【2017年の聖句】
わたしはお前たちに新しい心を与え、
お前たちの中に新しい霊を置く。エゼキエル書36:26
【ローズンゲン1月の聖句】
お言葉ですから、
網をおろしてみましょう。ルカ5:5
【1/1の週の聖句】
すべてを主イエスの名によって行い、
イエスによって父である神に感謝しなさい。コロサイ書3:17
【ローズンゲン日々の聖句1/1;日・祝】
全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。
主はすべての心を探るからである。歴代誌上28:9
平和の神が、 御心に適うことを
イエス・キリストによって私たちにしてくださり、
御心を行うために、
すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。
栄光が世々限りなくキリストにありますように。ヘブル書13:20~21
ルカ4:16~21
詩編104
【1/2:月・祝】
あなたは正しく行動されました。
あなたは忠実に行動されました。
しかし、私たちは背いてしまいました。ネヘミヤ記9:33
神の慈しみと、人間に対する愛が現れたときに、
神は、私たちが行った義の業によってではなく、
ご自分の憐れみによって、
私たちを救ってくださいました。テトス書3:4~5
ヨシュア記24:1~2a、13~18、25~26
ルカ3:1~6
天の神、主、「わたしはある」という者、と名乗られる方は、
私たちの中に新しい霊として、
「わたしの霊」と言われる「聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、住まわせると仰るのですね。
そして、この方によって私たちに「新しい心」を与えると。「
新しい心」、この「聖である霊」と呼ばれる方によって、
ご自身が私たちひとりひとりに思ってくださっている御思いを
私たちの心に置き、書きしるし、
私たちの心が御自身から来る思いで満ちるようにすると。
ペテロは、ガリラヤ湖の漁師で、
今までずっとこのガリラヤ湖で漁師をしていたのですね。
そのペテロが今までの経験を駆使して、
一晩中、網を打ってみたが何一つ取れなかった。
失望と落胆と疲れた中で網を洗っていた。
そこへ、大工で、漁などしたこともないはずのイエスが、
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」と言う。
「先生。私たちは、夜通し働きましたが何一つとれませんでした。」と答えるペテロ。
「この真昼間に網を打つ。そんなことをしても無駄ですよ」と思ったのでしょうね。
けれども、その、自分の霊から来る思いによってではなく、
ともかく、「お言葉ですから」と、
イエスの言葉のように行動したのだそうです。
そして、その結果は、網が破けそうになるほどの魚がとれた。
そのように、神は、私たちの心に来た御心を行えるよう、そのために必要なものを、前もって準備していてくださるので、御思いについて行ってみれば、神の栄光の御業を経験することになるというのですね。
私たちが正しいから、それにあずかるのにふさわしいからではなく、
全くふさわしくないのに、
神様の側の一方的な憐れみによって、
このことにあずからせていただけるのだそうです。
この新しい年も。
新年 おめでとうございます。
今年も、ドイツの「ヘルンフート兄弟団原著、「テスダ奉仕女母の家」日本語訳発行の「ローズンゲン『日々の聖句』」から、聖書のことばを紹介していきたいと思います。
前半は、「日々の聖句」本文ですが、
後半は、私自身が受けたことなどを書き加えたものなので、
適宜、取捨選択してお読みいただければ幸いです。
本文の聖句は、「新共同訳聖書」ですが、
私は「新改訳聖書第3版」で書いていますので、ややこしくなっていたりするかもしれませんが、お許し下さい。
よろしくお願いします。 菅 佐知男
イメージ 1
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わたしはお前たちに新しい心を与え、
お前たちの中に新しい霊を置く。エゼキエル書36:26
【ローズンゲン1月の聖句】
お言葉ですから、
網をおろしてみましょう。ルカ5:5
【1/1の週の聖句】
すべてを主イエスの名によって行い、
イエスによって父である神に感謝しなさい。コロサイ書3:17
【ローズンゲン日々の聖句1/1;日・祝】
全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。
主はすべての心を探るからである。歴代誌上28:9
平和の神が、 御心に適うことを
イエス・キリストによって私たちにしてくださり、
御心を行うために、
すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。
栄光が世々限りなくキリストにありますように。ヘブル書13:20~21
ルカ4:16~21
詩編104
【1/2:月・祝】
あなたは正しく行動されました。
あなたは忠実に行動されました。
しかし、私たちは背いてしまいました。ネヘミヤ記9:33
神の慈しみと、人間に対する愛が現れたときに、
神は、私たちが行った義の業によってではなく、
ご自分の憐れみによって、
私たちを救ってくださいました。テトス書3:4~5
ヨシュア記24:1~2a、13~18、25~26
ルカ3:1~6
天の神、主、「わたしはある」という者、と名乗られる方は、
私たちの中に新しい霊として、
「わたしの霊」と言われる「聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、住まわせると仰るのですね。
そして、この方によって私たちに「新しい心」を与えると。「
新しい心」、この「聖である霊」と呼ばれる方によって、
ご自身が私たちひとりひとりに思ってくださっている御思いを
私たちの心に置き、書きしるし、
私たちの心が御自身から来る思いで満ちるようにすると。
ペテロは、ガリラヤ湖の漁師で、
今までずっとこのガリラヤ湖で漁師をしていたのですね。
そのペテロが今までの経験を駆使して、
一晩中、網を打ってみたが何一つ取れなかった。
失望と落胆と疲れた中で網を洗っていた。
そこへ、大工で、漁などしたこともないはずのイエスが、
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」と言う。
「先生。私たちは、夜通し働きましたが何一つとれませんでした。」と答えるペテロ。
「この真昼間に網を打つ。そんなことをしても無駄ですよ」と思ったのでしょうね。
けれども、その、自分の霊から来る思いによってではなく、
ともかく、「お言葉ですから」と、
イエスの言葉のように行動したのだそうです。
そして、その結果は、網が破けそうになるほどの魚がとれた。
そのように、神は、私たちの心に来た御心を行えるよう、そのために必要なものを、前もって準備していてくださるので、御思いについて行ってみれば、神の栄光の御業を経験することになるというのですね。
私たちが正しいから、それにあずかるのにふさわしいからではなく、
全くふさわしくないのに、
神様の側の一方的な憐れみによって、
このことにあずからせていただけるのだそうです。
この新しい年も。
新年 おめでとうございます。
今年も、ドイツの「ヘルンフート兄弟団原著、「テスダ奉仕女母の家」日本語訳発行の「ローズンゲン『日々の聖句』」から、聖書のことばを紹介していきたいと思います。
前半は、「日々の聖句」本文ですが、
後半は、私自身が受けたことなどを書き加えたものなので、
適宜、取捨選択してお読みいただければ幸いです。
本文の聖句は、「新共同訳聖書」ですが、
私は「新改訳聖書第3版」で書いていますので、ややこしくなっていたりするかもしれませんが、お許し下さい。
よろしくお願いします。 菅 佐知男
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