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赤穂義士が吉良邸討ち入り後、永代橋を渡って霊巌島を通り泉岳寺に至ったとの
ことです。途中、永代橋東詰の佐賀町「ちくま味噌」で休息をした事を示す表示が
あります。ちくま味噌敷地内です。(以下全文)
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赤穂四十七士の一人大高源吾子葉は、俳人としても有名であります。ちくま味噌
の初代竹口作兵衛とは其角の門下として、俳諧の友でありました。元禄十五年十二
月十四日討ち入り本懐を遂げた義士たちが、永代橋に差し掛かるや、あたかも当所
乳熊屋味噌店の上棟の日に当たり、作兵衛は一同を招き入れ、甘酒粥を振る舞い労
をねぎらったのであります。大高源吾は棟木に由来を認め、又看板を書き残して泉
岳寺へと引き上げていったのであります。
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ちくま味噌十六代 竹口作兵衛氏の「口上」です。
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