お前たちの悪い道や堕落した行いによることなく、
わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、
イスラエルの家よ、
お前たちはわたしが主であることを知るようになる。エゼキエル20:44
イエスの名によって、
あなたがたの罪が赦されているからである。Ⅰヨハネ2:12
(ローズンゲン日々の聖句2/24;火)
御名を惜しむゆえに、
私たちの行いのとおりにではなく、
ご自身の側での一方的な働きによって、
背く民に恵みと憐みをもって対して下さるのだそうです。
神の民と呼ばれる者たちにおいてさえ、
自分の理性の判断によって天の神、主に背いて行動し、
天の神、主が預言者を遣わして、
何度、立ち返るよう呼びかけても、
自分の理性によって判断した背きから
離れようとはしなかったのだそうです。
それで、天の神、主は、ついには、
北イスラエル王国はアッシリア帝国を用いて、
残っていた南ユダ王国もバビロニア帝国を用いて
これを打ち、捕囚としてバビロンへ
引いていくようにされたのだそうです。
その、民の背きが極まったところで、
天の神、主はエゼキエルをとおして約束を預言されたのですね。
ご自身の民を散らされている国々の民の中から連れ出し、集め、
先祖に与えると誓った地に入らせるとき、
もし、民の各自の行いによって報いるなら
処罰し滅ぼすしかないけれども、
各自の行いによってではなく、
ご自身が、ご自身の側で用意された働きによってお前たちを扱う、と。
イエスの名によって、罪が赦されている者として扱って下さると。
そのために、天の神、主は、ご自身の側での一方的な働きとして、
永遠のはじめから共におられ、
「ことば」とか「独り子」とか呼ばれ、
この天地宇宙、人間の創造に共に関わられた方を
人として人間の世に生まれさせ(ヨハネ1:9~14)、
この方の上に人類すべての罪を置き、
罪びととして十字架刑で処刑し、
神に呪われたものとして天と地の間に掲げられたのだそうです。
天の神、主は、
このイエス受けて下さった処刑によって、
人類すべての人の処刑が終わったものと手続きして下さって、
赦しを、賜物、プレゼントとして私たち人間に差し出していて下さるのだそうです。
それで、この賜物、プレゼントをもらいさえすれば、
散らされていた国々から集められるユダヤ人、イスラエルの人々も、
そしてイスラエルに属さない他国人である私たちも、
各自の罪の処罰が終わった者として御前に立たせて下さるのだそうです。
そして、それだけでは、背き、罪の心でいるしかない私たちに、
もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、
この方の働きによって、
私たちの心を一新し、
私という生まれた時からの霊から心に来る思いによって生きるのではなく、
この方によって
私たち各自、一人一人に関わるご自身の御思いを、
私たち一人一人の心に置き、書き記して、
それぞれがそれぞれの分、ご自身と一つ思いを持ち、
天の神、主と、それぞれの分について
一つ行動をとる者として下さるのだそうです(ヨハネ14:12)。
天の神、主は、
この世界に何かをしようとしておられるご計画を実現するために、
私たち一人一人を用いて下さるというのですね。
今日も。
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イスラエルの家よ、
お前たちはわたしが主であることを知るようになる。エゼキエル20:44
イエスの名によって、
あなたがたの罪が赦されているからである。Ⅰヨハネ2:12
(ローズンゲン日々の聖句2/24;火)
御名を惜しむゆえに、
私たちの行いのとおりにではなく、
ご自身の側での一方的な働きによって、
背く民に恵みと憐みをもって対して下さるのだそうです。
神の民と呼ばれる者たちにおいてさえ、
自分の理性の判断によって天の神、主に背いて行動し、
天の神、主が預言者を遣わして、
何度、立ち返るよう呼びかけても、
自分の理性によって判断した背きから
離れようとはしなかったのだそうです。
それで、天の神、主は、ついには、
北イスラエル王国はアッシリア帝国を用いて、
残っていた南ユダ王国もバビロニア帝国を用いて
これを打ち、捕囚としてバビロンへ
引いていくようにされたのだそうです。
その、民の背きが極まったところで、
天の神、主はエゼキエルをとおして約束を預言されたのですね。
ご自身の民を散らされている国々の民の中から連れ出し、集め、
先祖に与えると誓った地に入らせるとき、
もし、民の各自の行いによって報いるなら
処罰し滅ぼすしかないけれども、
各自の行いによってではなく、
ご自身が、ご自身の側で用意された働きによってお前たちを扱う、と。
イエスの名によって、罪が赦されている者として扱って下さると。
そのために、天の神、主は、ご自身の側での一方的な働きとして、
永遠のはじめから共におられ、
「ことば」とか「独り子」とか呼ばれ、
この天地宇宙、人間の創造に共に関わられた方を
人として人間の世に生まれさせ(ヨハネ1:9~14)、
この方の上に人類すべての罪を置き、
罪びととして十字架刑で処刑し、
神に呪われたものとして天と地の間に掲げられたのだそうです。
天の神、主は、
このイエス受けて下さった処刑によって、
人類すべての人の処刑が終わったものと手続きして下さって、
赦しを、賜物、プレゼントとして私たち人間に差し出していて下さるのだそうです。
それで、この賜物、プレゼントをもらいさえすれば、
散らされていた国々から集められるユダヤ人、イスラエルの人々も、
そしてイスラエルに属さない他国人である私たちも、
各自の罪の処罰が終わった者として御前に立たせて下さるのだそうです。
そして、それだけでは、背き、罪の心でいるしかない私たちに、
もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、
この方の働きによって、
私たちの心を一新し、
私という生まれた時からの霊から心に来る思いによって生きるのではなく、
この方によって
私たち各自、一人一人に関わるご自身の御思いを、
私たち一人一人の心に置き、書き記して、
それぞれがそれぞれの分、ご自身と一つ思いを持ち、
天の神、主と、それぞれの分について
一つ行動をとる者として下さるのだそうです(ヨハネ14:12)。
天の神、主は、
この世界に何かをしようとしておられるご計画を実現するために、
私たち一人一人を用いて下さるというのですね。
今日も。
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