Tenkuu Cafe - a view from above

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-空から見るからこそ見えてくるものがある-

晴れ渡る皐月の空を飛ぶ (1) - 奥多摩湖

2010-05-03 | 関東



東京から多摩川の渓流を遠く遡って、御岳、氷川を過ぎ鳩ノ巣、数馬、水根峡の奇勝を過ぎると、たたなわる山また山の谷あいのが渓流の岸の断崖の上に点々と危うげな小舎をつらねている。百尺に近いその崖の下には青い淵が静かに泡を浮かべて雲の影を映しているか、または湧きたつ早瀬が岸をかんで滔々と鳴りながら、深い山襞の底をめぐりめぐって真白い曲線を描いている。この山峡のにいては富士も見えず、雲取も大菩薩も望むべくもないが、笠山、前山、後山、その他名も知れぬ傾斜の急な山々が高く四方をかこみ、三頭山の頂きも遠く見えて、黒々と茂った杉や檜の多摩川水源林の間々に六月の緑の雑木林が点々と明るく、甲州に通ずる崖の上の道をハイキングの学生達が前かがみになって、物も言わずに歩いて行く姿を時おり見かけるのが、東京があまり遠くないことを証明する唯一の風景である。
(石川達三著『日蔭の村』より)




5月、まばゆい新緑が山腹を鮮やかに染める。

ここは、首都圏のオアシスとして親しまれている奥多摩湖。
多摩川上流部を小河内(おごうち)ダムによって堰き止めてできた人造湖である。周囲約45km、水道用湖としては日本一の大きさを誇る。
東京都の貴重な水源で、総貯水量1億8000万トン、都民の利用する水の約2割を供給している。


東京市(当時)が将来の人口増加に備え、小河内ダム建設を決めたのは昭和7年。

ほぼ全体が水没する旧小河内村では建設反対の声が高まったが、当時の村長が建設を了承し、村民を説得したという。

村人は将来に不安を感じ仕事が手に付かない。その上、東京市の態度が二転三転し、補償金をもらって村を出るまでに6年もの歳月がかかる。
村人は生活の方向を見失い、山林や田畑は荒れ、借金がかさむ一方。さらに、そこへつけ込んだブローカーが暗躍した。
また反対住民と警察隊が衝突し、流血事件になったともいう。

ダムは32年11月、完成。旧小河内村の集落はほぼ水没し、同村と山梨県小菅村、丹波山村の計945世帯が湖周辺の高台や山梨県の八ケ岳山麓などへ移転。建設工事では87人が殉職した。

作家・石川達三は、1937(昭和12)年から、村々を訪ね歩き、その歴史を『日蔭の村』という小説にした。

ダム建設で、一つの集落が国や自治体に翻弄され、東京の日蔭となって苦悩する村民の姿が克明に描かれている。







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