散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

団子坂・久左衛門坂 (新宿区)

2008-12-21 07:20:33 | Weblog
    団子坂

 都営地下鉄「若松河田」駅から抜け弁天に向かうと、だらだらと下っていますが

これが団子坂。説明は、この坂はいつも泥んこで、歩くたびにまるで泥だんごのよ

うになったという。嘉永7年(1854)の「江戸切絵図」には、「馬ノ首 ダンゴ

サカト云々」とあります。  

        久左衛門坂

 久左衛門坂(新宿7丁目)。かなり急な坂ですが、この坂は徳川家康の江戸入府以

前から大久保に居住していた島田家の草創、久左衛門が新しく開いた坂道であった

ため、こう呼ばれるようになったという とあります。

松尾芭蕉の句碑 (浅草弁天山)

2008-12-20 07:49:16 | Weblog
    

 浅草寺本堂の南東、弁天山の芭蕉句碑です。 

 くわんをんの いらか見やりつ 花の雲 とあります。説明版によりますと、こ

の句碑は寛政8年(1796)10月12日、芭蕉の103回忌に建立されました。

 元は浅草寺本堂北西、銭塚不動の近くにありましたが、戦後この地に移建された

ものといわれています。  

 奥山庭園にある「三匠句碑」、花の雲 鐘は上野か 浅草か と共に、奇しくも

「花の雲」という季語がよみこまれています。(浅草観光連盟)

 

浅草・羽子板市

2008-12-19 07:31:58 | Weblog
  

        

 行ってきました、見てきました。浅草寺境内で、今年も羽子板市が賑わっていま

した。不景気を打ち返せ・・とばかりに、ズラリといろいろな羽子板が並んで賑や

かなこと。ゴルフの人気者石川君、漫画で天才バカボン一家、根強い人気の一発必

中ゴルゴ13などなどです。  

    

 しかし板だけではダメですね。色彩豊かな追羽根の店も負けずに頑張って、お姉

さんが愛想よく イラッシャーイ です。羽子板と併せて約50店が軒を連ねて、

さあイラッシャーイ です。

 

與楽寺・六阿弥陀第四番

2008-12-18 07:41:43 | Weblog
 

         

 北区田端1丁目の真言宗のお寺で、江戸時代20石を拝領したといいます。足立

姫伝説の江戸六阿弥陀第四番の札所です。阿弥陀如来は女性成仏の本尊とされてい

ます。境内には巡拝塔や廻国供養塔などがあります。  

 

 賊除地蔵伝説も聞かれます。ある夜のこと盗賊が押し入ろうとした時、どこから

ともなく多数の僧侶が現れて盗賊の侵入を防ぎ、これを追い返しました。翌朝、本

尊の地蔵菩薩の足に泥がついているのが発見され、地蔵菩薩が僧侶となって盗賊を

追い返したのだと信じられるようになりました。

田端不動坂 (田端1丁目)

2008-12-17 07:36:02 | Weblog
    

          

 JR田端駅南口から西南に登る坂です。坂の名は、かつて田端駅南口付近に石造

の不動明王立像が安置され、不動の滝があったことによるものです。 

 その不動明王は、明治45年(1912)5月に始まった、田端駅拡張工事によ

り他に移されました。さらに谷田川改修工事に伴って昭和10年(1935)11

月に現在地(田端3-14-1隣接地)へ移されました。現在は田端不動尊となっ

ています。不動が動いたわけですね。

竹屋の渡し碑  (隅田公園)

2008-12-16 07:28:55 | Weblog
  

          今戸橋

 今戸橋の親柱が残る隅田公園に「竹屋の渡し」の碑があります。山谷堀口から向

島三囲神社の前あたりを結んでいた渡し舟ですね。その昔の出版物にも「待乳ノ

渡、竹家ノ渡トモ云々」と書いてあるそうです。  

 竹屋という船宿の女将さんが、綺麗なよく通る声で「たけや~」と対岸にいる舟

を呼ぶ声が名物だったと伝えられています。  

            子規の句碑

 この碑の近くに正岡子規の句碑があります。「雪の日の 隅田は青し 都鳥」と

あり、待乳山聖天からの眺めではと言われています。

山谷堀公園(今戸1丁目)

2008-12-15 07:39:03 | Weblog
  

        

 桜の葉もすっかり散ってしまった公園です。東京都下水道局ポンプ場のところか

ら隅田川へと注ぐ、約700メートルにおよぶ山谷堀は、北区の音無川を源として

飛鳥山の北側の王子権現の下を経て通じていました。

 昔、この堀は吉原への通路の一つになっていました。山谷堀を通るので吉原通い

を別名「山谷通い」といったそうです。今は埋め立てられて、水と緑の憩いの公園

になっています。

    

 山谷堀公園を見下ろす待乳山は、海抜9.5mの千坪に満たない小丘陵ですが、

木立に囲まれた優美な山の姿が街の人々に愛されてきました。

出世観音像・築地塀(待乳山聖天)

2008-12-14 07:27:59 | Weblog
   

 出世観音像は、昭和11年の境内整備のおりに、御頭だけが出土されて、足利末

期(1600頃)と鑑定されました。学業、芸道に志す者の尊信をあつめていると

記されています。  

        

 築地塀は江戸時代の名残をとどめる唯一のもので、貴重な文化財です。全長25

間(45.5m)あります。広重の錦絵にも描かれています。

池波正太郎生誕の地碑(浅草7丁目)

2008-12-13 07:47:42 | Weblog
  

           

 台東区立待乳山聖天公園に建立されたものです。濃い茶色のステンレス製の碑に

銀杏の葉が散りそばめています。その昔、東京市浅草区聖天町と呼ばれたこの付近

は隅田川に近く、池波節の「大川の渡し」が数多くあります。  

   

         

 待乳山聖天さまのお正月準備も進んでいるようです。本殿前には「巾着」の香炉

が皆さんを待っていますね。


旧台徳院霊廟惣門 (増上寺)

2008-12-12 07:36:11 | Weblog
   

 この門は寛永9年(1632)三代将軍徳川家光が建てた二代将軍秀忠の墓所、

いわゆる南廟の正門です。入り母屋 唐破風で銅板葺きの八脚門です。国の重要文

化財に指定されています。他にも華麗な建築群がありましたが、戦災で罹災を免れ

た頼額門、御成門等は埼玉県の狭山不動寺に移築されています。  

      

 阿形・吽形の木造仁王像は、18世紀前半までに江戸の仏師によって制作された

と推測され、仁王像として立派なつくりを示す貴重な作品とされています。なんと

も怖い形相ですが立派ですね。