朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

労苦と悩みに目を留めていてくださるのだそうですね。あの方が

2015-10-26 08:19:03 | 聖書から
神は、
 私の労苦と悩みを目に留められました。創世記31:42

マリアの言葉
「私の魂は主をあがめ、
私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。」ルカ1:46~48


      (ローズンゲン日々の聖句10/26;月)

  兄エサウから、長子の権を奪い、父イサクが老齢で目が見えなくなっていることをいいことにして、兄のふりをして父をだまし、祝福(家督相続の権利)を奪ってしまったふたごの弟のヤコブ。
 兄の怒りを恐れて、ハラン(メソポタミアの北西部、ユーフラテス川の上流、シリアとトルコの国境のあたり)の母リベカの実家へのがれ、伯父ラバンのもとで20年間を過ごしたヤコブ。
叔父ラバンは、ヤコブに、報酬を与えたくなかったようですが、天の神、主がヤコブとともにおられて、ヤコブの労苦と悩みを見ておられ、ヤコブを祝福し、息子を12人、羊などの多くの財産と使用人を与えて、カナン(今のイスラエル)の地に返されたのだそうです。

 二つ目の言葉は、聖母マリアと仰がれる人の言葉なのですね。これ。
 天の神、主は、ナザレというユダヤでは評判のよくないへんぴな村里に住む、身分の低い(ダビデ王の家系ではありましたが)、貧しい一人の女性に目を留め、救い主、キリストの母として選ばれたのだそうです。
 およそ2000年ほど前、苦難の中にあったヨブが、「私は知っている。私を贖(あがな)う方は生きておられ、後の日に、ちりの中に立たれることを」(ヨブ19:25)と叫んだとおりに。

 天の神、主は、私たちとともにおられて、私たちの労苦と悩みに目を留めてくださっているのだそうですね。
「知恵のある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を、この世の取るに足りないものや見下されている者を、あえて選んで、用いてくださるのだそうですね(Ⅰコリント1:27~28)。
今日も。


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安心していていいのだそうです。暗闇でも、光りが見えないときでも。

2015-10-24 22:58:39 | 聖書から
悪に負けることなく、
 善をもって悪に勝ちなさい。ロマ書12:21(10/25の週の聖句)

お前たちのうちにいるであろうか。
 闇の中を歩くときも、光りのないときも
  主の御名に信頼する者が。イザヤ書50:10


イエスはすぐ弟子たちに話しかけられた。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」マタイ14:27

      (ローズンゲン日々の聖句10/25;日)

 あの方は使徒パウロを通して仰るのですね。
「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復習してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたら飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになります」(ロマ12:17~20)と。

 天の神、主は、私たちがどんな状況の中にいるときでも、見守っていてくださるのだそうです。それで、真っ暗やみのような状態、光りが見えず、希望がないかのように見えるときにも、「安心しなさい。わたしがいっしょにいるから」と声をかけてくださるのだそうです。
だから、安心していていいのだそうですね。
今日も。


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あなたを愛している、その愛の中にとどまっていてほしいのだそうです。あの方

2015-10-23 21:41:33 | 聖書から
あなたたちは、あなたたちの神、主に従い、
 これを畏れ、その戒めを守り、御声を聞き、
  これに仕え、これにつき従わねばならない。申命記13:5

わたしの命じることを行うならば、
 あなたがたはわたしの友である。ヨハネ15:14


      (ローズンゲン日々の聖句10/24;土)

 心を尽くし、精神を尽くして誰かを愛する者は、その相手の思いが成ることを願うのだそうですね。
自発的に、喜びをもって。
それで、その相手を敬い、そのことばのとおりにしていきたいと願い、その相手の役に立ちたいと思うようになるのだそうです。
愛があるから、友情があるから、自然に、自発的に、そうなるのですね。

 天の父と呼ばれる方が、御子である方を愛しておられ、御子である方が、その愛の中にとどまっていて、父である方の思っておられるとおりに生きたいと願っておられるように、御子である方が私たちを愛してくださっていて、私たちがその愛で愛されている場にとどまっているなら、私たちは、御子である方の思っておられるように生きたいと、自然に、自発的に、願うようになるのだそうです.

 イエスが命じることを行ったから、イエスの友となるのではなく、イエスの友としていただいているから、イエスが仰られることをそのまま行っていきたいと願うようになる、ということのようですね。(ヨハネ15:9~15)。

 イエスの十字架刑での処刑を通して、受け入れる者のうちに来て下さる「聖である霊」と呼ばれる方は、「天の父」と呼ばれる方の、私たち一人一人を大事に大事に思っていて下さるという、その御思いで、私たち一人一人を、すっぽりとおおってくださり、その御思いの中に沈めてくださり、漬け込んでくださるのだそうです。
今日も。


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天地が滅びても、この方のことばは残るのだそうです。とこしえに

2015-10-23 07:30:43 | 聖書から
主の企ては
 とこしえに立つ。詩編33:11

天地は滅びるが、
 わたしの言葉は決して滅びない。マタイ24:35

      (ローズンゲン日々の聖句10/23;金)

 天の神、主のご計画は、目先のものではなく、永遠という世界を見据えた計画なのだそうですね。

この天地、宇宙は終わる時が来ても、この方の御思いは続いていき、成って行くのだそうです。

 詩篇33篇の作者はうたいます。
「新しい歌を主に向かって歌え。
喜びの叫びと共に、巧みに弦をかき鳴らせ。
まことに、主のことばは正しく、
そのわざはことごとく真実である。
主は正義と公正を愛される。
地は主の恵みで満ちている。

主のことばによって、天は造られた。
天の万象もすべて、御口のいぶきによって。
主は海の水をせきのように集め、
深い水を倉に収められる。
全地よ。主を恐れよ。
世界に住む者よ。みな、主を前におののけ。

まことに、主が仰せられると、そのようになり、
主が命じられると、それは堅く立つ。
主は国々のはかりごとを無効にし、
国々の民の計画を無効にされる。
主のはかりごとはとこしえに立ち、
御心の計画は代々に至る。
幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。
主が御自身のものとしてお選びになった
その民は。

見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。
その恵みを待ち望む者に。
彼らのたましいを死から救い出し、
ききんのときにも
彼らを生きながらえさせるために。
私たちのたましいは主を待ち望む。
主は、われらの助け、我らの盾。
まことに私たちの心は主を喜ぶ。
私たちは、聖なる御名に信頼している。

主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。
私たちがあなたを待ち望んだときに。(詩編33篇より、新改訳)

今日も。

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国々でさえも、てんびんの上の埃の一粒のよう、なのだそうです。あの方から見れば

2015-10-21 22:52:25 | 聖書から
見よ、
 国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、
  天秤の上の塵と見なされる。イザヤ書40:15

私はまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。
 この天使は、地上に住む人々、
  あらゆる国民、種族 、言葉の違う民、民族に
  告げ知らせるために、

   永遠の福音を携えて来た。黙示録14:6


      (ローズンゲン日々の聖句10/22;木)




 天の神、主からみると、国々は一滴のしずくのよう、
あるいは、秤の上の埃の一粒のようだと。

 イザヤは言うのですね。
「だれが、手のひらで水を量り、
手の幅で天を推し量り、
地のちりを枡に盛り、
山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。
だれが主の霊を推し量り、
主の顧問として教えたのか。
主はだれと相談して悟りを得られたのか。
だれが公正の筋道を主に教えて、 知識を授け、英知の道を知らせたのか。
見よ。国々は、手おけの一しずく、
はかりの上のごみのようにみなされる。
見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げられる。
レバノンも、たきぎにするには、足りない。
その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
すべての国々も主の前では無いに等しく、
主にとっては
むなしく形もないものとみなされる。

  ~ ~ ~

あなたがたは知らないのか。聞かないのか。
初めから、告げられなかったのか。
地の基がどうして置かれたかを
悟らなかったのか。
主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。
地の住民はいなごのようだ。
主は天を薄絹のように延べ、
これを天幕のように広げて住まわれる。
君主たちを無に帰し、
地のさばきつかさをむなしいものにされる。
彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、
やっと地に根を張ろうとするとき、
主はそれに風を吹き付け、彼らは枯れる。
暴風がそれを、わらのように散らす。
『それなのに、わたしをだれになぞらえ、
だれと比べようとするのか』と
聖なる方は仰せられる。
目を高く上げて、
だれがこれらを創造したかを見よ。
この方は、その万象を数えて呼び出し、
ひとつひとつ、その名をもって、呼ばれる。
この方は精力に満ち、その力は強い。
一つももれるものはない。」(イザヤ40:12~26新改訳)

 この方の御前に歩むのですね。私たち。
今日も。


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