創世記から10年・・・。シーザー率いる仲間たちのその後。彼らは森の奥深くに自分たちの世界を構築し、秩序を持って平和に暮らしていた・・・。と言いつつも、動物の世界でのリーダーは、まず強くなければならない。ここが知性を持ってしまった猿のジレンマなような気がします。
人間と出会わなければ問題も起きないのですが、それじゃ映画になんない!猿が住んでいた地域の近くに水力発電所があったことから、わずかに生き残ってた、人間と猿が遭遇してしまう。人間にもいろんな人がいるし、猿にもまたいろんな猿がいると。人間にとっちゃ、猿がのうのうと暮らしているのは許せない。自分たちが追い詰められ、ひどい暮らしを強いられ、文明とは程遠い生活を送らざるを得ないのは、猿のせい。
元をただせば人間のせいだが、この際その辺は見ないことができるのが人間。人間たちはどうしても電気が欲しい。できれば猿たちもやっつけたい。元の暮らしに戻りたい。猿たちは平和に暮らせればそれでいい・・・はず。でもでもでも、そうはいかない。
この辺からいかにもアメリカ的な、敵を創出しないと気が済まない!敵は打ち負かさないとならない!妥協点を見つけようとしても、それを絶対に認めず、破壊しようとするものが現れる。それが双方にいるというのが避けがたい戦いになる!!ということが表されていく。
猿側の破壊者のコバは、自分が破壊的な猿になってしまった理由こそが人間のせいと、人間を絶対に許さない。若干同情すべきとこはあるのだが、コバはあくまでもうしろ向きで卑怯であらねばらならない。猿側にもやばいのがいるのはわずかな救いみたいなもん。もちろんせこく、相手を受け入れない憎たらしい人間は、ウサウサいる。なんせこっちが卑怯者の本家本元ですから。
違う者同士が一緒に新しい世界を作るむずかしさを見たよう。そして、それはもろに人間の世界の話であって、受け入れがたい敵、妥協点を見出そうとせず銃を向けてしまう人間の姿だった。猿の形を借りていたが、猿だから・・・と言う視点よりも、相容れない同士の戦い!であったような感じに見えた。普遍的な問題。
見ていて思ったのが、猿がもし知性を持ったら、どうなるだろう?と。人間のマネになってしまうのだろうか。彼ら独自の世界になるような気がする。映画にするためには人間っぽくしなきゃならないが、どんな世界になるのやら。
おまぬけなあたしは、綴りを読み違えて、「Dawn」を「Down」と見てしまった。うーん、猿の世界に落ちていくのか・・とか勝手に思ってたら、夜明けの方だったのね。「Dawn」の単語を初めて認識したのは、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」。。。あの映画の恩恵は、単語を一個覚えたこと。。。
タイトルロールの一番上には燦然とアンディ・サーキスの名が!!!!「イン・ザ・ヒーロー」を思い出しながら、自分の顔が出てないのに、こんなに有名な役者は他にいないのではないかと思われます。素晴らしい。
◎◎◎●
「猿の惑星 新世紀(ライジング)」
監督 マット・リーブス
出演 アンディ・サーキス ジェイソン・クラーク ゲイリー・オールドマン ケリー・ラッセル トビー・ケベル
人間と出会わなければ問題も起きないのですが、それじゃ映画になんない!猿が住んでいた地域の近くに水力発電所があったことから、わずかに生き残ってた、人間と猿が遭遇してしまう。人間にもいろんな人がいるし、猿にもまたいろんな猿がいると。人間にとっちゃ、猿がのうのうと暮らしているのは許せない。自分たちが追い詰められ、ひどい暮らしを強いられ、文明とは程遠い生活を送らざるを得ないのは、猿のせい。
元をただせば人間のせいだが、この際その辺は見ないことができるのが人間。人間たちはどうしても電気が欲しい。できれば猿たちもやっつけたい。元の暮らしに戻りたい。猿たちは平和に暮らせればそれでいい・・・はず。でもでもでも、そうはいかない。
この辺からいかにもアメリカ的な、敵を創出しないと気が済まない!敵は打ち負かさないとならない!妥協点を見つけようとしても、それを絶対に認めず、破壊しようとするものが現れる。それが双方にいるというのが避けがたい戦いになる!!ということが表されていく。
猿側の破壊者のコバは、自分が破壊的な猿になってしまった理由こそが人間のせいと、人間を絶対に許さない。若干同情すべきとこはあるのだが、コバはあくまでもうしろ向きで卑怯であらねばらならない。猿側にもやばいのがいるのはわずかな救いみたいなもん。もちろんせこく、相手を受け入れない憎たらしい人間は、ウサウサいる。なんせこっちが卑怯者の本家本元ですから。
違う者同士が一緒に新しい世界を作るむずかしさを見たよう。そして、それはもろに人間の世界の話であって、受け入れがたい敵、妥協点を見出そうとせず銃を向けてしまう人間の姿だった。猿の形を借りていたが、猿だから・・・と言う視点よりも、相容れない同士の戦い!であったような感じに見えた。普遍的な問題。
見ていて思ったのが、猿がもし知性を持ったら、どうなるだろう?と。人間のマネになってしまうのだろうか。彼ら独自の世界になるような気がする。映画にするためには人間っぽくしなきゃならないが、どんな世界になるのやら。
おまぬけなあたしは、綴りを読み違えて、「Dawn」を「Down」と見てしまった。うーん、猿の世界に落ちていくのか・・とか勝手に思ってたら、夜明けの方だったのね。「Dawn」の単語を初めて認識したのは、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」。。。あの映画の恩恵は、単語を一個覚えたこと。。。
タイトルロールの一番上には燦然とアンディ・サーキスの名が!!!!「イン・ザ・ヒーロー」を思い出しながら、自分の顔が出てないのに、こんなに有名な役者は他にいないのではないかと思われます。素晴らしい。
◎◎◎●
「猿の惑星 新世紀(ライジング)」
監督 マット・リーブス
出演 アンディ・サーキス ジェイソン・クラーク ゲイリー・オールドマン ケリー・ラッセル トビー・ケベル
それが狙いなのはわかりますが、それだと
“馬”は何を象徴しているんだとか考えこんじゃう
んですよね。
もっと素直になりたい(笑)
どうもするっと来ません。
ま、人間が作ってるんだからしようがないか。
ひねくれもんが映画見ると、どうもねえ・・・。
オリジナルの「猿の惑星」の前日譚とすると、所詮知能があがっても、そのとき憎しみやずるさなどいわゆる人間性の負の部分もいっしょにもれなくついてきてしまうというやるせなさを描いたのかなと思いました。
知能っていうのが、すでにパンドラの箱で、シーザーが最初に知能を得たときに、その萌芽があったのかもしれません。
何が完成形で、どうなればもっともいい形なのかがわかれば、こんな苦労はないですもんね。
生きるって大変っす。
皆がみな、同じ考え・・・て訳にはならないですよね。
争いごとは、本当に嫌ですよ。
そういった意味でも悲しくなるストーリーでした。
あれ、小さい頃のシーザーが暮らしていた家の窓枠の形なんですよね
なんか、そんなとこで感動してしまいました(肝心のハンディカメラのほうじゃなく)
猿が進化し続けたら、結局人間のようになってしまう
エイプ皆家族という構図から、全体を考えられないものが出てきてしまう
それを、頭の良いシーザーが考えてなかったとは言わせません。
現在の国勢状態にあてはまるので、なんとも考えてしまう作品でした
個人的には前作のほうが好きでした
なもんで、ますますやりきれない感じ。
サルである、ということより、結局人間の模倣だという表現の仕方が、きになりました。
絆を感じさせるような。
結構典型的な人たちや、人間みたいな典型になった猿たちが多くて、猿の世界観ってのが欲しかったような。
でもそうすると、人間たちと対立しなくなるから、こうならざるを得ないのかな。
だと、人間っぽくなった猿じゃないとならないと。
うーん、難しいですね。