真先稲荷は天文年間(1532頃)石浜城主の千葉守胤によって祀られたと伝えられます。隅田川
沿岸にあり、その門前は景勝地として知られました。また、奥宮の狐穴から出現する「お出狐」は、
三囲稲荷の狐と並んで有名であったとされます。
江戸中期から参詣人が多くなり、宝暦7年(1757)ころからは、吉原豆腐で作った田楽を売る
茶屋が立ち並んで繁昌した。吉原の遊客もよく訪れ「田楽で帰るがほんの信者なり」などの川柳が詠
まれています。(荒川区史跡)
この辺りは「橋場」で対岸は「鐘が渕」、小説「剣客商売」の秋山小兵衛名人の隠居所があって、
若い女房おはるの漕ぐ舟で料亭「不二楼」へやってくる。息大治郎の道場は真先稲荷の近くにあっ
て、「たまには美味いもの」を食べさせようと呼びにやる・・・というシーンが好きで、真先稲荷を
訪ねてきました。