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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

烏を養っておられる方は、私たちも

2017-01-20 08:04:01 | 聖書から
財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは、

  乏しくても主を畏れる方がよい。箴言15:16




 烏のことを考えてみなさい。

種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。

だが、神は烏を養ってくださる。

あなたがたは、烏よりも

どれほど価値があることか。ルカ12:24




 エレミヤ書14:1~9

 ルカ6:17~26(通読箇所)

    (ローズンゲン日々の聖句1/20:金)




 野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる(箴言15:17)のだそうです。




 私たちは、何を食べようか、何を着ようかと心配する者です。

また、老後のことを心配して、ものを抱え込むことで安心だと考えます。




 けれども、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉も持たない烏を養っておられる方が言っておられます。




 「何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と

探し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。

 あなたがたの天の父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。

 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。


そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます」(ルカ12:22~31新改訳)と。




この方は、さらにおっしゃられます。




「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたの者だから。




いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。




いま泣くの者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから」(ルカ6:20~21)と。




この幸いにあずかるのですね。私たち。

今日も。



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不法、破壊、崩壊は、救い、栄誉に取り替えていただけて

2017-01-19 08:14:31 | 聖書から
あなたの地は再び不法を耳にすることなく、

破壊と崩壊は領土のうちから絶える。

あなたの城壁は「救い」と、

城門は「栄誉」と呼ばれる。イザヤ書60:18




 預言者ヨハネの手紙:

そのとき、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、

神が人と共に住み、人は神の民となる。」黙示録21:3




 使徒15:22~31

 ルカ6:12~16(通読箇所)

      (ローズンゲン日々の聖句1/19:木)





 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が共に住み、人がその方の民となるとき、民の間から不法はなくなり、破壊と崩壊は救いと栄誉に取り換えていただけるのだそうです。

 今の、この人間の歴史が終わり、新しく始まるその世界は、そのような世界なのだそうです。




 けれども、今も、この神の国は、あのイエスによって、この人間の歴史の中に突入して来ているのだそうです(ルカ11:20、17:20~21)。




 今から2000年ほど前のこと、ユダヤの地で、

最初からのご計画のとおりに、

〔独り子なる神〕と呼ばれる方が、

〔女の子孫〕として(創世記3:15)、

ダビデ王の家系の人間イエスとして、

人の世に来られ(ヨハネ1:14)たのだそうです。




 そして、およそ33歳の頃、

〔救い主、キリスト〕として

すべての人のすべてのそむきの罪の責任をご自身に負って十字架刑での処刑を受けてくださり、

罪の人の世に〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られても大丈夫なように、

人が滅びてしまわないようにしてくださったのだそうです。




 そのうえで、受け入れる者に、この方、〔聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです(ヨハネ14:16、使徒2:1~4、39)。




 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られ、

受け入れる者のうちに住んでくださり、

受け入れる者の心に〔父である神〕の、私たちひとりひとりに思っておられる御思いを置いてくださるとき、

受け入れる者はこの部分において、

〔父である神〕と同じ思いを思い、一つ心にしていただけるのだそうです(エゼキエル36:25~31)。




 それで、この〔御思い〕に導かれて進む者は(ガラテヤ5:24~25)、

心を一新していただけて(ロマ12:2)、

〔御霊の実〕と呼ばれる「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を心に持つ者にしていただけるのだそうです(ガラテヤ5:22)。




 それで、文字による〔律法〕のしばりによらないで、

その〔律法の要求〕を満足させる者としていただけるのだそうです。




 私たちも、〔聖である霊〕と呼ばれる方が共に住んでくださるとき、私たちの内にある不法、破壊、崩壊は、〔救い〕、〔栄誉〕に取り換えていただけるのだそうです。

今日も。








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喜び踊るのだそうです

2017-01-17 22:30:11 | 聖書から
いかに幸いなことか。
ヤコブの神を助けと頼み、
主なるその神を待ち望む人は。詩編146:5

 パウロの手紙:
私は自分が信頼している方を知っており、
私にゆだねられているものを、
その方がかの日まで守ることがおできになると
確信しています。Ⅱテモテ1:12

 ロマ9:31~10:8
 ルカ5:33~39(通読箇所)
      (1/17;火)

私は主によって喜び、
わが救いの神のゆえに踊る。ハバクク書3:18

 宦官は喜びにあふれて
旅を続けた。使徒8:39

 ガラテヤ書5:1~6
 ルカ6:1~11(通読箇所)
      (ローズンゲン日々の聖句1/18;水)

 エルサレム神殿での礼拝の帰り道の馬車の中で、
エチオピア女王カンダケの高官で宦官のエチオピア人は、イザヤ書53章を呼んでいたのだそうです。

 そこには次のように書かれていたのですね。
「ほふり場に連れて行かれる羊のように、
また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
彼は口を開かなかった。
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。
彼の時代のことを、だれが話すことができようか。
彼のいのちは地上からとりさられたのである」(使徒8:32~33新改訳)と。

 ピリポの解説によって、それがイエスのことであると悟った宦官は、
イエスを自分の救い主として受け入れたしるしとしてのバプテスマ(洗礼)を受け、
喜びにあふれてエチオピアに帰ったのだそうです。

 そのように、イエスに依り頼む者は、律法の拘束から解放され、自由にされて(ガラテヤ5:1~6)、
喜び踊るようにしていただけるのだそうです。
今日も。
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「わたしは初めであり、終わりである」と言われる方が

2017-01-16 09:52:08 | 聖書から

わたしは始めであり、終わりである。

わたしをおいて神はない。イザヤ書44:6




 私は御父の前にひざまずいて祈ります。

御父から、

天にあるすべての家族がその名を与えられています。エフェソ書3:14~15




 申命記4:5~13

 ルカ5:27~32(通読箇所)

      (ローズンゲン日々の聖句1/16:月)




 「わたしが初めからいる者。終わりにもいる者である」、

「このわたしが、人間の歴史を、

そして、この宇宙の歴史を始めた者、

また、終わらせる者である」と言われる方がいるのだそうですね。




 その方が言わるのだそうです。

「わたしが永遠の民を起こしたときから、

だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。

これをわたしの前で並べ立ててみよ。

彼らに未来の事、来たるべき事を告げさせてみよ。




恐れるな、おののくな。

わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げて来たではないか。

あなたがたはわたしの証人。

わたしのほかに神があろうか。

ほかに岩はない。わたしは知らない。




偶像を造る者はみな、むなしい。

彼らの慕うものは何の役にも立たない。

彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。

彼らはただ恥を見るだけだ。




だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、

偶像を鋳たのだろうか。

見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。

それを細工した者が人間にすぎないからだ。

彼らはみな集まり、立つがよい。

彼らはおののいて共に恥を見る」(イザヤ44:7~11)と。




 

 この方が、家族と呼ばれるすべてものの名を与え、

私たちひとりひとりを名をもって呼んで下さるのだそうです。

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:17)と。




 私たち、イスラエルの国から除外され、

約束の契約については他国人であり、

神を知らないものでした。




 けれども、イエスによって、

イエスが受けられた十字架刑での処刑に合わせていただき、

わたし自身である〔生まれたときからの霊〕を

処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。




 墓に葬られたイエスは、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、

オリーブ山から、弟子たちの見ている前で

天の〔父である神〕の右の座、

〔御子である神〕の位に帰られたのだそうです。




 そして、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。




 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、受け入れる者の心に、

〔父である神〕が、ひとりひとりに思っておられる御思いを置いてくださり、書きしるしてくださるのだそうです(エゼキエル36:25~27)。




それで、受け入れる者は、この部分において

〔父である神〕の御思いと同じ思いを思う者としていただけて、

もし、その御思いのように行動するなら、

〔父である神〕が私を通してしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです(ヨハネ14:12)。




神の子、神の家族としていただけ、

この方を「父よ」と呼ぶ身分を与えていただいて。




 それで、このようにしていただいている者は、

国々の民に、神の知恵と悟りを示すことになり、

「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ」と言われるようになるのだそうです。

「このような正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、

いったい、どこにあるだろう」とも(申命記4:6~8)。

 

これを受け取って欲しいと、天の神、主は懇願しておられるのだそうです。今日も。


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互いに愛し合う心も与えていただいて

2017-01-15 08:44:23 | 聖書から
律法はモーセを通して与えられたが、

  恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた。ヨハネ1:17(1/15の週の聖句)




 我々は皆、唯一の父を持っているではないか。

我々を創造されたのは唯一の神ではないか。

なぜ、兄弟が互いに裏切るのか。マラキ書2:10




 互いに愛し合うならば、それによって

あなたがたがわたしの弟子であることを、

皆が知るようになる。ヨハネ13:35




 ヨハネ2:1~11

      (ローズンゲン日々の聖句1/15:Ⅲ日)




 詩編4編(通読箇所)







 あのイエスは、初めから〔父である神〕と共におられて、

〔父である神〕と共に天地創造に関わられた

〔御子である神〕なのだそうです(ヨハネ1:1~3、14)。




 私たちは、この方の満ち満ちた豊かさの中から、

恵みの上にさらに恵みをいただけるのだそうです。




 私たち、私たち自身である〔生まれたときからの霊〕は、

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて(創世記3:5、22)、身近な人たちの中にあっても、互いに裏切り合う者です。




 けれども、神からの恵みによって、あのイエスの十字架刑での処刑を、この裏切り合う自分自身の〔生まれたときからの霊〕の処刑としていただけるのだそうです。




 さらに、復活し、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスは、もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。




そして、この方によって、受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いを書きしるしてくださるのだそうです。




 それで、この方を受け入れ、その御思いについていく者は、御思いのとおりに、互いに愛し合う思いが心に来るようにしていただけるのだそうです。この新しい週も。


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