あなたがたはどうして
すべてを逆さにしてしまうのか。
あたかも
粘土が陶工に等しいと言うように、
作品が自分の作者について
「彼は私を造っていない」と言い、
彫像が自らの造り手について
「彼は何も理解していない」
などと言うのか。イザヤ書29:16(ド)
実に、
私たちは神の作品であって、
善い行いをするために
キリスト・イエスにあって
造られたのです。エフェソ書2:10
黙示録1:(9~11)12~18
創世記18:1~15(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句2/3;金)
―――― ☆ ――――
陶器を造る粘土が、自分は陶工と同じだと思い、
陶工が造った作品が自分を造った者などいないと言う、
また、彫像が自分を造った者について、
「彼は何も理解していない。わきまえていない」
などと言うのは、
ものを逆さに考えていることだと、
私たち人間の造り主である神は言われるのですね。
パウロは言います。
「実に、私たち人間は神の作品であって、
良い行いをするために、
【神のことば】と呼ばれるイエス・キリストによって
造られたのです」と。
このイエスは、
人間として人の世におられたときには、
イザヤ書53:2~3に記されているように、
「彼には見るべき姿も輝きもなく、
私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑(さげす)まれ、
人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑(さげす)まれ、
私たちも彼を尊ばなかった」のですが、
十字架につけられ、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスの
今の姿を見た使徒ヨハネは、書き記しているのですね。
「私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。
振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。
その方は、足まで垂れた衣を身にまとい、
胸に金の帯を締めていた。
その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、
その目は燃える炎のようであった。
その足は、
炉で精錬された、光り輝く真鍮(しんちゅう)のようで、
その声は大水のとどろきのようであった。
また、右手に七つの星を持ち、
口から鋭い両刃の剣が出ていて、
顔は強く照り輝く太陽のようであった。
この方を見たとき、私は死んだ者のように、
その足もとに倒れ込んだ。
すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。
「恐れることはない。
わたしは初めであり、終わりであり、
生きている者である。
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死とよみの鍵を持っている。」(黙示録1:12~18)と。
だから、私たちが天に召されたときお会いするイエスは、
地上におられたときのイエス、
十字架に架けられているイエスではなく、
このヨハネが見たように、
【神の子】の栄光に輝くイエスなのですね。
「私に造り主などいない。
私は自然に生まれて来たんだ」と言っている人も、
造り主の側におられるこのイエスの前に立って
弁明をすることになるのだそうですから。
逆さに考えていたことの大恥をかくことになって。
私たち人間を造られた方は、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と仰られて、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
神話の神々のように自分の思いどうりにすることを求め、
争い合うのではなく、
愛し合い、相手を大切に思い合う方なのですね。
その愛において、自由意思で、自発的に、
自分から進んで、
「自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが成ること」を願って、
思いを一つにしておられる方。
イエスが【父である神】とご自分との関係について
言っておられるとおりに。
(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)
そして、その相手を大切に思う愛において、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
その、思いを一つにする者として、
私たちは造られているのだそうです。
だから、「私に造り主などいない」という
逆さの考えを捨てて、
この方と思いを一つにして生きる生き方に返るのですね。
私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記そうと、
【聖である霊】と呼ばれる方は、
イエスを通して来てくださっているのですから。
今日も。
~~~~~~~~~~~~~~
(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈クリスチャンの結婚相談所
https://lita-marriage.com〉
〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
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すべてを逆さにしてしまうのか。
あたかも
粘土が陶工に等しいと言うように、
作品が自分の作者について
「彼は私を造っていない」と言い、
彫像が自らの造り手について
「彼は何も理解していない」
などと言うのか。イザヤ書29:16(ド)
実に、
私たちは神の作品であって、
善い行いをするために
キリスト・イエスにあって
造られたのです。エフェソ書2:10
黙示録1:(9~11)12~18
創世記18:1~15(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句2/3;金)
―――― ☆ ――――
陶器を造る粘土が、自分は陶工と同じだと思い、
陶工が造った作品が自分を造った者などいないと言う、
また、彫像が自分を造った者について、
「彼は何も理解していない。わきまえていない」
などと言うのは、
ものを逆さに考えていることだと、
私たち人間の造り主である神は言われるのですね。
パウロは言います。
「実に、私たち人間は神の作品であって、
良い行いをするために、
【神のことば】と呼ばれるイエス・キリストによって
造られたのです」と。
このイエスは、
人間として人の世におられたときには、
イザヤ書53:2~3に記されているように、
「彼には見るべき姿も輝きもなく、
私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑(さげす)まれ、
人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑(さげす)まれ、
私たちも彼を尊ばなかった」のですが、
十字架につけられ、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスの
今の姿を見た使徒ヨハネは、書き記しているのですね。
「私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。
振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。
その方は、足まで垂れた衣を身にまとい、
胸に金の帯を締めていた。
その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、
その目は燃える炎のようであった。
その足は、
炉で精錬された、光り輝く真鍮(しんちゅう)のようで、
その声は大水のとどろきのようであった。
また、右手に七つの星を持ち、
口から鋭い両刃の剣が出ていて、
顔は強く照り輝く太陽のようであった。
この方を見たとき、私は死んだ者のように、
その足もとに倒れ込んだ。
すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。
「恐れることはない。
わたしは初めであり、終わりであり、
生きている者である。
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死とよみの鍵を持っている。」(黙示録1:12~18)と。
だから、私たちが天に召されたときお会いするイエスは、
地上におられたときのイエス、
十字架に架けられているイエスではなく、
このヨハネが見たように、
【神の子】の栄光に輝くイエスなのですね。
「私に造り主などいない。
私は自然に生まれて来たんだ」と言っている人も、
造り主の側におられるこのイエスの前に立って
弁明をすることになるのだそうですから。
逆さに考えていたことの大恥をかくことになって。
私たち人間を造られた方は、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と仰られて、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
神話の神々のように自分の思いどうりにすることを求め、
争い合うのではなく、
愛し合い、相手を大切に思い合う方なのですね。
その愛において、自由意思で、自発的に、
自分から進んで、
「自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが成ること」を願って、
思いを一つにしておられる方。
イエスが【父である神】とご自分との関係について
言っておられるとおりに。
(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)
そして、その相手を大切に思う愛において、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
その、思いを一つにする者として、
私たちは造られているのだそうです。
だから、「私に造り主などいない」という
逆さの考えを捨てて、
この方と思いを一つにして生きる生き方に返るのですね。
私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記そうと、
【聖である霊】と呼ばれる方は、
イエスを通して来てくださっているのですから。
今日も。
~~~~~~~~~~~~~~
(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈クリスチャンの結婚相談所
https://lita-marriage.com〉
〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
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