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道徳の善悪(モラルハザード)

2020-03-04 | 学問
 3月 4日  水曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


歴史を紐解けば、

人類は「徳」について深く思いを巡らせてきた。

ソクラテス、カント、聖徳太子、佐藤一斎。

それは人を欺く行為と共に受け継がれてきた。

人が善悪を知る者になることを神が許しを示したとしても、

悪徳によって善悪を知らなかった者が

善悪を判断する身になったとしても、

幾つもの答えに窮する問いが残されている。

宗教家は道徳を神の教えだと説き、

学者は哲学を修士して社会が発展したものだと信じた。

今や、両者とも歴史の事実を再確認しなければならなくなった。

道徳によって一体だれが得をするのか?

個人か、集団か。道徳はウィンウィンか。

その問いかけに対しての答えが共同体にあるというのが、

ベンサムの言う最大多数の最大幸福論だ。

社会に文明をもたらした人間にとって、

有効な道徳と同じ原理に基づく愛の力も、

功利主義が幸福をもたらすことは可能なのだろうか。

確かに子供には愛が無い。あるのは感情だ。

感情では善悪の判断がつかないために

道徳教育が善であることには同意できるが、

気を付けなければならないことがある。

道徳を命令に変える悪徳の存在だ。

そんなヤツらは自らを必要悪だと認めている。

現代の社会は改めて「いったい何のために?」といった、

哲学的な問いかけを思考しなければならない時代なのである。


道徳の善悪をどの様に見分ければ良いのか。

道徳の第一原則ともいうべき、

「己の欲せざる所、人に施する勿れ」

「汝が欲せざることを、他人になすなかれ」

これらから始まる 「修身」 とは精神教育であり、

その精神は文化に発展する 「まじめ」 である。

仁 - 隣人愛、自己愛。
義 - 道理に適う、筋道が通る。
礼 - 感謝に勝る能力なし。
智 - 人の幸せは脳に比例する。
信 - 責任、言行一致。

道徳研究はまだ始まったばかりなのです。


自らが道徳によって騙されないためにも、

正しい道徳を修身することは何よりも 「顔」 に現れる。

なぜなら、

見る人が見れば一瞬で善悪を見抜くことくら容易いからだ。

道徳は万人向けであって命令的ではなく平等であるはずだ。

だから、相手の道徳に悪意を感じ場合、

言い返さなければ上下関係、ヒエラルキーが成立してしまう。

そうならないためにも、例えば

老人が若者に道を譲れといった場合、この様に言い返す。

「若者と老人、どちらが徳か。」と。

仕事に対しては、

「個人と集団、だちらが徳か。」と。

また、

「先生と生徒、親と子、どちらが徳か。」と。

重要なのは、

道徳は命令ではなく万人法なのですから。

道徳の善悪(モラルハザード)、お判り頂けたでしょうか。



    つづく。