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モンゴル近辺を切り取った映画には傑作が多い。どのくらいの数を作っているのかは不明だが、たぶんこんなマイナーな部類の映画で、はるばる日本にくるようなものは、大体が秀作とくくっている。これもやはりあたり。
「えーー、モンゴルが舞台?パス」と思っていた方は、逆に考えて、良い映画だからこそはるばる遠い国までやってきたんだ、と思った方がいいと思う。
中国内蒙古自治区のあたり。住んでいるのは遊牧で生業を立ててきた遊牧民族。何より馬を大事にし、羊を飼い、ゲルに住み、お茶を飲み、ヨーグルトを作る。電気も水道もない。あるのは草原と、モンゴル民族であるという矜持と、馬。
でも、子供を学校に通わせる学費すらない。羊の食む草原はどんどんと砂漠化し、羊は次々と死んでいく。仲間はどんどんと草原を捨て、街に移り住んでいる。ウルゲン一家も、徐々に狭まっていく草原に心底困っていた。昔なら、いくら羊が草を食んでも、また草原はよみがえった。たくさんの羊が草原を走り、どこまでも、どこまでも広がる大地は潤っていた。
![](http://sakura1043.web.infoseek.co.jp/story_p1.jpg)
しかし、いまや、数少なくなった羊を養う草すらどこからか調達しないとやっていけなくなってしまった。草原を借りたい、と申し出るのだが、遊牧民にボーダーが作られている。鉄条網で草原を囲い、政府が保護しなければならない事態になっている。
じゃあ、遊牧民はどうしたらいいのか。どうしようもない。遊牧民の生活も大事だが、草原の保護をしなければならない。ここまで事態が深刻になっていて、すでに遊牧の悠々たる生活などというものは、夢物語になりつつあるのだということを知らされた。
にっちもさっちもいかなくなったウルゲン一家。妻は道端にでてヨーグルトを売ろうとするが、トラックに排気ガスを掛けられるだけ。夫は、村の仲間で街に出て行って、チンギス・ハンの似顔絵描きとして有名になった、村の出世頭になんとか牧草地を返してもらうことに力を貸してもらいたいと泣きつくが、むげに断られる。
もう、最後の手段、命よりも大事な馬を売るしかない。馬を手放すということは、すなわちモンゴル民族としてのアイデンティティを失うこと。でも、もうそれしか選択の道はない。
仲介したのは、あまり信用がおけない自称ウルゲンの親友の羊の皮を買いに来る男。大人しい馬を探しているという男に馬を売ってしまう。
草原に帰ってきたウルゲンは、酒でもかっ食らうしかない。ずたずたにされたプライド。ここで強いのはやはり女性だ。妻は、とことん落ち込んでいる夫をしり目に、なんとか暮らしていこうと、行動をやめることをしない。夫の気持ちは痛いほどわかるが、腹は減る。ご飯を作らないといけない。女には、落ち込んでいる暇などないのだ。
街に行ったウルゲンは、馬を売ってもらった男に連れられて、ディスコに行く。耳をつんざく大音量に、何がなんだかわからないウルゲンは、意外なものを見る。飾り立てられ、半裸の女を載せて、ディスコの舞台に立つ自分の馬。
ここまで、本当に救いのない話の連続で、あまりのふがいなさに、いったいどうなるんだろうといぶかしげに思っていたのだが、ここからが真骨頂だった。新しい道を歩むための苦痛、苦難。どれだけの重い気持ちで、草原を去るのか。馬にきちんと別れを告げ、新しい道を進んでいくウルゲン。我知らず馬は歩む。
![](http://sakura1043.web.infoseek.co.jp/story_p6.jpg)
うーーん、きつい。痛い。辛い。でも、すごい。はたから見ると、悠々と自然の中で、気ままに遊牧をしているおおらかな民・・・・。そんなことはなく、現実は容赦ない。彼らだけの問題ではなく、すでに現状は地球規模になってきている。その容赦ない今を素直に見せた。だから何ができるのか、といわれると、二の句が継げないが、やはりさまざまな事実を知って、損はない。人間ってやっぱすごい生き物だ。
夫と妻の様子が、本当に自然で、特に妻の鷹揚さというか、強さというか、包容力を感じたのだが、二人はパートナーだそうな。そもありなん。ものすごく納得。
『天空の草原のナンサ』という、こちらは厳しい現実ながら、草原に生きていく一家を描いたもんだったが、こっちの母ちゃんも凄いんだ、これが。心がでかい。ちょっとやそっとじゃびくともしない。やはりこの世を持っているのは母ちゃんでしょうか。
◎◎◎◎
『白い馬の季節』
監督・脚本 ニンツァイ
出演 ニンツァイ ナーレンホア チャン・ランティエン
「えーー、モンゴルが舞台?パス」と思っていた方は、逆に考えて、良い映画だからこそはるばる遠い国までやってきたんだ、と思った方がいいと思う。
中国内蒙古自治区のあたり。住んでいるのは遊牧で生業を立ててきた遊牧民族。何より馬を大事にし、羊を飼い、ゲルに住み、お茶を飲み、ヨーグルトを作る。電気も水道もない。あるのは草原と、モンゴル民族であるという矜持と、馬。
でも、子供を学校に通わせる学費すらない。羊の食む草原はどんどんと砂漠化し、羊は次々と死んでいく。仲間はどんどんと草原を捨て、街に移り住んでいる。ウルゲン一家も、徐々に狭まっていく草原に心底困っていた。昔なら、いくら羊が草を食んでも、また草原はよみがえった。たくさんの羊が草原を走り、どこまでも、どこまでも広がる大地は潤っていた。
![](http://sakura1043.web.infoseek.co.jp/story_p1.jpg)
しかし、いまや、数少なくなった羊を養う草すらどこからか調達しないとやっていけなくなってしまった。草原を借りたい、と申し出るのだが、遊牧民にボーダーが作られている。鉄条網で草原を囲い、政府が保護しなければならない事態になっている。
じゃあ、遊牧民はどうしたらいいのか。どうしようもない。遊牧民の生活も大事だが、草原の保護をしなければならない。ここまで事態が深刻になっていて、すでに遊牧の悠々たる生活などというものは、夢物語になりつつあるのだということを知らされた。
にっちもさっちもいかなくなったウルゲン一家。妻は道端にでてヨーグルトを売ろうとするが、トラックに排気ガスを掛けられるだけ。夫は、村の仲間で街に出て行って、チンギス・ハンの似顔絵描きとして有名になった、村の出世頭になんとか牧草地を返してもらうことに力を貸してもらいたいと泣きつくが、むげに断られる。
もう、最後の手段、命よりも大事な馬を売るしかない。馬を手放すということは、すなわちモンゴル民族としてのアイデンティティを失うこと。でも、もうそれしか選択の道はない。
仲介したのは、あまり信用がおけない自称ウルゲンの親友の羊の皮を買いに来る男。大人しい馬を探しているという男に馬を売ってしまう。
草原に帰ってきたウルゲンは、酒でもかっ食らうしかない。ずたずたにされたプライド。ここで強いのはやはり女性だ。妻は、とことん落ち込んでいる夫をしり目に、なんとか暮らしていこうと、行動をやめることをしない。夫の気持ちは痛いほどわかるが、腹は減る。ご飯を作らないといけない。女には、落ち込んでいる暇などないのだ。
街に行ったウルゲンは、馬を売ってもらった男に連れられて、ディスコに行く。耳をつんざく大音量に、何がなんだかわからないウルゲンは、意外なものを見る。飾り立てられ、半裸の女を載せて、ディスコの舞台に立つ自分の馬。
ここまで、本当に救いのない話の連続で、あまりのふがいなさに、いったいどうなるんだろうといぶかしげに思っていたのだが、ここからが真骨頂だった。新しい道を歩むための苦痛、苦難。どれだけの重い気持ちで、草原を去るのか。馬にきちんと別れを告げ、新しい道を進んでいくウルゲン。我知らず馬は歩む。
![](http://sakura1043.web.infoseek.co.jp/story_p6.jpg)
うーーん、きつい。痛い。辛い。でも、すごい。はたから見ると、悠々と自然の中で、気ままに遊牧をしているおおらかな民・・・・。そんなことはなく、現実は容赦ない。彼らだけの問題ではなく、すでに現状は地球規模になってきている。その容赦ない今を素直に見せた。だから何ができるのか、といわれると、二の句が継げないが、やはりさまざまな事実を知って、損はない。人間ってやっぱすごい生き物だ。
夫と妻の様子が、本当に自然で、特に妻の鷹揚さというか、強さというか、包容力を感じたのだが、二人はパートナーだそうな。そもありなん。ものすごく納得。
『天空の草原のナンサ』という、こちらは厳しい現実ながら、草原に生きていく一家を描いたもんだったが、こっちの母ちゃんも凄いんだ、これが。心がでかい。ちょっとやそっとじゃびくともしない。やはりこの世を持っているのは母ちゃんでしょうか。
◎◎◎◎
『白い馬の季節』
監督・脚本 ニンツァイ
出演 ニンツァイ ナーレンホア チャン・ランティエン
>はるばる日本にくるようなものは、大体が秀作とくくっている。
そうですね、僕たちが見ることが出来るのはほんとうに一部なんだけど、あるところで、世界の映画祭なんかでスクリーニングされているものですからね。
もっと食わず嫌いじゃなくて、いろんな人に見てほしいですね。
人に勧めても「モンゴルのお?」とか、いぶかしげにされるのですが、絶対こういうのは傑作しか来ないですよね。
前にベルギーの映画を見ましたが、やはり傑作でした。