「霧の子孫たちがやらねばならない仕事はいっぱいあるでしょう。諏訪湖を生き返らせること、諏訪の澄んだ空気を工場の煙でよごされないようにすること。そうね、諏訪だけのことではないは、長野県全体、日本全体の霧の子孫たちが手をつないで、自然を守る運動を起こさないと日本の自然はほんとうに亡びてしまうかもしれないわね」
(新田次郎著『霧の子孫たち』より)
有料道路反対運動に立ち上がったのは、「諏訪の自然と文化を守る会」を主催している考古学者の藤森英一氏、産科婦人科医青木正博氏、諏訪清陵高校理科教師牛山正雄氏であった。
この反対運動は日増しに拡がり、やがて全国的な注目を集めた運動が展開された。
結局、建設自体は覆らなかったが、八島ヶ原湿原と旧御射山遺跡を避ける「南回りルート」に変更された。
遺跡も湿原も一応は守られた。
当時自然破壊の問題は日本各地に起こっており、日に日に日本の自然と文化遺産が観光開発の名のもとに失われて行く中にあって、諏訪市における、この反対運動の成功はたいへん珍しいことであったという。
霧ヶ峰の麓の村、諏訪市角間新田に生まれ育った新田次郎氏は、1970(昭和45)年に、この事件を題材とした小説『霧の子孫たち』を書いた。
氏は、この小説のあとがきで、「霧ケ峰に有料道路が出来、なだらかな起伏が続く大草原が、コンクリートの道路によって分断されたのみならず、その延長路線が、旧御射山遺跡と七島八島の高層湿原地帯を通る予定だと聞かされたときは、身体が震えるほどの怒りを覚えた。なぜ貴重な自然や遺跡を破壊してまで、観光目的の有料道路を造らなければならないのだろうか。私は長野県の方針に疑問を持った」と述べている。
小説『霧の子孫たち』は、自然保護運動の記念碑的作品として読みつがれている。
こんにちは。
久しぶりの書き込みです。
私は、昨日今日と海岸をブラっと散策してきました。天気が今一つはっきりしないのですが、海岸には結構人が集まっていました。
肝心のビーチコーミングですが、私がビーチグラスを見つけるポイントがいくつかあるのですが、それがいつの間にか砂に埋もれて、分からなくなってしまっていました。残念です。
そのポイントと言うのは、満潮時の波打ち際の石だまりで、引き潮の時にはかなり程度のいいビーチグラスが見つかっていましたが、そのポイントが影も形もなくなっていました。少々ショックですが、またそのうち新しいポイントが見つかると思っています。
さて、sogoさんの写真の美ケ原ですが、私はあまり良い思い出がありません。私の家族と友人の家族とで、「アモーレの鐘」を聴きに行こうと出発したまでは良かったのです。しかし、ビーナスラインの通行料金を節約するために、2台の車をやめ、友人の車一台に詰め込み乗車しました。
その時友人の運転が荒く、しかも高原とは言えかなり暑い日で車の中は蒸し風呂状態になってしまい、その結果何人かが車酔いしてしまったのです。私もその内の一人でした。美ケ原高原に着いたものの、気持ち悪く持って行ったお弁当も食べる気にはなりませんでした。それと、高原全体が、何だかフジテレビの色が強く出過ぎて、興ざめしてしまいました。そんな事があり、二度と行く気にはなれず、その後一度も行っていません。
3年前と2年前に2年連続して、すぐ近くの八島湿原を歩いたのですが、その際に妻が「美ケ原に行きたい。」言っても、どうしても行く気にはなれませんでした。何だかトラウマになってしまったようです。
美ケ原自体が素晴らしい所という点においては異論は全くありません。しかし、そんな所に『美術館』(今でもあるのかな?)を作ったりするのが何となく好きになれないのです。同じように箱根やその他の観光地に、やたら美術館や記念館が乱立しているのも、好きではありません。妻は、私の勝手な偏見だと言っていますが・・・。
そんな事を言っても、「八ヶ岳」「蓼科」「諏訪」・・本当に良い所で、とても大好きです。
芋焼酎さま。
こんばんは。
ごぶさたしています。
いつもご覧いただきありがとうございます。
バタバタとしている間に、
新緑の五月も、明日を残すのみとなりました。
ひと雨ごとに、木々の緑が濃くなっていくようです。
芋焼酎さんのビーチコーミング、地道に続けられているので、
美しいビーチグラスがずいぶんたくさん集まったのでは!
美ケ原や霧ヶ峰では、これから6月の中旬にかけてレンゲツツジが山を真っ赤に覆うように咲き始める季節となります。
塩尻にある、高ボッチ山や鉢伏山のレンゲツツジもいいですよ。
白い霧と緑の草原、そしてオレンジ色の花の風景が、目に浮かびます。