新しい歌を主に向かって歌え。
主は驚くべき御業を成し遂げられた。(5/14の週の聖句)
わたしはあなたたちをわたしの民とし、
わたしはあなたがたの神となる。出エジプト記6:7
御父がどれほど私たちを愛してくださるか、考えてみなさい。
それは、私たちが神の子と呼ばれるほどで、
事実また、そのとおりです。Ⅰヨハネ3:1
マタイ11:25~30
詩45(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句5/14;Ⅱ日)
私たち人間の造り主であり、私たち人間の住まいとしてこの天地万物を創造された方、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神は、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛と尊敬のゆえに、自由意思において自発的に
互いに愛し合い、思いを一つにし、行動を一つにし、存在を一つにしておられる方なのだそうです。
そして、その愛し合うゆえに一つになっておられる、その一つの中に
自由意思で、自発的に加わる者をと願って私たち人間を創造してくださったのだそうです。
私たちをご自分の子とし、家族としようと思って。
けれども、最初の人アダムとエバは、この天の神、主を愛し、天の神、主と思いを一つにしていく場にとどまることをしないで、
自分を、もっと素晴らしい者に、高い者にしようとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者になる」道を選んだのだそうです(創世記3:5、22)。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
このように、創造の目的からずれてしまっている私たち人間をなお愛し、大切に思い、
焼却処分にすることを望まず、「愛による一つ」の中に回復しようと計画していてくださるのだそうです。
それで、まず、ひとりの人アブラハムを選び、
このアブラハムの孫のイスラエル(神に勝った者、神にしがみついて、祝福を受けるまでは放さず、祝福を勝ち取った者)の家族70人ほど(創世記46:27)を、エジプトに寄留させ、
430年の時をもって、幼子を除いて、徒歩の壮年の男子だけで約60万人という民族に成長させて、
これをエジプトから連れ出し(出エジプト12:37、41)、
この民族にご自分の御思いを律法というかたちで示し、
民は「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います」(出エジプト19:8、24:7)と答えて、
イスラエルの民と「あなたがたの神となる」、「あなたを私の神とします」との契約を結んだのだそうです。
このようにして、天の神、主は、御思いを示せば、人間が自分の努力で、自発的に、ご自分と思いを一つにする者になれるかどうかを、この人間の歴史の中で実験されたのですが、その後のイスラエルの1500年ほどの歴史において実証されたことは、神が、いくら、預言者を遣わして御思いを示し、呼びかけても、民は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」の道を歩み、自分の判断を神の御思いに先立て、自分が善しと判断する道を突き進むばかりだったのだそうです。
そのことが人の目に明らかになったところで、天の神、主は、創造の初めからの計画を実行されたのだそうです。
〔御子である神〕が、女の子孫として(創世記3:15)人の世に生まれ(ヨハネ1:1~14、ルカ1:26~38、2:1~21)、すべての人の身代わりとなり、すべての人の「的外れ」の責任をとって、神にそむき、神に呪われた者として十字架刑で、天と地の間に高く掲げられて処刑されるという。
このイエスの死を自分の身代わりの死であると受け取った者を、天の神、主は、その人の「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている〔生まれた時からの私〕という霊を処刑が終わっているもの、死んだものと手続してくださるのだそうです。
そのうえで、死んで陰府にまで下り、三日目に死人の中より新しい霊のからだに復活し、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、オリーブ山から、弟子たちのみている前で、雲に迎えられ、天の父である神の右の座に帰られたイエスが、父から受けて派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
その方が、受け入れる者の心に〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるので、この部分において、受け入れる者は〔父である神〕と思いを一つにする者にしていただけるのだそうです。
このように、〔父である神〕は、〔御子である神〕、〔聖である霊と呼ばれる神〕によって、人間創造の目的、「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、「わたしたちが一つであるように、彼らも一つである」(ヨハネ17:21~22)、愛による自発的な一つになる者として私たちを回復してくださる御業を完成してくださっているのだそうです。
この御業を受け取り、神の子としていただき、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、〔父である神〕と思いを一つにして生きる者たちは、イエスが復活された日曜日ごとに集まり、また、朝ごとに、この天の神、主の御業を確認し、感謝をもって主をほめたたえ、歌うのですね。
この新しい週も。
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主は驚くべき御業を成し遂げられた。(5/14の週の聖句)
わたしはあなたたちをわたしの民とし、
わたしはあなたがたの神となる。出エジプト記6:7
御父がどれほど私たちを愛してくださるか、考えてみなさい。
それは、私たちが神の子と呼ばれるほどで、
事実また、そのとおりです。Ⅰヨハネ3:1
マタイ11:25~30
詩45(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句5/14;Ⅱ日)
私たち人間の造り主であり、私たち人間の住まいとしてこの天地万物を創造された方、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神は、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛と尊敬のゆえに、自由意思において自発的に
互いに愛し合い、思いを一つにし、行動を一つにし、存在を一つにしておられる方なのだそうです。
そして、その愛し合うゆえに一つになっておられる、その一つの中に
自由意思で、自発的に加わる者をと願って私たち人間を創造してくださったのだそうです。
私たちをご自分の子とし、家族としようと思って。
けれども、最初の人アダムとエバは、この天の神、主を愛し、天の神、主と思いを一つにしていく場にとどまることをしないで、
自分を、もっと素晴らしい者に、高い者にしようとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者になる」道を選んだのだそうです(創世記3:5、22)。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
このように、創造の目的からずれてしまっている私たち人間をなお愛し、大切に思い、
焼却処分にすることを望まず、「愛による一つ」の中に回復しようと計画していてくださるのだそうです。
それで、まず、ひとりの人アブラハムを選び、
このアブラハムの孫のイスラエル(神に勝った者、神にしがみついて、祝福を受けるまでは放さず、祝福を勝ち取った者)の家族70人ほど(創世記46:27)を、エジプトに寄留させ、
430年の時をもって、幼子を除いて、徒歩の壮年の男子だけで約60万人という民族に成長させて、
これをエジプトから連れ出し(出エジプト12:37、41)、
この民族にご自分の御思いを律法というかたちで示し、
民は「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います」(出エジプト19:8、24:7)と答えて、
イスラエルの民と「あなたがたの神となる」、「あなたを私の神とします」との契約を結んだのだそうです。
このようにして、天の神、主は、御思いを示せば、人間が自分の努力で、自発的に、ご自分と思いを一つにする者になれるかどうかを、この人間の歴史の中で実験されたのですが、その後のイスラエルの1500年ほどの歴史において実証されたことは、神が、いくら、預言者を遣わして御思いを示し、呼びかけても、民は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」の道を歩み、自分の判断を神の御思いに先立て、自分が善しと判断する道を突き進むばかりだったのだそうです。
そのことが人の目に明らかになったところで、天の神、主は、創造の初めからの計画を実行されたのだそうです。
〔御子である神〕が、女の子孫として(創世記3:15)人の世に生まれ(ヨハネ1:1~14、ルカ1:26~38、2:1~21)、すべての人の身代わりとなり、すべての人の「的外れ」の責任をとって、神にそむき、神に呪われた者として十字架刑で、天と地の間に高く掲げられて処刑されるという。
このイエスの死を自分の身代わりの死であると受け取った者を、天の神、主は、その人の「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている〔生まれた時からの私〕という霊を処刑が終わっているもの、死んだものと手続してくださるのだそうです。
そのうえで、死んで陰府にまで下り、三日目に死人の中より新しい霊のからだに復活し、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、オリーブ山から、弟子たちのみている前で、雲に迎えられ、天の父である神の右の座に帰られたイエスが、父から受けて派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
その方が、受け入れる者の心に〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるので、この部分において、受け入れる者は〔父である神〕と思いを一つにする者にしていただけるのだそうです。
このように、〔父である神〕は、〔御子である神〕、〔聖である霊と呼ばれる神〕によって、人間創造の目的、「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、「わたしたちが一つであるように、彼らも一つである」(ヨハネ17:21~22)、愛による自発的な一つになる者として私たちを回復してくださる御業を完成してくださっているのだそうです。
この御業を受け取り、神の子としていただき、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、〔父である神〕と思いを一つにして生きる者たちは、イエスが復活された日曜日ごとに集まり、また、朝ごとに、この天の神、主の御業を確認し、感謝をもって主をほめたたえ、歌うのですね。
この新しい週も。
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