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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

帰って来てほしいのだそうです。私たちにも

2014-11-13 23:56:03 | 聖書から
主なる神は言われる。

悔い改めて、お前たちの偶像から離れ

すべての忌まわしいものから顔を背けよ。エゼキエル14:6





群集はバルナバとパウロにいけにえを捧げようとした。

ふたりはこれを聞くと叫んで言った。

「なぜ、こんなことをするのですか。

あなたがたが偶像を離れて、生ける神に立ち帰るようにと

福音を伝えたのだ」使徒14:12、14~15



    (ローズンゲン日々の聖句11/14;金)



...


あの方との一つをやめて善悪を知る者となった人間は、自分に都合のいい神々を作るようになったのですね。神でないものを神として拝む、造られたものにすぎないものを神として拝む、これは創造主である方から見れば忌まわしいことなのだそうです。結局、それは、自分の理性の作りだしたものを拝んでいるのですから。


 過ぎ去った時代、自分の思うままに生きることを許しておられましたが、今は、生ける神に立ち帰るようにと、和解と招きの言葉が伝えられているのだそうです。すべての人に。

今日も。



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苦しみを栄光と喜びに替えて下さるのだそうです。あの方

2014-11-11 22:12:15 | 聖書から
主は私を厳しく懲らしめられたが、

  死に渡すことはなさらなかった。詩編118:18





あなたがたを試みる、身にふりかかる火のような試練を驚き怪しんではなりません。

  キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。

    キリストの栄光の現れるときに喜びに満ち溢れるためです。Ⅰペテロ4:12~13

          (ローズンゲン日々の聖句11/12;水)




 父親が自分の本当の子を訓練するように、天の父と呼ばれる方は、子として、私たちを訓練されるのだそうです。ですから、大きな困難や苦難がふりかかってくるようなことが起こることは計算にいれておくようにと言われているのですね。訓練ですから死に渡されるわけではない。

 御子イエス・キリストは、私たちの罪を負ってですが、命をささげる苦しみを身に受けて下さいました。私たちも、イエスのその苦しみにあずかるなら、イエスの持っておられる栄光にもあずかることになり、イエスがもう一度来られるときには喜びに満ち溢れることになるのだそうです。
イエスは私たちと栄光と喜びを共にしたいと願っていて下さるのだそうですから。
今日も。










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新しい生き方をする者にしていただけるのだそうです。私たち

2014-11-10 00:03:00 | 聖書から
ダビデはナタンに言った。

「私は主に罪を犯した。」

ナタンはダビデに言った。

「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死を免れる。」サムエル記下12:13





 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。

御子には罪がありません。Ⅰヨハネ3:5



  (ローズンゲン日々の聖句11/10;月)
...

 私たちが自分の罪を、天の父と呼ばれる方の前に差し出し、言い表して行くとき、天の父の側では、もうすでに、私たちの罪を赦す手はずを用意していて、待っていて下さっていることを体験するのですね。

 永遠の初めから、御父と共におられて、この天地万物の創造に関わった方が、人間イエスとして、人の世に現れて下さったのだそうです。それは、私たちの罪を取り除くために、自分自身が十字架刑で処刑されるためだったのだそうです。
 この方の処刑によって、私たちの生まれたときからの霊は処刑が済んだものと見なしていただけるのだそうです。そして、私たちが受け入れるなら、聖である霊と呼ばれるもう一人の方を私たちのうちに派遣して下さって、この方の働きによって、天の父と呼ばれる方の御思いが私たちの心に書き付けられ、私たちは、天の父と一つ思いをもつようになり、御父が私を通してしようと思われることを私がするようになるのだそうです。
私たちは、あの方と一つ思いをもち、一つ行動をとる者にしていただけるのですね。

今日も。



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人は、主の口から出る言葉によって生きる者なのだそうです。

2014-11-08 23:59:58 | 聖書から
今や、恵みの時、今こそ救いの日。Ⅱコリント6:2(今週の聖句)





 人はパンだけで生きるのではなく、

人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。申命記8:3





 イエスの言葉:

朽ちる食べ物のためではなく、

いつまでもなくならないで、

永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。

これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。ヨハネ6:27
...

    (ローズンゲン日々の聖句11/9;日)

 


 今が恵みの時なのだそうです。

恵みの時が閉じられると、私たちはいよいよ心、かたくなになり、反抗的になり、対立していく者になるのだそうです。

だから、今、受け取って欲しいのだそうですね。

天の父と呼ばれる方が、御子イエスの命と引き換えに提供していて下さる救い、和解を。



 私たちは、この身体が生きていくための食べ物や必要な物、また、精神的、文化的な食べ物を、一生生きていく分を確保して安心したい者なのですね。あの豊作で食料を一生分溜め込んだ農夫のように。



 けれども、イエスは言うのですね。食べても、またお腹がすく食べ物ではなく、いつまでもなくならない、永遠という質の食べ物があると。


 天の父と呼ばれる方の御思いから発せられる言葉。

その言葉によって表現されている御思いと同じ思い、一つ思いが我が心に来て、一つ思いとなっていく父体験、御父との関係が永遠という質の命なのだそうです。



 天の父と呼ばれる方は、聖である霊と呼ばれる方によって、私たちに永遠の命の質の生き方を生きる者になって欲しいのだそうです。



 このからだの食料も大事ですが、それだけではなく、永遠の命に至る食べ物のことにも心を向けていきたいですね。

今日も。



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内側から強めて下さるのですね。あの方。弱り果てた時も

2014-11-07 22:57:56 | 聖書から
主は弱り果てた私を救ってくださる。詩編116:6





 パウロの手紙:

私は御父の前にひざまずいて祈ります。

御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。

どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもって

あなたがたの内なる人を強めてくださるように。エフェソ3:14~16



    (ローズンゲン日々の聖句11/8;土)
...





 死の恐怖、苦しみと悲しみの中での弱り果てるとき、私の声、私の願いを聞き、救い出して下さる方がおられるのですね。情け深く、正しく、憐れみ深い方が。


 その方の、栄光の豊かさに従って、

私たちのうちに来て下さる聖である霊と呼ばれる方の力強い働きによって、

私たちのうちの新しい霊を生き生きとさせ、強めて下さるのだそうです。

霊が生き生きとし、魂がハツラツとしてくるのですね。


 あの方は、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて、豊かに答えて下さるのだそうです。

今日も。



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