迷宮映画館

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ある精肉店のはなし

2014年07月05日 | ドキュメンタリー映画
去年、当地で行われたドキュメンタリー映画祭で上映された作品。都合で見れなかったもんで、どうしても見たかった。一般公開になる!と聞いてたんで、安心していたのですが、見れて重畳でした。

場所は大阪の住宅街。牧場でもなんでもないところに牛が!その牛は、とぼとぼと、ごく普通のアスファルトの道を歩いていく。先にあるのは場。一撃で牛の脳天にハンマーを入れる。崩れ落ちる牛。そこからが圧巻。隅々まで、本当に隅々まで綺麗に切り分け、肉、皮、骨、内臓、さっきまでモーモー言ってた牛は、見事に切り分けられた食べ物になる。

不詳、わたくし、1985年に放映された某国営放送作成の名作、「人間は何を食べてきたか」を、ずっと生徒に見せてきました。今まで合計何度再生したか覚えてもいませんが、私たちが毎日食ってる肉やら、パンやら、米やら、どうやって作られているのか、どうやって食卓に並ぶようになっているのか、それくらいは知ってもらわないと。

何度となく見た豚の解体。自分たちで育て、し、解体して、加工する。自分たちが食べるもんのルーツを知る。そんな当たり前のことを、私たちは知らないし、見ないし、見ようともしない。というより、知らないのなら、そのまままったく知らずに生きていける。それはそれでいいのかもしれませんが、やっぱ考えてもらおう。食べるってことは、何より大事なことであり、文化そのものだから・・という思いからです。

そして今回の作品、Ⅷ〔知ったか]していた自分が恥ずかしいです。こんなふうに町の中で自然に牛を育て、解体し、そして売る。北出肉屋さんの看板にあるのは、【生産・販売】。肉屋さんに生産はないだろう・・と思ったら、ちゃんとあるのですよ。

さて、した後の肉は、1週間くらい熟成させます。一番おいしくなった頃に切り分け、販売する。内臓はそれぞれの部位にわけて、それぞれの食べ方で食べる。すじも手間と時間をかけて煮込んで販売。捨てるとこなどないし、一番おいしい時に売るという肉を知りつくした肉屋さんの信頼できる肉です。本当においしそう。

信頼に足る町のお肉屋さん・・・・だけではなかったのでありました。肉を売る、をする、動物の死体を処理する、皮を加工して利用する。。。これらの仕事はどういう人々が従事してきたのか。。。。そこです!一番の眼目はそこ。好き込んでこの職業についたわけじゃない。その昔から、農地を奪われ、最下層の身分に貶められ、エタとして区分されてきた人々がついてきた職業だったのです。

これが被差別の事なんだなどということは、冒頭から一切出て来ません。自分たちが受け継いできた家業をしっかり守り、家族で支え、それをまたつないでいく。そこにあるのは、自分の職業に対する自負と誇りとプライド。それらが北出さん家族の一人一人の仕事ぶりに、きっちり反映されてます。無駄がなく、働き者で、真摯です。感動すら覚えます。

人間は不完全な生き物です。人と違うもの、違いを忌み嫌うもの、違わせたくもあり、同一化もしたい。何とも複雑で、勝手わがままな生き物です。でも、それに打ち勝つ魂と力を持っている。好きで始めた職業でもなく、言われなき差別からやむを得ず従事した仕事だったのが始まり。でも、誰かがやらなければならないことだったはず。どれだけの苦難の道だったかは、想像するしかありませんが、生き抜いて踏ん張り、営々と続けてきた営みを見るに、人間の真のたくましさを感じたのでした。

◎◎◎◎

「ある精肉店のはなし」

監督 纐纈あや


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2 コメント

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Unknown (ふじき78)
2014-07-08 22:56:51
こんちは。
しかし、明治より前は表立っては獣肉を食べる風習はなかった。それを考えると、全てを利用しつくすって、物凄い事だよなあ。ウィキを見たりすると、牛馬の死体から革製品を作るなんてのがメインの仕事だったみたいです。それから行くと「太鼓の皮を張る」と言うのは実にご先祖様チックな作業なのであります。
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>ふじき78さま (sakurai)
2014-07-22 16:22:13
元は、牛馬の死体を処理するために仕事で、それは人間に死体もやはり処理する人が必要。
でも、牛馬は死骸でもいろいろと使い道があるけど、人間サマは使い道ないですよね。
かなり昔からあったカテゴリーですが、きっちり身分制度に取り入れたのは、江戸幕府からと言われておるようで。
農民のサンドバック代わりにおいておいたと。
すごい支配体制のヒエラルキーを作ったもんだとあきれるほど感心します。家康公。
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