さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

片桐石州 二話

2019年08月12日 | 
徳川時代初期の茶人、片桐石州のことは、桑田忠親の本で読んで知っていたが、『智能抄』にその逸話が載っているものは読んだことがなかった。吉田幸一編の古典文庫の一冊が買ってあったのを、今日たまたま手にして、おもしろいから少し訳しながら書き写してみる。

(九四)片桐石州守は、その頃茶の湯の名人として世に勝れて、その時代の「和尚」(その道の先生)とも成るべき人であった。会席もまた、勝れて上手のものだった。(茶会の席では)常に手軽な料理を出されたのだが、なかなか風味がすぐれていてよい。また、少し手間のかかったような料理は、なおさら味がいいのである。諸人がみなこれを見習って、いろいろと料理したのだが、どうしても似たような味にすることができないので、ある人が石州に次のように尋ねて、
「手軽な二汁二菜の料理を、ずいぶん真似して作ってみましたが、風味がわるいのです。どうしたらいいのでしょうか。」とお尋ねになった。
石州がその方に申し上げられたことは、
「総じて料理には面白いことがある。まず手軽な料理を上手に作ろうと思うなら、元来重い料理を(もっぱら)拵えて、その重いところから出た軽いものは味がいい。その軽いものを元としては、皆いいかげんなものになってしまうものである。ここから軽い料理の作り方ということを知るべきである。また、結構な料理(手のかかった料理)をうまくできるといっても、また、元来軽い料理の作り様をよく知らなければ、風味がくどくて悪い。そのわけは、重い料理の欠点というのは、必ずくどくてかったるい所があるものである。これが重い料理の難点なのだということをよく知って作らなければ、味がくどくなって悪い。だから、「手軽なことは重いことから出る、重いことは手軽なところから出る」。皆料理のことだと思ってするけれども、その心がけがなかったから、味の加減に難があるものとなるはずだ。また、汁を盛るのにも少なめに盛ったものは、よいものである。また、汁を客がおかわりをされた時に、その汁の中をみて、ある汁がよく減っていたら、その汁をたっぷり盛って出すといい。またその汁の具の内容も、よく客が食べたものをみて盛るとよい。」
というものであった。つくづく考えてみると、何事もこの理と同じである。どのような道においても、すぐれた人の言う事は、手本ともなることだから、これを記しておく。

(九五)片桐石州守は、茶の湯の名人であって、世の人々がこれを崇敬しなさった。しかしながら、煙草を好んで、常に用いられていたのだが、その煙草の火入れ(灰皿)が唐金でできた見事なものだったので、火入れになさっておかれるのを、見る人がみな、
「これは火入れにしておくのがもったいないものです。香炉としてお使いになられたら見事な香炉でしょうに。」とすすめたのだったが、ついに香炉としては使用されなかった。ある時、茶の湯の門人が、この火入れのことを石州に質問して、
「この火入れをどうして香炉にご使用にならないのでしょうか。」と申し上げた。
石州の言うには、
「茶の湯(の奥義)というものは、こういうところにあるのだ。それでは道具を殺し捨てるというものだ。そのわけは、火入れに用いたら無類のものといっても、これを香炉として格上げして用いる時には、また、香炉のうちの下のものである。だから、よい火入れを捨てて悪い香炉にするのは、道具を捨てる(見殺しにする)というものである。だから、万物(すべてのもの)は、はじめから良いものではない、また、悪いものでもない。用い所によって、悪いものがよく見え、良いものがわるくみえる。ただその使い方のうまさがあるものなのだ。
たとえば大将が人を使われる時にも、歩き人足がその才覚でよく仕事ができて、殿の覚えがよくても、家老や用人に上げなさってみると、人足で良かったひとが、家老になってすたれてしまうというようなものだ。」としかじか。
万事に通ずるものと、ここに記しておく。

 芸術家として抜群のセンスを持っていたひとの逸話はおもしろい。