朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

思いを一つにする者になりたいですね。あの方と

2014-07-05 23:06:40 | 聖書から
人の子は、

失われたものを捜して

救うために

来たのである。

ルカ19:10

(今週の聖句)






主なる神は、

土(アダマ)の塵で

人(アダム)を

形づくり、



その鼻に

命の息を

吹き入れられた。





人は

こうして

生きる者となった。

創世記2:7
 





すべての人に

命と息と、



その他

すべてのものを

与えてくださるのは

神です。

使徒17:25
  



  (ローズンゲン日々の聖句7/6;日)






あの方は、

人を造るのに、



まず、

土の塵で肉体を造られたのだそうですね。



そして、

鼻から息(霊)を

吹き入れられた。





それで、

人は

肉体のうちに

霊を持つ者となった

ということのようですね。




あの方は、

人を造る前に、

人が存在するのに必要なものの

すべてを造り、



人が

何一つ不自由なく暮らせるように、

全部を整えてから、

準備万端整ったうえで、

人を造り、



これを

エデンの園に

置かれたのだそうです。






人は、

あの方に、

「われわれが一つであるように、

われわれと一つになる者を

(創世記1:26、ヨハネ17:11,21~23)」



願われて、



そのように

造られたのだそうです

(創世記1:31)。




けれども、

人は、

あの方と一つであるよりも、

自分が善悪を判断する者となり、

あの方に対抗して

自分の判断のとおりに生きる道を

選んで

(創世記3:22)、



的外れの者、

迷い出て失われたものと

なっているのだそうです。




イエスは、

その、

迷い出て失われたものになっている

私たちを探し出して

救い、



最初の目的の、

あの方と一つになる位置に

回復するために

来て下さったのだそうです。




いつも父親のそばにいて、

戒めの一つさえも破ったことがないとしても、



心は

父親から遠く離れていた

兄息子

(ルカ15:29)

のような私たちですが、



御父と思いを一つにする者に

なりたいですね。




「聖である霊」と呼ばれる方によって。



今日も。





イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"



最新の画像もっと見る

コメントを投稿