将軍、徳川家定薨去-
大老・井伊直弼の専横が目立つ中、遂に巨星・島津斉彬が満を持して最新式軍隊を引き連れて上洛を決意!
が、その斉彬にも暗い影が・・・
と言うような感じで、今回の予告の煽り文をつくってみました。
で、本題。
井伊直弼が大老に就任するに当たり、慶福の次期将軍就任が最早決定したも同然の前回。
家定は井伊直弼に篤姫を慶福の『後見職』に就ける様に提案。勿論ながら、この提案は却下。御台所といえども表面的に女性に職を与えるのはまだ無理な時代でした。
その後、彼は倒れます。
囲碁の石を見つめる家定がとても哀れです。
その報は大奥ではまず本寿院に伝えられます。彼女は篤姫には、その事を伝えぬように御殿医に命じます。
ここでのキーパーソンは徳井優。某引越センターのCMのイメージをまだ引き摺っている徳井さん。篤姫には家定に「障りなく」と伝えます。
が、篤姫は既に「家定が只ならぬ容態になっている事」を察していたのでしょう。
家定が涙する、まさにその時に姫もまた涙するのでした。
家定の病状悪化を待ったかのように井伊直弼は「修好通商条約」を締結。朝廷の許しを得ずに締結した国家反逆罪を老中・堀田に擦り付け罷免させます。
老中・堀田正睦。家光に仕え、家光に殉じた男・堀田正盛の子孫。名君・家光にその能力を見出された男の子孫は、家光の祖父・家康に能力を見出された男の子孫によって徳川幕府から追放されたのでした。
この後、堀田正睦は名誉挽回する機会がなく、1864年に無念の逝去。享年55。(←もう出番がないことを前提に書いてみました。まだ出番があったらスマン)
続いて、慶喜を始めとする一橋派の面々に謹慎・蟄居を命じます。名目は「押しかけ登城の咎」ですが、報復人事といえるでしょう。
そして、出ました!直弼、必殺の呪文「恐れ入り奉ります」。全く心が篭っていません。中村梅雀、悪役が板についてきましたね。
江守が色々と叫んでいましたが、奈良岡さんのナレーションと被った為、何を言っているのか分かりませんでした。残念!
一方、薩摩では。
琉球王子の警護にかこつけて、薩摩の力を井伊に見せ付けるため西洋軍式の兵を整えて上洛を画策します。
しかしながら。
南国の猛暑の下、西洋式の調練を閲覧中に斉彬は倒れます。
もう助かる見込みもなく。
久光に遺言を託し、南の巨星・島津斉彬、昇天。
享年・50。
後に松平慶永は語ります。
「水戸の江守、土佐の山内容堂、佐賀の鍋島閑叟などは遥かに及ばない。実に英雄と称すべき」
欧米列強と対等に渡り合う基礎を築こうとした『英雄』の早すぎる死でした。
江戸で斉彬の死を聞いた篤姫は斉彬から送られた手紙を読みます。
そこには諸侯の英雄ではなく、父としての斉彬として篤姫への“遺言”が書かれていました。
姫は十分に知り尽くした斉彬の親としての情愛を再び噛み締めるのでした。手紙が効果的に使われて純粋に良い演出だと思いました。
そして、不運は続き。
家定薨去の事実を滝山から聞かされます。
30日も前に亡くなっていた家定。
姫の予感は的中していました。
篤姫が駆けつけた時には、もう家定の遺骸は棺の中。
死に目に会えなかった姫の悲しみは推し量る事も出来ません。
琉河的にドラマの演出に「薨去の際の慣習」を採用した事は高評価です。
敢えて家定の臨終シーンを流さない事で、その後の姫の悲しみが際立ったといえるのではないでしょうか。
(常識的に考えると看病をしていたはずの奥女中から容態ぐらいは聞かされていそうなものでが・・・。周囲は敵だらけということで脳内補完。ちなみに奥女中の手にも負えなくなると男手で看病をされていたそうです。人生最期の瞬間に自分を枕元に侍っているのはむさ苦しい男ばかり。将軍にとって嬉しいのか、それ)
以下はあくまでドラマの設定としての家定評ですが。
病がちであった事、先天的な障害の持ち主であったと伝えられている事、阿部正弘・島津斉彬・江守烈公らの名士の影に隠れてしまった事、これらの要因により世間の評価はイマイチだった13代将軍・家定。
彼が本当は有能で先見性に優れていた事は篤姫だけは知っていました。
家定の均衡の取れた政治感覚、そしてその有能さ。
それは家定と篤姫、2人だけの秘密でした。
家定薨去にあたり、その秘密は篤姫だけのものとなったのでした。
次回、「天璋院」誕生。
家定の遺志を継ぐ決意を新たにした篤姫。
彼女の“第二の人生”が始まります。
それにしても、タイトル的に視聴率が取れそうで何よりです。