朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

恵み深い主によって

2024-07-01 17:01:11 | 聖書から
あなたがたは
恵みと信仰によって救われたのです。
あなたがたの力ではなく、
神の賜物です。エフェソ書2:8
           (6/30の週の聖句)
 
恵み深い主に感謝せよ、
慈しみはとこしえに。詩106:1
 
何を話すにせよ、行うにせよ、
すべてを主イエスの名によって行い、
イエスによって、
父である神に感謝しなさい。
       コロサイ書3:17
 エレミヤ書20:7~11
 出エジプト記19:16~25(通読箇所)
    〔ローズンゲン『日々の聖句』7/1(金)〕
 
   ―――― α&ω  ――――

 私たちが、イエスによって、
天の神,【主】、
「わたしはある(I am)という者」
(出エジプト記3:14)と名乗られる方の
救いにあずかったのは、
私たち自身の努力や成果によるのではなく、
天の神、【主】の側からの恵みによってであり、
その約束のことばに信頼して、
それを受け取ったからだと、パウロは言うのですね。
 
 それで、詩篇の作者は歌います。
「恵み深い主に感謝せよ、
その慈しみはとこしえに」と。
 
 私の側の何にもよらず、
ただ、この方の側の恵みと慈しみが
この人間の歴史の中で実行に移され、
【御子なる神】が、
人間イエスとして人間の歴史の中に来られ、
【父である神】の御思いに従って、
私たち、すべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださいました。
 
それによって【父である神】は、
私たちが「神のひとりのようになり、
善悪を知る者」になって(創世記3:22)、
「われわれのかたちとして、
われわれに似姿に」(創世記1:26)との、
ご自身の創造の目的から
「的外れ」になってしまっている
私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を、
死刑が終わっている者、死んだものと
してくださっているのだそうです。
 
そして、十字架刑で処刑されたイエスは死んで
岩に掘った墓に納められましたが、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを
弟子たちに見せたのち、オリーブ山で、
弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

【父である神】は、約束しておられたとおりに
このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
書き記してくださいます。
それで、私たちのうちに
【父である神】の御思いがあるようになり、
私たちは、
〔生まれた時からの私〕という霊から
出てくる思いは、
死んだ者から出てきた思いであるとして、
これをイエスの御前に投げ捨てながら、
この、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いを私の思いとして
行動していく者にしていただけるのですね。
 
それで私たちは、パウロがここで言っているように、
「何を話すにせよ、何を行うにせよ、
すべてをイエスの名によって
(イエスがしていることとして、
イエスの代理人として)行い、
父である神に感謝するように」なるのですね。
 
 
 神が思われるとおりにしていくとき、
なんでもうまくいくということではなく、
神から遣わされてエルサレムの人々に
神のことばを伝えた預言者エレミヤのような
扱いを受けることもあるのですね。
 
エルサレムの人たちは、
バビロンの大軍に包囲されてもなお、
「ここは主の宮だから
異邦人のバビロン軍が攻め入って来ることはない
と信じて抵抗を続けていました。
 
しかし、神は、エレミヤに、
このことはエルサレムの人たちが、
自分の気に入った異邦の神々を拝み、
天の神、【主】に従わないから
起こっていることだから、
バビロン軍に投降して命を得るようにと伝えるように
命じられたのですね。
 
それを伝えた結果、エレミヤはみんなから憎まれ、
捕らえられ、殺されそうになりました。
それでエレミヤは言います。
 
「主よ。あなたは私をだまして、
あなたのなさるとおりにさせられました。
あなたは力をもって、私を思いのままにされました。
そこで、私は一日中、人々にあざけられました。
私は語り、叫ぶごとに、
『暴虐だ。滅亡だ』と言わなければなりません。
主のことばをこう語れば、人々はあざけります。

そこで、私は、『もう主のことばを語るまい。
主の預言者としてふるまうまい』と決意しますが、
主のことばが私の心の中で燃えさかる火のようで、
私は黙っていることができません。

私は多くの人のささやく声を聞きます。
『周りの人々が恐れる奴がいる。あいつを訴える。』

私の友だちも皆、私が倒れるのを待っています。
「おそらく彼はだまされるだろう。
その時は、仕返しをしてやろう。」

しかし、主は私と一緒にいて、
力強い勇士のようです。
ですから、迫害者たちは躓(つまず)いて、
私に勝つことができません。
彼らは失敗し、大いに恥をかき、
その恥は、いつまでも忘れられません」、と。
     (エレミヤ20:7~11尾山令仁現代訳)
 
 

 出エジプト記の記事は続きます。
三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、
角笛が非常に高く鳴り響いたので、
宿営の中の民はみな震え上がった。
モーセは、神に会わせようと、
民を宿営から連れ出した。
彼らは山のふもとに立った。
シナイ山は全山が煙っていた。
【主】が火の中にあって、
山の上に下りて来られたからである。
煙は、かまどの煙のように立ち上り、
山全体が激しく震えた。
 
角笛の音がいよいよ高くなる中、
モーセは語り、神は声を出して彼にこたえられた。
【主】はシナイ山の頂に下りて来られた。
【主】がモーセを山の頂に呼ばれたので、
モーセは登って行った。
【主】はモーセに言われた。
「下って行って、民に警告せよ。
彼らが見ようとして【主】の方に押し破って来て、
多くの者が滅びることのないように。
【主】に近づく祭司たちも
自分自身を聖別しなければならない。
【主】が彼らに怒りを発することがないように。」
 
モーセは【主】に言った。
「民はシナイ山に登ることができません。
あなたご自身が私たちに警告して、
『山の周りに境を設け、それを聖なるものとせよ』
と言われたからです。
 
【主】はモーセに言われた。
「下りて行け。
そして、あなた自身はアロンと一緒に登れ。
しかし、祭司たちと民は、
【主】のところに登ろうとして
押し破ってはならない。
主が彼らに怒りを発することがないように。」
そこでモーセは民のところに下りて行き、
彼らに告げた。(出エジプト記19:16~25)
 
 
 私たちも、イエスがそうであったように、
また、エレミヤやこのモーセのように、
神である【主】が話そうと思われることを話し、
しようと思われることをしていく者に
していただけるのですのですね。
【聖である霊】と呼ばれる方によって。
今日も。
 
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