さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

伊橋かほる『銀色の脚立』 「未来」の短歌採集帖(2 )

2016年09月23日 | 現代短歌
 今日「一太郎」のワープロ・ソフトが出て来たのでインストールし直して、以前「砦」に書いた原稿が読めるようになった。それで、以前に書いた文章を順にアップしてみようと思う。

 伊橋かほるさんの第一歌集『銀色の脚立』(砂子屋書房・二〇〇三年二月刊)には、約八百余首の歌が収録されている。最近では多い方だと言ってよいだろう。しかし、これは一九六四年から一九九九年までの数多い作品の中から選出されたものなのだ。伊橋さんは、生涯に一冊か二冊の歌集を出せたらそれでよしとする時代の歌人の一人であろう。結核の療養所で河野愛子と出会った。口絵の写真には、着物を来た著者とエレガントな洋装の河野愛子が並んで写っている。河野に連れられてはじめて「未来」の歌会に参加した時に、「今日は私を先生と呼ばないこと」「『未来』は近藤さんに対しても先生と言わないの」と河野に言われたと、「あとがき」にある。

 現代詩人が短歌を否定的に言う時の決まり文句のひとつに、「短歌はお師匠制度だから駄目だ」というのがあった。私の知るかぎりでは、お互いを先生と呼ばないことを徹底したのは、「未来」と「短歌人」であり、戦後のかなり長い期間にわたって、この習慣は厳格に守られていた。高瀬一誌は、最後まで高瀬さんと自分を呼ばせて死んで行った。「高瀬さん」と「短歌人」の人達が言う時には、世話好きで献身的だったあの歌人をなつかしむ響きがある。「未来」の近藤芳美も、古くからの会員は、たとえ仲間うちでは先生と呼ぶことがあっても、直接には「近藤さん」と呼びかけながら長い戦後の時間を経てきた。この問題の是非について、先日ある若手歌人と議論になってしまった。私は、これは美風であったと思うのだが、彼に言わせると、その結果は惨憺たるものである。近年新しく入会して来た若い会員は、まるで近藤芳美の著書を読んでいない。それでも平気な顔をしている。そんなものは結社とは言えないのではないか。結社が教育機関としての役割を果たすためには、先生という呼称が持つ意味を否定できない。これは強制ではなく、そう呼びたい人がそう呼べばいいので、それを禁止までするのは行き過ぎだ、というのだ。彼の言うことにはもっともな面があるが、こうして自由な詩精神の働く場所に賭けた近藤芳美らの夢のひとつが消えてゆくのかと思うと、一抹のさびしさもないではない。話が脱線してしまった。

 『銀色の脚立』の一九六〇年代の歌は、『未来歌集』や初期の河野愛子、それから『相良宏歌集』などでなじみのある典型的な結核の療養の歌で占められている。河野愛子の『草の翳りに』に収められた

   病むはての嫉みほの白き感じにて肩尖りつつ従ふをとめ    河野愛子

足早く行きて若木に埋まるごとゐたるやさしさ演技ならなく

 など三首の歌は、当時の著者のことを詠んだものである、と後年河野に明かされたそうで、歌集の巻頭にはカラー印刷の色紙が掲げられている。右の河野の歌には、鋭敏な神経が働いていて、鋭い自意識を持った二人が居合わせた時間が、くっきりと描き出されている。この頃の伊橋さんの歌は次のようなものだ。
 
   抗議デモ果たし来し若き看護婦の面輪輝くをベッドより見上ぐ   井橋かほる
 幸せの膨らむやうに少しずつ温もりてゆく胸におく手が
菜を洗ひ刻みゆくとき身のうちに癒えし思ひのひろがりてゆく

 一首めのような看護婦の歌は、相良宏の歌集にもずいぶん入っていた。戦後の看護婦の待遇は劣悪だった。(今思い出したので書いておくが、先年亡くなった「多摩歌人」発行人の松田みさ子さんは、看護婦の待遇改善のために裁判闘争を闘った方で、その思い出をエッセイ集『青あらし』に書いている。)

 私がおもしろいと思ったのは、一九八三年以降の歌である。

   木の葉蝶うすばかげろふ薄雪草やさしき名のみ思ひめぐらす       
   蝶の羽かかげゆく黒き蟻の列 花終へし牡丹のかたへにつづく   
   丈高き杉の林をさし透す梅雨のまの陽は羊歯群に映ゆ
  
 同じ章から続けて三首を引いた。八十年代に入ると、伊橋かほるさんのようなタイプの歌人でもどこか表現が華やぎはじめる、というところに時代を感じるのであるが、基本は右のような写生に立脚した歌にある。上品で優しい抒情をにじませた歌は、どれも繊細な響きを持っている。
              
   出奔をせつなにおもひ放りたる酸葉の朱が春川くだる  
 夕映えの木道のうへに降りたちて番の鴨は尾羽根うちあふ
 工夫らの胸ポケットより取り出だす紙幣はつねに汗に湿りゐぬ
   「紅梅はいやらしきまで色濃し」とありしページ閉づ君をかなしむ

エロス的な情念のにじむ歌を引いてみた。どれも河野愛子に深く学んだ作者らしい歌と言えるだろう。

 ひかりつつ蜻蛉のむれの翔ぶ原にまた傷つかむ明日を予感する
    呻くとも咽ぶとも想ふ木枯しを睡れぬままにひと夜聴きをり
 対岸に立ちあがりゆく黄のクレーン遠空に架かる虹を遮る

 この世に生きるということは、遠空の虹を黄のクレーンに遮られ続けるということである。作者の歌集にはそのことの苦渋が十分に読み取れる。序文、大島史洋。「そのうたい方は常に控えめであり、気持ちは内へ内へとこもっていく傾向がある」とのべているが、次のような作品の選出は、実際の作者をよく知っている人のものでもあるのだろう。

   灯のもとに新しき靴を揃へ置くいづこに逃避するにあらねど
   生まれくるまへより見えてゐしやうな道のつづきぬ狭霧のなかに

語の運びの自然な歌で、安心して読み手は気持ちを歌にそそぐことができる。

   妹の病みて呼ぶ声のありありと耳もとにして冴えかへる朝
   人にわかつ悲しみならず大粒の雨にかしげる傘をささへる 

 結社の意味というのは、こういう歌を読み支えるというところにあるだろう。一人の悲しみは、一人のものではないのだ。                      (「砦」十八号 2004年)


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