朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

疲れた者、重荷を負う者を休ませようと

2018-06-09 21:27:19 | 聖書から

 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。マタイ11:28(6/10の週の聖句)

 天にいます神に向かって、
両手を上げ心も上げよう。哀歌3:41

 目を覚まして感謝を込め、
ひたすら祈りなさい。コロサイ書4:2

 ルカ14:(15)16~24
 詩36(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/10;Ⅱ日曜)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
疲れた者、重荷を負う者の重荷を
ご自身に負ってくださって、
私たちを休ませてくださる方なのですね。

 だから、休息をいただいて、
この方に向かって両手を上げ、
心も上げて感謝と賛美をささげ、
心に去来する一つ一つのこと、
そのすべてのことを申し上げ、
聞いていただき、見ていただき、知っていただくといいのだそうですね。

 そして、この方がどのように思っておられるのかを
聞いて行くことも。
少年サムエルのように
「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:9)、と。

 けれども、多くの人は、
招かれている、この天の神、主との関係に入ろうとはしないのだそうです。
盛大な宴会に招かれていながら、
いろいろ理由をつけて断った人たちのように。

 それで、天の神、主は、
町の大通りや路地に出かけて行って、
貧しい者や、からだの不自由な者、盲人や、足のなえた者たち、
街道や垣根のところに出かけて行って、
この家が、宴会の席が、いっぱいになるように
とおっしゃっておられるのだそうです(ルカ14:16~24)。

 御恵みによって、
ご自身の家の豊かさを、
楽しみの流れを、
私たちに、心ゆくまで飲んでほしい(詩篇36:8)と。
今日も。

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私たちの考えの奥底までもご存知のうえで

2018-06-09 09:07:52 | 聖書から
 主はすべての心を探り、
すべての考えの奥底までも見抜かれる。歴代誌上28:9

 ナタナエルが、
「どうして私を知っておられるのですか」というと、
イエスは答えて、
「わたしは、あなたがフィリポに話しかけられる前に、
いちじくの木の下にいるのを見た」
と言われた。ヨハネ1:48

 ヨナ書1:48
 アモス書4:1~13(通読箇所)
   (通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句6/9;土)

 ダビデ王は、その子、ソロモンに遺言したのだそうです。
「わが子ソロモンよ。
今あなたはあなたの父の神を知りなさい。
全き心と喜ばしい心持をもって神に仕えなさい。
主、「『わたしはある(I AM)』という者」名乗られる方は、
すべての心を探り、
すべての思いの向かうところを読み取られるからである。
もし、あなたが神を求めるなら、
神はあなたにご自身を現される。
もし、あなたが神を離れるなら、
神はあなたをとこしえまでも退けられる。
今、心に留めなさい。
主、「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選ばれた。
勇気を出して実行しなさい」(Ⅰ歴代誌28:9~10新改訳)、と。


 イエスが、
キリスト(神の子、救い主)としての活動を始められたころのこと、
ピリポが、イエスの所にナタナエルを連れて来たのだそうです。
「(イエスがキリストかどうかを)来て、
そして、見なさい」と。

 イエスはナタナエル(バルトロマイ)が自分のほうに来るのを見て、
「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。
彼の内には偽りがない」と言われた。
ナタナエルはイエスに言った。
「どうして私をご存じなのですか。」
イエスは言われた。
「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、
あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」
ナタナエルは答えた。
「先生。あなたは神の子です。
あなたはイスラエルの王です。」(ヨハネ1:45~49)。

 ナタナエルは、イエスが、
自分の、知るはずのないことを言い当てられたので、
イエスが、すべてを知っておられる方、
神の子、キリストであることを認めて、
イエスについて行く者になったのだそうです。


 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ヨナをアッシリア帝国の首都ニネベに派遣して、
「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる」
と伝えさせようとされたのだそうです。

 けれども、天の神、主は、ご存知だったのですね。
ヨナが、言うことを聞かず、
タルシシュ(スペイン)行の舟に乗って、
ニネベとは逆方向に逃げようとすることを。

 愛国者であるヨナは、
自分が、イスラエルを滅ぼそうとする敵国、ニネベで、
この神からのメッセージを伝えるなら、
アッシリアの王をはじめ、ニネベの人たちが神に立ち返り、
天の神、主は、ニネベの人たちを赦して、滅ぼさないであろうから、
伝えるのをやめて、ニネベが滅ぼされるのを見よう、
と考えるであろうことを。

 それで、嵐を起こして、船から海へヨナを投げ出すようにさせ、
大きな魚を用意して、ヨナを飲み込ませ、
ニネベに近い海岸にヨナを吐き出すようにされたのだそうです(ヨナ1~2章)。

 それで、異邦人であるニネベの人たちは、
ヨナの伝えたメッセージで、へりくだり、神に立ち返ったので
滅びを免れたのだそうです。

 すべての人の心を知る天の神、主は、
ご自分の民、北イスラエル王国の人たちが、
預言者を送っても、
また、飢饉でパンに欠乏させ、
食べる物がなくて歯がきれいになる状態にしても、
雨を降らせなくして、飲む水がないようにしても、
立ち枯れと黒穂病で麦を打ち、
いちじくとオリーブをイナゴが食い尽くすようにしても、
疫病で多くの人が死ぬようにしても、
「それでも、彼らが、ご自分のもとに帰って来ない」ことを
ご存知だったのですね(アモス4:1~13)。

 それでも、〔父である神〕はメッセージを送り続け、
最後には、ご自分の独り子を派遣して、
この方を、私たちすべての人間の身代わりとして、
すべての人のそむき、「的外れ」の責任をこの方に負わせ、
十字架刑で処刑して、
私たちのそむき、「的外れ」を処刑済み、処罰済みと
してくださっているのだそうです。

 そして、このイエスを通して、
受け入れる者に、もう一人の方、
「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
私たちそれぞれの心に置いてくださって、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
一つ心になるようにしようとしていてくださるのだそうです。

 ソロモンには、イスラエルを治めさせ、
神殿を立てさせたように、
私たちにも、今置かれている場で、
ご自分がしようと思われることを私たちがしていくようにと。
今日も。

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