さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

松本典子『裸眼で触れる』

2018年01月03日 | 現代短歌 文学 文化
 カズオ・イシグロがしゃべっているテレビ番組をみながら、積んである本をめくって見ているうちに感興が湧いてきたので、書きはじめた。

 とびとびに縫ひ目の開くまつり縫ひおとろふる眼を母は云はずも   松本典子

 ひとりゐの母に肥大しのしかかる夜のつよき風、空き巣のうはさ

 ちょうど栞の紐が挟まっているページのあたりをぱっと拡げて読んで、完璧な歌だなと思った。妻と娘が祖母に会いに行ってしまっているので、私はたまたま午前中に取れたボタンを留めたり、洗濯機の塵を取る袋が破れていたのを縫い付けたりするという針仕事をしていたのだ。

 まつり縫いの縫い目がひらいてしまっている状態を見るという体験の中には、とても哀切なものがある。私はたまに実家に戻って母に縫物を縫ってもらったり、アイロンをかけてもらったりした時の深い安堵感を思い起こす。その記憶、思い出を心の中でなでさすりたいような気がする。
掲出歌の二首目は、老いた人が自分をおびやかす不安や、妄念に近い思い込みに抗いようがないという事そのこと自体の持っている悲しさを、みごとに歌にしている。

赤ん坊に返るかなしさ言ふ祖母の艶やかにあかき頰、薄きまゆ

祖母の眼鏡に貼りつく指紋この世への絆のやうで拭ひかねゐつ

夜の縁この世の縁とおそれゐて祖母はあかりを消さぬまま臥す

 ※「縁」に「ふち」と振り仮名。

老いというものの在り様を繊細にきちんと受け止めて描き出している。私は大学時代に近代の私小説を大量に読んだ。そのことが、私が現在短歌にかかわっていることのベースにあるのだが、リアリズムの小説では、平野謙の言葉で、現実を「剔抉する」という言い方があった。短歌のいいところは、そんな抉り出すなどという厳しい言い方をしなくても、現実の厳しさをあるがままに読み手の前に差し出すことができるというところにある。三首めの歌は、夜の暗さをこの世の縁と思っておそれる祖母の気持を、実に端的に把握しているではないか。

みかん畠見にゆき命落としたる曽祖父はそれを原爆とは知らず

この一首にはまるで一編の小説のような物語がある。そして核爆弾や核戦争への抵抗の表現となっている。
おしまいに、もう一首引く。

かなしみにこころ沈んでも沈めてもやがて身体から浮かぶ おやすみ