時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百九十八)

2013-09-12 15:15:54 | 蒲殿春秋
一方その頃都はいまだに不安のまったっだ中にあった。
伊賀の平氏の反乱は先日鎮圧されたものの、その残党の行方は杳として知れず
そのことが都の人々の心に影を落とす。
また、現在四国の讃岐屋島にある平家の勢いは次第にその力を増してきている。
都の治安は相変わらずよろしくない。

そのような不安を取り除くかのような盛儀が七月末の都で執り行われた。
元暦元年(1184年)七月二十八日後鳥羽天皇の即位の礼が行なわれた。

即位の礼には三種の神器が必要なのであるが、後鳥羽天皇は神器なしという異例の御即位を遂げられた。
三種の神器は未だ四国屋島におわす安徳天皇のもとにある。

この事態はいずれ収拾されねばならないと朝廷の人々は思っている。

三種の神器は安徳天皇報じる平家の手中にある。
その平家は和議には応じない。
ならば力ずくで奪還するしかない。

その奪還者として期待されていたのが源義経。
だが義経は都の治安維持と先日の伊賀の乱の処理と残党掃討に手いっぱいで身動きがとれない。

鎌倉の頼朝が次にどのような手を打ってくるかに人々の意識は向かう。

その鎌倉の頼朝のいる大蔵御所において、ささやかな酒宴が催されていた。

頼朝の次席に坐するのが三河守源範頼。頼朝の異母弟である。
その範頼を囲むように坐するのが足利義兼、武田有義。
さらにその下座に侍所別当和田義盛が坐している。

頼朝は彼らを親しく呼び寄せると励ましとねぎらいの言葉をかけた。

その宴席の翌々日の八月六日、華々しく甲冑姿に身を固めた一団が続々と鎌倉を後にした。
源範頼を総大将とする西国遠征軍が西に向けて旅立っていった。

一方その同日都においてある除目が行われた。
都において頼朝の代官として活動している源義経が検非違使左衛門少尉に任じられた。

時代はまた新たに動き出そうとしていた。

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