あなたの隣人を
虐げてはならない。レビ記19:13
イエスは言われる:
人にしてもらいたいと思うことを、
人にもしなさい。ルカ6:31
エレミヤ書17:13~17
ルカ12:13~21(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』10/15;金)
―――― ☆ ――—―
聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが互いに、人にしてもらいたいと思うことを、
人にもし合うように、と思っておられる方なのですね。
隣人を虐しいたげたりしないで。
エレミヤは祈りました。
「私を癒いやしてください。【主】よ。
そうすれば、私は癒されます。
私をお救いください。
そうすれば、私は救われます。
あなたこそ、私の賛美だからです。
ご覧ください。彼らは私に言っています。
『【主】のことばはどこへ行ったのか。
さあ、それを来させよ。』
しかし私は、あなたに従う牧者になることを
避けたことはありません。
癒されない日を望んだこともありません。
あなたは、私の唇から出るものが
御前にあることをご存じです。
私を恐れさせてください。
あなたは、わざわいの日の、
私の身の避けどころです。」(エレミヤ17:14~17)
イエスは人々に言われました。
「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。
人があり余るほど持っていても、その人のいのちは
財産にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作であった。
彼は心の中で考えた。
『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。
こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、
私の穀物や財産のすべてをそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。
わがたましいよ。こ
れから先何年分もいっぱい物がためられた。
さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。』
しかし、神は彼に言われた。
『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のために蓄えても、神に対して富まない者は
このとおりです。」(ルカ12:15~21)
私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
人には与えたくなくて、貯め込んで、
物をたくさん持っていることで安心しようとする者です。
神の御思いとは外れてしまった思いで。
【父である神】は、私たちの、その「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での死に合わせて、
死んだものとしてくださるのだそうです。
そのうえで、イエスをとおしてもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださって、
この方によって私たちの心に
ご自身の御思いを置き、書き記してくださって、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
してくださるのだそうです。
私たちがご自身と一つ思いになって、
ご自身が、私たちを通してしようと思われることを
私たちがするように、と。
エレミヤのように神により頼み、祈る思いも。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にしてあげたい」
と思う思いも。
今日も。
~~~~~~~~
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イエスは言われる:
人にしてもらいたいと思うことを、
人にもしなさい。ルカ6:31
エレミヤ書17:13~17
ルカ12:13~21(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』10/15;金)
―――― ☆ ――—―
聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが互いに、人にしてもらいたいと思うことを、
人にもし合うように、と思っておられる方なのですね。
隣人を虐しいたげたりしないで。
エレミヤは祈りました。
「私を癒いやしてください。【主】よ。
そうすれば、私は癒されます。
私をお救いください。
そうすれば、私は救われます。
あなたこそ、私の賛美だからです。
ご覧ください。彼らは私に言っています。
『【主】のことばはどこへ行ったのか。
さあ、それを来させよ。』
しかし私は、あなたに従う牧者になることを
避けたことはありません。
癒されない日を望んだこともありません。
あなたは、私の唇から出るものが
御前にあることをご存じです。
私を恐れさせてください。
あなたは、わざわいの日の、
私の身の避けどころです。」(エレミヤ17:14~17)
イエスは人々に言われました。
「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。
人があり余るほど持っていても、その人のいのちは
財産にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作であった。
彼は心の中で考えた。
『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。
こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、
私の穀物や財産のすべてをそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。
わがたましいよ。こ
れから先何年分もいっぱい物がためられた。
さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。』
しかし、神は彼に言われた。
『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のために蓄えても、神に対して富まない者は
このとおりです。」(ルカ12:15~21)
私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
人には与えたくなくて、貯め込んで、
物をたくさん持っていることで安心しようとする者です。
神の御思いとは外れてしまった思いで。
【父である神】は、私たちの、その「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での死に合わせて、
死んだものとしてくださるのだそうです。
そのうえで、イエスをとおしてもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださって、
この方によって私たちの心に
ご自身の御思いを置き、書き記してくださって、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
してくださるのだそうです。
私たちがご自身と一つ思いになって、
ご自身が、私たちを通してしようと思われることを
私たちがするように、と。
エレミヤのように神により頼み、祈る思いも。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にしてあげたい」
と思う思いも。
今日も。
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