NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

故金大中元大統領の自伝出版

2010年07月30日 | 南域内情勢
中央日報とハンギョレの記事。

紹介の仕方がこう違うのね。それはともかく、読みたい本です。

妻であり同士であった李姫鎬さんの自伝とともに読むのがよいかな。

by maneappa

・……………………・

ハンギョレ新聞(ハンギョレサランバンから転載)
2010年07月30日

"民主主義が後退すれば死んでも叱り飛ばす"

金大中前大統領 自叙伝 どんな内容が含まれたか
"二元執政府制・内閣責任制 導入 悪くない"
"最大の癌のような存在は検察…報復的で政治的"

ソン・ホジン記者

←金大中前大統領の夫人 イ・ヒホ氏(左側2番目)が29日午前、ソウル、麻浦区、東橋洞の金大中図書館で開かれた金前大統領自叙伝出版言論説明会で発刊を支援した人々に感謝の気持ちを込めた挨拶をしている。 下の写真は29日に公開された金大中前大統領の自叙伝1・2巻. キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr

"夢を見ているようだ。軍事独裁政治の亡霊がよみがえっている。
この国の最大の癌のような存在は検察…権力に屈従し、弱くなれば噛み千切る。
二元執政府制と内閣責任制を導入するのも悪くないと思う

"民主主義が後退するならば死んでもゆっくり目をとじてはいられない…. 涙をふいて再び叱り飛ばすだろう。"

金大中前大統領は自身の人生と屈曲した現代史を見て回った自叙伝の随所で李明博政府の一方通行式国政運営に深い憂慮を感じざるを得なかった。

金前大統領は「国民の力で平和的政権交替を成し遂げ、私と盧武鉉の民主化時代10年が展開された」として「民主主義が磐石に打ち立てられたように見えたし国民も疑わなかったのに、とうてい信じられないことが起きている」と嘆いた。金前大統領は「信じることができず夢を見ているようだ。軍事独裁政治の亡霊がよみがえっている」と憂慮した。

金前大統領は李明博大統領の‘実用’と関連しては「国と国民のために最も普遍的な道を探すことが実用なのに、彼は実用の概念を間違って理解しているようだ」と評価した。

金前大統領は龍山惨事などを思い起こし「国民を敵と考える政権、権力だけあって金持ちだけを大切にする政権、権力の万能意識が痛嘆にたえない」と嘆いた。盧武鉉前大統領の死を持たらした検察捜査に対しては「この国の最大の癌のような存在は検察」としながら「あまりにも報復的で政治的であり、権力に屈従して弱くなれば噛み千切る」と検察の自省と変化を促した。

←29日に公開された金大中前大統領の自叙伝。2巻になっている。キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr

金前大統領は権力が大統領に過度に集中しているとし、改憲の必要性に言及した。金前大統領は「今や民意に従わない独裁者は民意で退出させなければならない時になった」として「二元執政府制と内閣責任制を導入するのも悪くないと思う」と話した。彼は「10年間の民主政府が多くのものを変化させ、我が国民の民主主義に対する意識が非常に成熟したと見るため」とこういう判断の背景を明らかにした。

金前大統領は在任期間前後を振り返り、息子たちがロビー事件に関わり拘束されたことを骨身にしみて記憶した。金前大統領は「(息子たちの事件が起きた当時)私は足もとが崩れるようだったし、一日に何度も千尋の断崖に落ちた」とし 「息子 ホンオプとホンゴルは(事件以後)私が探さず大統領府に足も入れなかった」と回顧した。しかし彼は「息子の無念を後日に知った」として「全てのことが私の不徳から始まったこと」と自身を恨んだ。

自身の在任時期になされた‘現代 対北送金’事件に関して、盧武鉉当時大統領が捜査を進行したことについては深い物足りなさも表わした。金前大統領は 「2003年4月22日、盧武鉉大統領夫妻と共に晩餐をしながら‘現代 対北送金はどうなったか’という質問を受けた時、とてもあきれ不快だった」として「北への送金は司法審査の対象になってはならないという所信には変わりがない」と強調した。

1987年大統領選挙当時、金泳三統一民主党候補と野党圏単一化を実現できなかったことと関連しては「(国民に)心より申し訳なかった」として「私でも譲歩するべきだった」と後悔した。 ソン・ホジン記者 dmzsong@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/432693.html 訳J.S

……………

故金大中元大統領「私は非嫡出子だった」自伝出版
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1293303&media_id=56

(中央日報 - 07月30日 14:03)




2004年8月、朴槿恵(パク・クンヘ)当時ハンナラ党代表がソウル東橋洞金大中図書館を訪問すると金大中元大統領が椅子を引いて座るよう勧��

故金大中(キム・デジュン)元大統領(DJ)の人生と政治歴をまとめた「金大中元大統領自叙伝」が29日、公開された。金大中平和センターは金元大統領が2004年から41回にわたって口述した録音と日記などをもとにそれぞれ708ページ、648ページ分量の自叙伝1、2冊を出した。本には「出生の秘密」から朴槿恵(パク・クンヘ)ハンナラ党元代表に対する感想、南北首脳会談秘話、李明博政府に対する評価まで書かれている。
金元大統領は自分が「非嫡出子」という事実を初めて明らかにした。「私は長い間政治をしながら私の出生についてと母親について一切も言わなかった。多くの攻撃と苦しみを受けたが「沈黙」してきた。一生セカンドとして生きた母の名誉を守って上げたかったからだ。しかし事実を隠すとして母の名誉を守ることではないと考えた。母は難しい条件の中でも私がひがまないように育ててくれたし、私も誰より母を愛したからだ」
自分を死の入口まで引きずった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の娘、朴槿恵ハンナラ党元代表が2004年、訪ねてきたときに感じた「喜び」も書いた。「朴代表は父親のしたことに対して謝罪した。『父の時代にいろいろと被害を受けて苦労されたことに対し、娘として謝罪の言葉を申し上げます』私はその言葉が本当にありがたかった。『世の中にこんなこともあるんだ』と言った。朴正熙が生まれ変わって和解の握手を求めてくるようでうれしかった。謝罪は独裁者の娘がしたが、いざ私が救われるようだった」
一方、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領に対しては複雑な心情を示した。金大中元大統領は1987年、金泳三元大統領との野圏候補一本化失敗について「私でも譲歩をしなければならなかった」「後悔している」と自分を責めた。といえども99年10月「釜山民主公園」開園式に出席した際、金泳三元大統領が「このまま行くと独裁の亡霊がよみがえる」として自分を責めると「後で聞いたら金元大統領はこれよりもっと激しく自分を責める原稿を準備したそうだ。ところで風が吹いてよりによってその部分の原稿が飛んでしまったと言った。どうして風がそんな妨害をしたのかわからない」と述べた。
南北首脳会談当時の秘話も公開した。金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長が共同宣言文を「林東源・金容淳」名義で発表しようと言ったが、積極的に説得して両首脳名義で宣言文が作成されたというのだ。当時、金委員長が「大統領が全羅道生まれだからそうかすごく執拗ですね」と言うと金元大統領は「金委員長も全羅道全州金氏ではないか」と冗談を投げかけたと紹介した。
李明博大統領に対しては批判した。「李大統領は南北問題に対する哲学がない」「実用の概念を過って理解している」「過去、建設会社に在職した時の傍若無人な態度を現した」「統一部、科学技術部、情報通信部、女性部が廃止及び縮小部処として挙論された。私が見るには現在と未来、我々を生かす部処だった。その短見が非常に危険に見えた」と評した。
金大中平和センターは自叙伝に載せられなかった未公開日記帳と口述録音が多いと伝えた。DJ秘書室長を務めた朴智元(パク・チウォン)民主党院内代表は「金元大統領はメディアのマンガに自分の鼻が常に大きく描かれることに対して「どうしてこんなに大きく描かれるのか。これはないだろう」とも言ったし「DJ」というイニシャルをとても好きではないとし、金泳三大統領にもYSという言葉を使わなかった」また「多くのエピソードを自叙伝に載せられなくて残念」と言った。日本語版・中国語版も出版される。