   ―――― ☆ ――――



 ダビデ王は、
部下の反対を押し切って民を数えさせました。
その後で、良心にとがめを感じて、
神に、このように告白したのだそうです。
「私は大きな罪を犯しました」と。



使徒ヨハネは言います。
「もし私たちが自分の罪
(神の創造の目的からの的外れ)を告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪(的外れ)を赦し、
私たちをすべての不義からきよめてくださいます」と。





 パリサイ人(自分たちは
神の律法を守ることに熱心な者だと
自任しているグループの人)たちが、
イエスに言いました。
「(バプテスマの)ヨハネの弟子たちはよく断食をし、
祈りをしています。
パリサイ人の弟子たちも同じです。
ところが、あなたの弟子たちは
食べたり飲んだりしています。」


イエスは彼らに言われました。
「花婿が一緒にいるのに、
花婿に付き添う友人たちに断食させることが、
あなたがたにできますか。
しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、
その日には彼らは断食します。」



イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。
「だれでも、新しい衣から布切れを引き裂いて、
古い衣に継ぎを当てたりはしません。
そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、
新しい衣から取った布切れも古い衣には合いません。

まただれも、新しいぶどう酒を
古い革袋に入れたりはしません。
そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を裂き、
ぶどう酒が流れ出て、革袋もだめになります。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければなりません。

まただれも、古いぶどう酒を飲んでから、
新しい物を望みはしません。
『古い物が良い』と言います。」(ルカ5:33~39)




 また、パウロは書き送っています。
では、どうなるのでしょう。私たち(ユダヤ人)に
すぐれているところはあるのでしょうか。
全くありません。
私たちがすでに指摘したように、
ユダヤ人もギリシャ人も、
すべての人が罪(的外れ)の下にあるからです。

「義人はいない。一人もいない。

悟る者はいない。

神を求める者はいない。

すべての者が離れて行き、
だれもかれも無用な者となった。
善を行う人はいない。
だれ一人いない。」


「彼らの喉は開いた墓。
彼らはその舌で欺く。」
「彼らの唇の下にはまむしの毒がある。」
「彼らの口は、呪いと苦みに満ちている。
「彼らの足は血を流すのに速く、
彼らの道には破壊と悲惨がある。
彼らは平和の道を知らない。」
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」


私たちは知っています。
律法が言うことはみな、
律法の下にある者たちに対して語られているのです。

それは、すべての口がふさがれて、
全世界が神のさばきに服するためです。
なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては
神の前に義と認められないからです。
律法を通して生じるのは罪
(ハマルティア、神の創造の目的からの的外れ)の
意識です(ロマ3:9~20)と。




 パウロが言うように、私たちは、
罪、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に人を造ろう」(創世記1:26)と仰られる、
「愛において、自由意思で自発的に、自分から進んで、
われわれと思いを一つにする者を」と願われた
神の創造の目的から、「的外れ」になって、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)になっている者であることを
認めて、ダビデ王のように、
また、使徒ヨハネが言うように、
その「的外れ」な思いを神の前に差し出し、
聞いていただき、見ていただきながら生きるのですね。
神の赦しの中を。



私たちの身代わりとなられたイエスの
十字架刑での処刑は、すでに完了しているのですから。

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
イエスは死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
自分が確かに生きていることを証明したのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に
復帰されているのですから。



そのイエスがお遣わしくださる【
聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来て、
わたしたちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記してくださるので、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようになり 
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる、
「的に当たった」新しい生き方が
すでに始まっているのですから。


この【聖である霊】と呼ばれる方の働きが、
私に実現しますようにと。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
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愛の心、歌と祈りを捧げる心をいただいて

2023-02-18 23:44:33 | 聖書から
今、わたし(イエス)たちは
エルサエムへ上って行く。
人の子(イエスご自身のこと)について
預言者が書いたことは
みな実現する。ルカ18:31

 

昼は主が私に慈しみを届けてくださり、
夜は私が自らのいのちの神に向かって
歌と祈りを捧げる。詩篇42:9(ド)



イエスは群衆を解散させると、
独りとなり、祈るために山に登られた。
そして日が暮れても、
ただ一人、そこにおられた。マタイ14:23(ド)



 Ⅰコリント13:1~13
 詩篇60(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/19;Ⅲ日曜)


   ―――― ☆ ――――



 イエスは、旧約聖書に預言者が書いてある苦難が
そのまま、自分の身に実現するために、これから
エルサレムに上る、と言われるのですね。


人々から捨てられ、嘲(あざけ)られ、
神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を自分の身に受けるために。





 その、イエスが受けてくださった十字架刑での死によって、
今、私たちは神に近い者としていただき
昼、活動しているときは、
神のいつくしみ、恵みの中でそれをし、
夜、活動を終えたときは賛美の歌と祈りを捧げます。





 イエスが、人里離れた寂しいところに退かれたとき、
大勢の人がイエスの後を追いかけて来ました。



それでイエスは、来た人たちに神のことばを語り、
そのまま、空腹で返らせるのはかわいそうに思われ、
手元にあった五つのパンと二匹の小魚を取り、
感謝の祈りをささげてそれを裂き弟子たちに渡しました。
弟子たちがそれを人々に配り、
男だけで5千人はいた人々を満腹にさせて帰されました。



その後、弟子たちも船に乗り込ませて出発させ、
イエス、ただ独り、山に登られ、
【父である神】との深い交わり、
語らいの時を持たれました。





 使徒パウロは、私たちが
霊的な経験や
霊的な何かができるようになることを求めるよりも、
さらにすぐれ道があることを、
コリントにいるイエスと思いを一つにしながら
生きようとしている人たちに書き送っています。



 「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、
愛がなければ、騒がしいどらや、
うるさいシンバルと同じです。


たとえ私が預言の賜物を持ち、
あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、
たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
愛がないなら、私は無に等しいのです。

たとえ私が持っている物のすべてを分えても、
たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、
愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、苛立(いらだ)たず、
人がした悪を心に留めず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、
すべてを忍びます。



愛は決して絶えることがありません。
預言ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。
私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
完全な者が現れたら、部分的なものはすたれるのです。


私は、幼子であったときには、幼子として話し、
幼子として思い、幼子として考えましたが、
大人になったとき、幼子のことはやめました。
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、
そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。



今、私は一部分しか知りませんが、
そのときには、私が完全に知られているのと同じように、
私も完全に知ることになります。

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、
これら三つです。その中で
一番すぐれているのは愛です」(Ⅰコリント13:1~13)と。





 イエスが受けてくださった十字架刑での死刑と
三日目の死人の中からの新しい霊のからだへの復活、
そして、【父である神】の右の座に復帰された
イエスによって私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。





この方が【父である神】の御思いの私の分を、
私たちの心に置いてくださるので、
私たちにうちに、【父である神】の御思いがあるようになり、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる生き方が
できるようにしてくださるのだそうですから。
神の愛の心があるようにも。


そして、神に向かって賛美と祈りをささげ、
イエスのように、
【父である神】と親しく語り合う者に、と。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

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地の全てのものは、この型の心にあるイメージが具現化したもの、なのですから

2023-02-16 22:55:55 | 聖書から
主よ、あなたの業は
いかに豊かなことか。
あなたは知恵によって
すべてを造られた。
地はあなたの造られたもので
満ちている。詩篇104:24




私たちの主、また神よ。
あなたこそ栄光と誉れと力を受けるに
ふさわしい方。
あなたは万物を造られ、
万物はあなたの御心によって存在し、
また造られたからです。黙示録4:11



 Ⅱテモテ3:(10~13)14~17
 ロマ書2:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/17;金)



   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)の御業は、
なんと多く、豊かなことでしょう。
この方が知恵をもって、
ご自身の思いの中にあるイメージのとおりに
造られたもので、地は満ちているのですから。



それで私たちもこの方を礼拝するのですね。
「あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ、
万物はあなたの御心によって存在し、
創造されたのです」と。





 私たちは、聖書によってそれらのことを知ります。
聖書は、40人ほどの人たちが、約1600年の歴史の流れの中で書いた66巻の書物が集められたものです。



使徒パウロは、この聖書について、
弟子のテモテに書き送っています。
「悪い者たちや詐欺師たちは、だましたり、
だまされたりして、ますます悪に落ちていきます。

けれどもあなたは、
学んで確信したところにとどまっていなさい。
あなたは自分がだれから学んだかを知っており、
また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことも
知っているからです。



聖書はあなたに知恵を与えて、
キリスト・イエスに対する信仰(信頼)による救いを
受けさせることができます。


聖書はすべて神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に
整えられたものとなるためです」(Ⅱテモテ3:13~17)と。





 聖書(パウロ)は言います。
「ですから、すべて他人をさばく者よ。
あなたに弁解の余地はありません。

あなたは他人をさばくことで、
自分自身にさばきを下しています。
さばくあなたが同じことを行っているからです

そのようなことを行う者たちの上に、
真理に基づいて神のさばきが下ることを、
私たちは知っています。

そのようなことを行う者たちをさばきながら、
同じことを行っている者よ。
あなたは神のさばきを免れるとでも思っているのですか。
それとも、神のいつくしみ深さが
あなたを悔い改めに導くこと知らないで、
その豊かないつくしみと忍耐と寛容を
軽んじているのですか。



あなたは、頑(かたく)なで悔い改める心がないために、
神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、
自分のために蓄えています。


神は、一人ひとり、その行いに応じて報いられます。
忍耐をもって善を行い、
栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、
永遠のいのちを与え、

利己的な思いから真理に従わず、不義に従うものには、
怒りと憤りが下されます。



悪を行うすべての者の上には、
ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、苦難と苦悩が下り、

善を行うすべての者には、
ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、
栄光と誉れと平和が与えられます。
神にはえこひいきがないからです。

律法なしに罪を犯した者はみな、律法なしに滅び、
律法の下にあって罪を犯した者はみな、
律法によってさばかれます。

なぜなら、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、
律法を行う者が義と認められるからです。
律法を持たない異邦人が生まれつきのままで
律法の命じることを行う場合は、
律法を持たなくても、
彼ら自身が自分に対する律法なのです。


彼らは、律法の命じる行いが
自分の心に記されていることを示しています。
彼らの良心も証ししていて、
彼らの心の思いは互いに責め合ったり、
また弁明し合ったりさえするのです。

私(パウロが伝える)の福音によれば、
神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、
人々の隠された事柄をさばかれるその日に
行われるのです。」(ロマ2:1~16)





 地は、この方、神である【主】が、
ご自身の持たれたイメージのとおりに造られたもので
満ちていて、
神の栄光をほめたたえ、感謝しています。

そして、聖書は、その神からの啓示の書として、
私たちに神を示してくれるのですね。

私たちも、聖書を通して、
いよいよ、この方を体験する者へと。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

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一羽の雀、私たちの髪の毛の一本一本さえも、心に留めていてくださる方と思いを合わせて

2023-02-15 22:33:06 | 聖書から
苦難の中から私が主に呼びかけると、
主は答えてくださった。ヨナ書2:3



(イエスの言葉)
「それどころか、
あなたがたの髪の毛までも
一本残らず数えられている。
恐れることはない。」ルカ12:7



 Ⅰテサロニケ1:2~10
 ロマ書1:18~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/16;木) 



   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが呼びかけるのを待っていて、
答えてくださる方なのですね。
苦難の中にあるときも。





この方、天の神、【主】は、
一羽の雀さえ、心に留めていてくださるのですが、
それどころか、私たちの神の毛の一本一本さえも
数えていてくださるのだそうですから。



だから、私たちのからだを殺すことができても、
それ以上は何もできない人間を恐れるのではなく、
殺した後に、
ゲヘナ(地獄)に投げ込む権威のある方を恐れなさい、
とイエスは言われるのですね。





 そして、このイエスこそ【御子である神】が人となられた方、
【父である神】が、死者の中からよみがえらせた方、
やがて来る神の怒りから
私たちを救い出してくださる方なのですから。





 使徒パウロはローマにいる
イエスと思いを一つにして生きている人たちに宛てて
書いています。


「というのは、不義によって真理を阻(はば)んでいる人々の
あらゆる不敬虔と不義に対して、
神の怒りが天から啓示されているからです。

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。
神が彼らに明らかにされたのです。

神の、目に見えない性質、
すなわち神の永遠の力と神性は、
世界が創造されたときから被造物を通して知られ、
はっきりと認められるので、
彼らに弁解の余地はありません。


彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、
感謝もせず、
かえってその思いはむなしくなり、
その鈍い心は暗くなったのです。

彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、
朽ちない神の栄光を、
朽ちる人間や、鳥、獣、這(は)うものに似たかたちと
替えてしまいました。



そこで神は、彼らをその心の欲情のままに汚(けが)れに
引き渡されました。
そのため、彼らは互いに自分たちのからだを
辱(はずかし)めています。

彼らは神の真理を偽りと取り替え、
造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。
造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。
アーメン。



こういうわけで、
神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。
すなわち、彼らのうちの女たちは
自然な関係を自然に反するものに替え、
同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、
男同士で情欲に燃えました。
男が男と恥ずべきことを行い、
その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。



また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、
神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。
それで彼らは、してはならないことを行っているのです。
彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、
ねたみ、殺意、争い、欺(あざむ)き、
悪だくみにまみれています。

また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、
人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、
親に逆らい、浅はかで、不誠実で、
情け知らずで、無慈悲です。

彼らは、そのような行いをする者たちが死に値するという
神の定めを知りながら、自らそれを行っているだけでなく、
それを行う者たちに同意もしているのです。」(ロマ1:18~32)





 私たちは、この方を
造り主、神であり、救い主であると認めて、


「神の一人のようになり、
善悪を知る者」になって(創世記3:22)、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26)との、
この方の創造の目的から「的外れ」になってしまっている
私たち自身である
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いを、
イエスの十字架刑での死に合わせていただいて
死んだ者と手続きしていただいている者から
出て来た思いであると認めて、
これをイエスも御前に投げ捨てながら、

イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いと
思いを一つにして生きるのですね。



私たちの髪の毛の一本一本までも
心に留めていてくださり、
私たちが呼びかけるとき、答えてくださるこの方と
思いを合わせながら。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

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驚くべき御業を、再び、する、と

2023-02-14 22:23:29 | 聖書から
それゆえ、わたしは再びこの民を、
驚くべき業によって驚かす。
この民の知恵ある者の知恵は滅び、
悟りある者の悟りは隠される。イザヤ書29:14


群衆は、
口の利けない人がものを言い、
目の見えない人が
見えるようになったのを見て驚き、
イスラエルの神を崇めた。マタイ15:31



 ルカ6:43~49
 ロマ書1:16~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/15;水)

   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
知恵ある者の知恵がないものと思われるような、
悟りのある者の悟りが隠されてしまうような、
驚くべき御業(みわざ)を、再び、行なうと仰るのですね。



その言葉のとおりに、イエスは、
大勢の群衆が、足の不自由な人たち、
目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、
口の利けない人たち、
そのほか多くの人とみもとに連れて来て、
イエスの足もとに置いたとき、
彼らを癒されたのですね。
それで群衆は、それを見て驚き、
イスラエルの神を崇めました。





 また、イエスは言われました。

「良い木が悪い実を結ぶことはなく、
悪い木が良い実を結ぶこともありません。
木はそれぞれ、その実によって分かります。

茨(いばら)からいちじくを採ることはなく、
野ばらからぶどうを摘むこともありません。



良い人は、その良い倉から良いものを取り出し、
悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出します。
人の口は、心に満ちていることを話すからです。


なぜあなたがたは、
わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、
私の言うことを行わないのですか。

わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、
それを行う人がみな、どんな人に似ているか、
あなたがたに示しましょう。
その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、
家を建てた人に似ています。
洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、
しっかりと建てられていたので、びくともしませんでした。

しかし、聞いても行わない人は、
土台なして地面に家を建てた人に似ています。
川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、
その壊れ方はひどいものでした。」(ルカ6:43~49)





 イエスが、「良い木が悪い実を結ぶことはなく、
悪い木が良い実を結ぶこともありません」
と言われたように、
私たちが、いくら、イエスのことば、神のことばを聞いても、
私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊は、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
「悪い木」であって、
自分の理性を神とし、
自分の理性による善悪の判断によって行動し、
自分の誉れを求めるばかりで(創世記3:22)、
神のことばに従うことはしないのですね。

「茨(いばら)がいちじくの実を結ぶことはなく、
野ばらがぶどうの実を結ぶことがないのと同じように。



また、この神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たち自身である〔生まれたときからの私〕
という霊から出てくる善悪の判断で生きることは、
土台なしで、地面に、あるいは、砂の上に、
家を建てるようなものなのですね。



「地面を深く掘って」、
自分の〔生まれたときからの私〕
という霊から出てくる思いは、
神の創造の目的から「的外れ」でしかないことを認めて、


イエスが私たちの身代わりとなって受けてくださった
十字架刑での死刑に合体させていただいて、
処刑が済んでいる者、死んだものと
手続きしていただくのですね。



そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。



そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。



私たちはこの方をお迎えし、
この方に、【父である神】の御思いを心に置いていただき、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにして
いただけるのだそうですから。



それで私たちは、
この【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いで生きる、
人生という建物を建てていく生き方をするように
していただけるのだそうです。



「悪い木」である〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとしていただき、
「良い木」である【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に来る思いで生きる人生を建てていく者、
「岩を土台とする」生き方へ、と。





 この、イエスによる新しい生き方、「良い知らせ」を
当時の地中海世界に伝えたパウロは言います。


「私は福音(イエスによる良い知らせ)を恥としません。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、
信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
福音には神の義が啓示されていて、
信仰(信頼、真実)に始まり信仰に進ませるからです。

『義人は信仰(神への信頼)によって生きる
(信仰による義人は生きる)』と
書いてあるとおりです」(ロマ:16~17)と。





 私たちも、神の驚くべき御業(みわざ)、
自分の〔生まれたときからの私〕
という霊から出てくる思いによって生きていた私たちを、
イエスにを通して来てくださる【聖である霊】によって、
【父である神】の御思いによって生きる、
新しい生き方を生きさせてくださる神に
信頼して、その事実をいただいていくのですね。



驚くべき御業の中を。

今日も。



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