散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

狸 塚 (多聞寺)

2010-03-21 07:24:58 | Weblog
      

                

 昔 この辺りは隅田川の河原の中で草木が生い茂るさみしい所でした。牛松という名の大

木の根元の穴に住む妖怪狸が人をたぶらかして困っていました。人々はお堂を建て、大木を

切り倒して穴をふさぐなどしました。しかし、大地がとどろき空から土が降るなど、いたず

らはひどくなるばかりです。  

 和尚さんは一心にご本尊さまを拝みました。やがて、ご本尊毘沙門天のお使いが現れて妖

怪狸にはなしをしました。「おまえの悪行は いつかおまえを滅ぼすことになるぞ」といま

しめました。次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。これを見つけた和尚さんと村

人たちは、狸がかわいそうになり、塚を築いたのです。この塚はいつか狸塚と呼ばれるよう

になりました。  

            国際劇場の焼けた鉄骨

 山門を入って右手には、東京大空襲で焼けた国際劇場の鉄骨の一部を展示してあり、あの

惨禍を忘れないよう呼びかけています。

多 聞 寺(墨田5丁目)

2010-03-20 07:20:36 | Weblog
        本堂

                 永楽塚

 正式には隅田山吉祥院多聞寺。天徳年間の創建で、はじめは隅田寺と称しましたが、天正

年間(1573~1591)に現在地に移り、弘法大師の作といわれる毘沙門天を勧請して

多聞寺と改称したと伝えられます。境内には永代供養の永楽塚があります。  

           六地蔵坐像 

六地蔵の坐像は珍しいものです。高さ約150センチ、地面から二段目までは方形の台石、

三段目は蓮台、その上にそれぞれ60センチの丸彫りの地蔵坐像がのっています。製作年代

は正徳3年(1713)から享保元年(1716)と刻まれています。これらは、墨田区の

登録文化財です。

多聞寺の山門(墨田5丁目)

2010-03-19 08:06:15 | Weblog
      

               

 この山門は江戸中期に造られたもので、墨田区では最古の建造物といわれます。現在では

珍しい茅葺の屋根ですね。全体的に簡素な和様の造りです。 

 墨田区教育委員会は、震災や戦災で多くの木造建築が失われましたが、多聞寺の山門が現

存することは貴重であり、周辺の意匠との関連を検討するうえでも重要な建造物ですとして

います。墨田区指定文化財になっています。  

            ペットボトル猫

 今回見付けたのは、門柱の下に猫(らしい)が目を光らせているペットボトルです。よく

店の前の電柱の下などに、水を入れたペットボトルが並んでいますが、猫やカラス除けかと

思いましたが、これは「犬のおしっこ除け」かもと思いました。それにしても「猫のお面」

には笑ってしまいました。

生命の言葉 (東京都神社庁三月)

2010-03-18 07:31:27 | Weblog
        

 何事のおわしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる これは西行の詠んだ

ものです。  

 西行法師が、伊勢神宮に詣でて、その時の感覚を詠んだもの。仏に帰依した身の西行は、

伊勢神宮の名前を直接出すことを遠慮し、何がいらっしゃるかはわからないが、そのありが

たさに涙がこぼれると歌ったと伝えられる。と解説しています。

ちびまるこちゃん

2010-03-17 07:25:49 | Weblog
      

                

 ちびまるこちゃんが遠足バスを運転していますね。ここは松屋デパート屋上のこども遊園

地です。遠い昔を思い出しましたよ。四歳の時か 姉とその友達と屋上遊園地でかくれんぼ

をして、みんなかくれて一人ぼっちになって大泣きした事を。  

 ちびまるこちゃんの運転で、親友のたまちゃん、お金持ちの息子の花輪くんなどと愉快に

やっていますね。踊るぽんぽこりんでも歌っているのでしょうか。

正一位出世稲荷大明神 (松屋屋上)

2010-03-16 07:23:58 | Weblog
      

        

 緑の鳥居のお稲荷さんは珍しいですね。縁起には「古く京都伏見稲荷大社よりご分霊を勧

請し、長らく当敷地内の一祠にお祀りしてありましたが、昭和6年11月松屋浅草支店開店

に際し、改めて屋上に奉安申し上げてあがめ奉ってまいりました。出世稲荷大明神のご神徳

により、その恩顧をこうむらぬ日は一日もなく、あまねく信仰をあつめております」と書い

てあります。しっかり拝んできました。

百花園に日本橋が・・

2010-03-15 07:51:59 | Weblog
       

 園内を散策すると「日本橋」がありました。立て札には「日本橋の変遷は木橋、石橋、鉄

橋と各あるが、石橋時代の模造品と思うが、文字は徳川慶喜と伝える」とありました。なる

ほどね。どんな経緯で徳川慶喜さんになったのでしょうか。  

                

 園内は、ゆっくりと見物すればするほど多種多様な植物、歴史を今に伝える「塚」がたく

さんあって、開園以来の文化を記しています。

ばいも・編笠百合 (百花園)

2010-03-14 07:29:41 | Weblog
       ばいもの新芽

             成長して咲くと百合の花

 ひらがなで「ばいも」と表示してある植物の芽を見付けました。若いカメラマンも熱心に

撮影中、聞くと、「ばいもってなんでしょうね」と。帰って調べてみると「貝母」と書くそ

うで、別名「編笠百合」。あと一ヶ月で下の写真のように咲くらしい。  

            古河黙阿弥の塚

 きょうげん塚 二世河竹新七、後に古河黙阿弥と改めます。壮年より演劇作者として活躍

しました。一生の間に書いた新作三百余といわれます。明治26年七十七歳で他界しました

が門人たちが相談して、後の世に伝えるため石碑を建て「狂言塚」と名づけました。

梅は咲いたが・・(向島百花園)

2010-03-13 07:38:22 | Weblog
        水辺の紅梅
 
                  ぼけの花

 江戸の町人文化が花開いた文化・文政期、花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園

されたといいます。百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられ

たとされます。なるほどですね。  

            芭蕉句碑

 春もやや けしきととのう 月と梅 芭蕉の句碑に迎えられて入園しました。水辺の紅梅

や、道端の「ぼけ」など 春を感じましたよ。

311メートル

2010-03-12 07:43:24 | Weblog
        10.3.11

 完成時には630メートルですからこの二倍の高さになるわけで、驚きです。空間にイメ

ージして「ウーム」とうなってみたりです。かねて狙っていた松屋浅草店の屋上から撮りま

した。屋上の金網の隙間から何枚か撮ったうちの一枚です。  

                 9.5.10

 これは昨年5月10日のものです。建設のスピードがわかりますね。ま、とにかく安全第

一でお願いいたします。