さんでんじです。

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7日の夕方に、東京を出発。

2007-06-13 10:51:29 | Weblog
時間の取れない東京滞在、1泊2日の延べ32時間だった。しかし東京を発って1カ月半じゃ、そうそう変化は見えない。東京は、相変わらずお元気そうで、そんな皮肉になってしまう。東京からの寝台列車は、熊本へ行くはやぶさ、大分へ向かう富士、この2列車が1編成になって、門司まで向かう。そこから切り離されるわけだ。

列車に乗り込む直前に、妻から電話が入った。大分で震度4の地震だと。被害はないようだけど、ちょっと怯えた様子。そりゃー岡山の矢掛では地震なんかめったに起きないから。東京なんかはしょっちゅうだ。けれど、ワンチ君、陸君、殿ちゃんは、地震の揺れも気にならず、平然と寝ていたという。そして、まだ余震が続くという。ま、地震を鎮める神に祈ることだ、と私は言った。

さて今宵の寝台列車は、私を含めて5人の乗車。帰りもこんなものか。東京を発車して直ぐ、品川駅に長ーく停車。8分遅れとなった模様。そういえばJR宇都宮線も落雷のために遅延。昼間の雷雨も、周辺各地に散ったようだ。

富士駅からひとり乗車、また私の真向かいに座る。まあいいけど。今日は酒もビールも買った、とっとと寝る。まだ夜も明けない3時くらいだろうか、長く停車している。しばらくするとまた動き出した。窓越しに明かりが漏れる、岡山駅だ。また寝る。広島に近づく頃に目が覚める。もう外は明るい。まだ、早朝。広島駅でひとりが下車した。いつの間に、遙かむこうのボックスで。都合で乗車は7人とだった。広島近郊では赤い屋根瓦が多かったが、山口県に入ると黒光りする屋根が多い。不思議だね、屋根の色。

下関で機関車を交代させて、門司駅に到着すると、熊本行きのはやぶさと、大分行きの富士が切り離される。最後尾の窓に陣取る親子の姿がどんどん遠くなる、そして列車、はやぶさは行った。しばらくして旗を持った監視員を乗せた機関車が彼方から近づいてくる。間近に迫り、停車した。やがて連結器が接続される。そして、門司駅を発車、40分遅れである。ま、帰りは急がないし。

中津を出て、しばらく行くと麦畑が拡がる。行きと帰りでは、同じ光景も目には違って映るものだ。山香では田植えが始まっている。まだ梅雨入り宣言は出ていないが、雨が待たれる時節だろう。別府湾に差し掛かると、彼方に臨海工場地帯の煙突やクレーンが霞みおぼろげに見える。ここへ帰ってきた、そんな実感がほんのり湧き上がる。大分到着は定刻より1時間遅れの12時18分。約18時間の列車の旅だった。