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-空から見るからこそ見えてくるものがある-

晴れ渡る皐月の空を飛ぶ (6) - 八ヶ岳連峰

2010-05-13 | 中部


中央線の汽車が甲州の釜無谷を抜け出て、信州の高台に上り着くと、まず私たちの眼を喜ばせるのは、広い裾野を拡げた八ヶ岳である。全く広い。そしてその裾野を引きしぼった頭に、ギザギザした岩の峰が並んでいる。八ヶ岳という名はその頭の八つの峰から釆ているというが、麓から仰いで、そんな八つを正確に数えられる人は誰もあるまい。

芙蓉八朶(富士山)、八甲田山、八重岳(屋久島)などのように、山名に「八」の字をつけた例があるが、いずれも漠然と多数を現わしたものと見なせばいいのだろう。克明にその八つを指摘する人もあるが、強いて員数を合わせた感がないでもない。詮索好きな人のために、その八峰と称せられるものを挙げれば、西岳、網笠岳、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、峰ノ松目。

そのうち、阿弥陀岳、赤岳、横岳あたりが中枢で、いずれも二千八百米を抜いている。二千八百米という標高は、富士山と日本アルプス以外には、ここにしかない。わが国では貴重な高さである。この高さがきびしい寒気を呼んで、アルピニストの冬季登山の道場となり、この高さが裸の岩稜地帯を生んで、高山植物の宝庫を作っている。

(深田久弥著『日本百名山』より)





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4 コメント

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Unknown (芋焼酎)
2010-05-15 07:48:02
sogoさん

 おはようございます。

 ご無沙汰しておりました。このところ仕事が多忙であると同時に、休みの日には孫の相手という毎日で、ちょっとグロッキー気味でした。

 しかし、sogoさんのこのブログは毎日しっかりと拝見させていただいておりました。疲れている時に、sogoさんのブログの中の過去の写真をボーっと眺めていると、心が落ち着いてきます。まさに一服の清涼剤です。

 さて、久しぶりの書き込みなので何を書いていいか考えてしまいます。せっかく八ヶ岳の写真があるので、その関連の話をします。

 以前私はここに書き込んだのですが、山の素晴らしさ、楽しさを初めて教えてくれたのが、北「八ヶ岳」だったのです。山好きの友人から誘われて、上ったのが北「八ヶ岳」だったのです。渋の湯から登って、「天狗岳」「高見石」「白駒池」のルートをたどって、「茅野」に降りてくる2泊3日の登山でした。

 これが切っ掛けで、その後も時々八ヶ岳に登る様になりました。結婚して子供が出来てからも、時々八ヶ岳や蓼科方面に遊びに行きました。あの辺りは本当にいいですね。子供がまだ小さい頃、中央高速をユーミンの曲(まさに中央フリーウェイなど)を流しながら走った事がつい最近のように感じられます。大人になった子供たちは今でも荒井時代のユーミンの歌を聴くと、あの当時中央高速に向かう時の高揚感が蘇ってくるそうです。

 数日前に、sogoさんが清里の事について書かれていましたが、その当時行った時は清里だけは異様な感じがして好きになれませんでした。今はかなり良くなったと言うことらしいですが、その当時は芸能人の出店した店が、派手な原色の塗装でお土産を売っており、まるで原宿の竹下通りのようでした。二度と行きたくないと思ったものでした(それでも、その後何度も行っていますが・・・)。

 ただ、本来の清里はsogoさんが書かれているように、心を打たれる歴史を持つ場所なんですよね。ポール・ラッシュやKEEP協会の事をある本で読んで、どうしても清泉寮に行きたくなり、何度か家族で出かけ、そこに宿泊もしました。清泉寮が本来の清里だと思っていました。しかし、まだ小さかった私の子供たちは清泉寮より、清里駅前に点在する派手なお土産屋やお化け屋敷の方が魅力があったらしく、清泉寮に泊まっていても、気持ちは駅前にあったようでした。

 今日は天気が良いので、午前中に、海でビーチコーミングをして、午後は家庭菜園の苗植えをする予定です。

 
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Unknown (sogo)
2010-05-15 22:58:35

芋焼酎さま。

ご無沙汰しております。
いつもご覧いただきありがとうございます。

“八ヶ岳高原”の清々しさや、“北八ツ”の雰囲気の良い森は、私も好きで何度も出かけました。

また学生時代には、清里のペンションで合宿したり、清泉寮のソフトクリームを食べたりした口です!

避暑に出掛ける場所としては最高ですが、
生活するとなると話は別でしょうね。

さて、今回は、ポール・ラッシュ氏ほど知られていない(?) 安池氏をとりあげてみました。

人間が大地に生活するということは、たいへんなことなのです。本当は。

今の時代は、ほとんど考えなくなってしまいましたが…

と自分に言い聞かせています。

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Unknown (芋焼酎)
2010-05-16 07:02:49
おはようございます。

 気持ちのいい朝の、日曜日です。

 数日前の、安池興男氏についてですが、恥ずかしながら全く知識がありませんでした。しかし、sogoさんの紹介文を読んで、心を打たれました。地域のために尽くすとはこんな事を言うのだなーと思いながら読ませていただきました。

 今の時代、大地を「拓く」「開墾」ということが死語となってしまった、という話を新聞で読んだ事があります。その記事は「拓く」や「開墾」とは反対に、農業行政の混乱や国土「開発」という名目で、先祖が塗炭の苦しみの中で、拓いた土地を国に奪い取られていったのが、昭和の時代であったと書いていました。

 ダム建設や空港建設・高速道路建設・新幹線建設・・・・日本中がコンクリートで固められて行こうとする高度経済成長期の日本。そして、それに反対する土地の人々は、日本の至る所で「NO!」の旗を掲げた闘いを展開してきました。

 昭和30年代、熊本県小国町の下筌ダム「蜂の巣城」を築き「暴には暴」という言葉で、地域を守ろうとした「室原氏」。近年では、千葉県三里塚で、先祖から受け継いできた農地を守るために、その先頭に立って闘った「戸村一作氏」・・・。

 何十年、何百年後の、自分たちの子孫に文化、出来事などを継承していくのが「歴史」だという言葉があります。その継承していくものの中に、先祖が苦労して切り開いた「土地」も入るのだと思います。

 安池興男氏の事を読みながら、つい色んな事を考えてしまいました。

 今日も天気が良いので、これから海岸を歩こうと思っています。
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Unknown (sogo)
2010-05-16 11:23:11

芋焼酎さま。

おはようございます。
いつもご覧いただきありがとうございます。

なるほど。そうだったんですね。

その時代の中にいると、なかなか気付かないものですが、
振り返って、過去を眺めてみると、時代(政治)の流れが良くわかります。

そして「権力の犠牲になるのは、いつも弱者」という構図がちらつきます。

「人と土地」との関係は、歴史の大きなテーマなのですね。

貴重なコメントどうもありがとうございました。


さて、この時期、北海道では、ちょうど今、サクラが見頃です。
そして沖縄は、もう梅雨。
つくづく日本列島は南北に長いなと実感します!



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