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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

人の心に思い浮かびもしなかったことなのですね。このことは

2014-06-03 22:49:51 | 聖書から
私たちの聞いたことを、

誰が

信じえようか。



主は

御腕の力を

誰に

示されたことがあろうか。

イザヤ53:1

 





イエスの言葉:

天地の主である

父よ。



あなたをほめたたえます。





これらのことを

知恵ある者や

賢い者には

隠して、



幼子のような者に

お示しになりました。

ルカ10:21
(ローズンゲン日々の聖句6/4;水)







見たことも聞いたこともない、

聞いても信じられない、

人の心に思い浮かびもしなかったことを、

あの方は

私たちのために

して下さったのだそうです。




いと高き方の右の座についている方の前に出た時、

多くの者が

驚き、

口をつぐむのだそうです。





その顔立ちは

そこなわれており、



その姿も

普通人とは違っているからなのだそうです。



その方は、

された小羊のようであり、

手と足に大きな釘の穴があり、

槍で突き刺された痕のある方

なのだそうですから。




天地の造り主、

創造主の側にある方が、

自分が造った人間のために、

天の御位を離れ、

人となり、



人間の中でも

低く低く歩まれ、



ついには、

その自分が造ったご自分の民のために、

ご自分の民によって

十字架刑に架かって下さるとは。




この出来事は、

あまりにも常識外れで、

人間の理性を超えたことなので、

知恵ある者、賢い者、自分の理性に自信のある人には

受け入れられないことなのだそうです。




この方の御前に出た時、

この方の

命をかけての救いを無視した人たちは、

どんなに大きな恥を受けることになることでしょう。


それで、

そういうことにならないように、

あの方は、

イエスによるこの救いを

伝えてほしい、受け取ってほしいと

願っておられるのだそうですね。



今日も。










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したいことがあるのだそうです。あの方。私たちを通して

2014-06-03 01:04:20 | 聖書から
咎を除き、

罪を赦されるような神があろうか。



神は

御自分の嗣業の民の残りの者に、

いつまでも

怒りを保たれることはない、



神は

慈しみを喜ばれるゆえに。

ミカ書7:18

 





神は、

私たちを

怒りに定められたのではなく、



私たちの主イエス・キリストによる

救いに

あずからせるよう

定められたのです。

Ⅰテサロニケ5:9





(ローズンゲン日々の聖句6/3;火)

...





いつまでも怒っておられる方ではないのだそうですね。


創造の目的である

「我々にかたどり、我々に似せて」

(創世記1:26)

造られた場から外れ、



「人は我々の一人のように、

善悪を知る者」

(創世記3:22)

となり、



出来損ないになってしまった私たちですが、



そのような私たちにも、

怒りではなく、

慈しみと憐みをもって接して下さり、



主イエス・キリストによって

回復の道を

用意して下さっているのだそうですね。




十字架刑で処刑され、

ローマ兵によって槍で突き刺されて死亡が確認され、

墓に葬られた

イエス。




けれども、

あの方は、

その

黄泉にまで下られたイエスを、

日曜日の朝早く、

復活させ、



40日にわたって、

何度も弟子たちに現れ、

弟子たちを

復活の目撃者、証人としたうえで

天に帰らせ、





今度は、イ

エスに代わって、

もう一人の助け主、

聖である霊と呼ばれる方を

私たちに派遣して、



「父である方が、御子イエスにおられ、

御子イエスが父である方の中にいるように、



私たち人間が父である方と御子イエスの中におり、

父である方と御子イエスが私たち人間の中におられるようになり、



父である方、御子である方、聖である霊と呼ばれる方が一つになっておられるように、

私たち人間も

あの方と完全に一つにして下さるのだそうです

(ヨハネ17:21~23)。




イエスが、

父である方と思いを一つにし、

父である方がしようと思われることだけをしておられるように、



聖である霊と呼ばれる方は、

私たちのうちにあって、

父である方の思いを私たちの思いに入れて下さって

(エゼキエル36:26~27)、



私たちを、

父である方と思いを一つにする者、

父である方がしようと思われることをする者と

して下さるのだそうです

(ヨハネ14:10~12)。




イエスのように、

心に来る父である方の御思いの通りに踏み出してみて、



父である方が、

今日、

私を通して

しようとされることを

していきたいですね。

私たち。



今日も。










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