なにか不満だから生きている。
全く不満がなく、全て満たされてしまったら、死ぬしかない。
放っておいても時間が経てばお腹が空く。
ずっと起きていれば眠くなる。
それらの欲求を満たすために人は生きている。
食事も摂らず、寝ないのであれば、死ぬしかない。
かつてやりたいと思っていたけれど、結局のところやっていないのは、どこまで水を飲み続けることができるか?
吐くんでしょうけれど。
炎天下の夏に外にいると、そんな欲求も思い浮かぶけれど、結局のところやっていない。
やろうと思えばすぐやれるのに。
お金はエネルギーだと思っている。
生き物の食事や、車のガソリンと同じ。
全く無ければ生きられないけれど、ありすぎてどうするとは思う。
食べ物なら腐るし、ガソリンは爆発する。
だから宝くじは買わない。
大量の金額が手に入ったとして、それを有効活用できるとは思えない。
有効に活用する計画と目的のためにお金を集める。
そうすれば、そのエネルギーは有効活用するでしょう。
しかし、背景事情のないエネルギーは浪費する可能性が高い。
資本主義に疑問を抱いているのでね。
金だけにすべての判断基準を与えるのは危険だと思っている。
しかし、お金が全く無くても問題はある。
最低限の生きるエネルギーとして、今はお金が必要になる。
すべて無料というのも問題だと思っていて。
空気は基本的に無料で入手できる。
普段意識さえしていない空気だけれど、制限が加わったら生きにくい。
空気は生きるための最小限のインフラ。
水は間隔を開けて補給すればいいけれど、空気は違う。
常に呼吸しなければ死んでしまう。
すべて無料と知ると、根こそぎ持っていく人がいる。
だから、それを制限する必要はある。
完全無償化のデメリットではある。
無料だから無駄にしていいと考える人もいる。
命は無料だけど、浪費していいものではない。
空気も勝手に汚染していいものではない。
欲求に限度がない。
満たされれば更に欲しいと考える人もいる。
過剰なエネルギーは無駄なのにだ。
管理できなくなって自滅するエネルギーはある。
転売行為は過剰な価値を手元に置くのだけど、在庫管理のコストを考えればロスのほうが多い。
一日24時間は、地球上すべての生物に平等な資源。
労働はそれを提供して売って買う。
安く買い叩かれてはならないし、死ぬまで働くのは目的と手段が逆。
マルクス理論は、反体制というイメージが強く、過激派思考の温床でもあったため敬遠していたが、それさえも俯瞰して見れるのであれば学ぶ価値がある。
日本にいると、和と協調文化で得られない価値感がある。
特に個人の権利の主張は、集団社会の和に比べて軽視されやすいのが日本。
それを防ぐために権利を重視することを忘れがちになってしまう。
社畜、国畜現象はまさにそれ。
労働局やハローワークも労働者を作り出す必要があるから、完全には労働者の味方にならない。使用者側の観点で考える。
残りの人生をこのまま日本文化だけで過ごすことに危機感を持っている。
出るなら今なんだよな。