朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

祝福していただけるのですね。イエスの功績によって。私たちも。

2015-03-29 22:17:56 | 聖書から
天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろして、
あなたの民イスラエルを祝福してください。申命記26:15







ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放してくださった。ルカ1:68




      (ローズンゲン日々の聖句3:30;月)




 旧い契約の時には、主の御声に聞き従い、すべて、主が命じられたとおりにして、初めて、祝福を願うことができたようですね(申命記26:14)


けれども、祝福を願いでる資格のある者は一人もいなかったのだそうです。




 天の神、主が用意してくださったもう一つの道、恵みの道では、自分の側にはなんの功績も資格もない者がイエスの功績によって、祝福の恵にあずかることができるのだそうです。

 まず、御子である方が民を訪れて下さり、民の罪を全部引き受けて十字架に架かって下さり、私たちの罪を処分してくださいました。
 そのうえで、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方が来て下さって一人一人の心を一新して下さるのだそうです。
この方の働きで御父が思っておられる同じ思いを私たち一人一人が願うようになるのだそうです。
まず、私たち自身が祝福をいただき、次に、私たちの周りにいる人に祝福が及ぶようになるのだそうです(創世記12:2~3)。
今日も。


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帰る道を用意して下さっているのだそうです。あの方。

2015-03-29 09:40:35 | 聖書から
人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:14〜15
                   (今週の聖句)






大地を造り、その上に人間を創造したのはわたし。イザヤ45:12







私たちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、
万物はこの神から出、私たちはこの神へ帰って行くのです。Ⅰコリ8;6



              (ローズンゲン日々の聖句3/29;日)






 人間を造ろうと思い立ち、この天地、宇宙、この自然界を人間の住まいとして創造したのはわたしだとおっしゃる方がおられるのですね。
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記2:26)と。
天使のように仕える者としてではなく、自由意思でもって、自分からすすんで愛し合う、相手のことを大切に思い合う関係のものとして。




 でも、そのとき、予測されていたのだそうです。
人はその自由意思のゆえに、愛し合う関係、相手の思っていることを大切にし、相手の思いが実現していくことを願うことよりも、自分が一番になり、自分の思いを優先させ、自分の思いが実現することを願う者になるであろうことが。




 それで、それでもなお、人を造るかどうかが討議されたようですね。
そのとき、聖である霊と呼ばれる方が提案されたのでしょうか。
「もし、人がわたしを願うなら、わたしがその人のうちに行って、御父の思っていらっしゃることをその人の心に置き、その御思いをその人の心に書き付けることにしましょうか」と。




 ただ、それでも、問題が残っていたのだそうです。
なぜなら、聖である方が、反逆している者のところに来れば、反逆し、的外れになっている者は滅びてしまうのだそうですから。




 それで、今度は、御子である方が提案されたのですね。
「もし、人間がそのように反逆し、的外れになったなら、わたしが人の世に行って、人間の反逆の罪をかぶり、身代わりになって処刑されましょう。わたしが処刑され、人間の反逆、的外れの罰が残りなく処分されたなら、聖霊様、どうぞ、あなたがあなたを望む人間のところに行ってやって下さい」と。




 そういうことが確認されたうえで、この天地宇宙を創造し、人を創造することになったようですね。

 そして、人間は、予想されていたとおりに、神様と愛し合い、思いを一つにしていく在り方を嫌い、「われわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった」ので(創世記3:22)、御子である方が処刑されるご計画が確定してしまったようです。




 イエスが、ゲツセマネの園で、死ぬほどの思いで「わが父よ、。できますならば、この杯(人類の罪を背負って反逆者として処刑されること)をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」と祈られ、実際に、12弟子のひとり、イスカリオテのユダが大祭司の手下と共に自分を捕えに来たとき、剣を持って立ち向かったペテロをとどめて、「剣をもとに納めなさい。剣を取る者は剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下にに置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう」(マタイ26:52~54)と言われた裏には、このような事情があったようです。




 イエスは、ご計画のとおりに、御父の御思いに従って十字架刑で天と地の間に上げられ、私たちすべての人間の罪を背負って犯罪人として死んで下さいました。
そして、三日目、日曜日の早朝、復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、教えたのち、天の父である方の右の座に帰って行かれました。

 そして、そのことが成った今、御子イエスに代わって、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方が、願う者のところに来て下さり、御父が一人一人に思っておられる御思いを心に書き付けて、御父と一つ思いになって歩むようにして下さる道が開けているのだそうです。
まさしく、私たちも、御父の御思いから生まれ出、御父のもとへ帰って行かせて下さるのですね。
今日も。












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