散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

彰義隊の墓(上野公園)

2010-12-08 07:04:38 | Weblog
       

 幕末の大政奉還、鳥羽伏見の戦いの後、官軍や公家の間では徳川家の処分が論議されていました。 
 
時の将軍慶喜の一橋家時代の側近達は、慶喜の助命を求めて同盟を結成、後に彰義隊と称して徳川

家の霊廟の警護などを目的として上野の山(東叡山寛永寺)に立てこもった。慶応4年5月15日朝

大村益次郎指揮の東征軍は上野の山を総攻撃、彰義隊は同夕刻敗走しました。  

             戦死者の墓とあります。

 彰義隊の遺体は上野の山に放置されましたが、南千住円通寺の住職仏磨らによって荼毘に付されま

した。この墓石は、元彰義隊の小川興郷らによって造立。彰義隊は明治新政府にとって賊軍であるた

め、旧幕臣の山岡鉄舟の筆にて、単に「戦死者の墓」と刻まれています。この墓から南へ約100m

の位置に西郷さんの銅像があり、運命でしょうかね。