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-空から見るからこそ見えてくるものがある-

春、列島を横断する (14) - 三陸海岸沖上空

2011-05-21 | 東北




鳥たちがどこから来たのか、なぜ、こんな小さな沼を長い冬の居場所として選んだのかわからぬが、旅の途中、力つきて飢え、死んだものもいるだろう。
「この鳥も」侍は眼をしばたたいて呟いた。「ひろい海を渡り、あまたの国を見たのであろうな」与蔵は両手を膝の上に組みあわせ、水面をみつめていた。
「思えば・・・長い旅であった」
言葉はそれで途切れた。この言葉を呟いた時、侍は与蔵にもう何も言うべきことはないように思えた。辛かったのは旅だけではなかった。自分の過去も、与蔵の過去も、同じように辛い人生の連続だったと侍は言いたかった。
風が吹き、沼の陽のさす水面に小波が動くと、鴨もしらどりも向きを変えて静かに移動し始めた。うつむいた与蔵が眼をかたくつぶり、万感の思いを怺えているのが侍にはよくわかった。彼にはこの忠実な下男の横顔がふと、あの男に似ているようにさえ感じ思われた。あの男も与蔵のほうに首を垂れ、すべてを怺えているようだった。「その人、我等のかたわらにまします。そのひと、我等が苦患の嘆きに耳をかたむけ・・・」与蔵は昔も今も侍を決して見棄てなかった。侍の影のようにあとを従いてきてくれた。そして主人の苦しみに一言も口をはさまなかった。
「俺は形ばかりで切支丹になったと思うてきた。今でもその気持ちは変わらぬ。だが御政道の何かを知ってから、時折、あの男のことを考える。なぜ、あの国々ではどの家にもあの男のあわれな像が置かれているのか、わかった気さえする。人間の心のどこかには、生涯、共にいてくれるもの、裏切らぬもの、離れぬものを―たとえ、それが病みほうけた犬でもいい―求める願いがあるのだな。あの男は人間にとってそのようなあわれな犬になってくれたのだ」
自分に言いきかせるように侍は繰りかえした。
「そう、あの男はともにいてくれる犬になってくれたのだ。テカリの沼であの日本人が書いた紙にこう書いてあった。あの男が生前、その仲間にこう申した、と。おのれは人に仕えるためにこの世に生まれ参った、と」
この時、うつむいていた与蔵がはじめて顔をあげた。そして今主人の言葉を噛みしめるように沼に眼をむけた。
「信心しておるのか、切支丹を」
と侍は小さな声でたずねた。
「はい」
と与蔵は答えた。
「人には申すなよ」
与蔵はうなずいた。
「春になればな、渡り鳥はここから去るが、我等は生涯、谷戸からは離れられぬ」侍は話題を変えるために笑い声をわざとまじえ、「谷戸は我らの生き場所ぞ」
あまたの国を歩いた。大きな海も横切った。それなのに結局、自分が戻ってきたのは土地が痩せ、貧しい村しかないここだという実感が今更のように胸にこみあげてくる。それでいいのだと侍は思う。ひろい世界、あまたの国、大きな海。だが人間はどこでも変わりなかった。どこにも争いがあり、駆引きや術策が働いていた。それは殿のお城のなかでもベラスコたちの生きる宗門世界でも同じだった。侍は自分が観たのは、あまたの土地、あまたの国、あまたの町ではなく、結局は人間のどうにもならぬ宿業だと思った。そしてその人間の宿業上にあの痩せこけた醜い男が手足を釘づけにされて首を垂れていた。「我等、悲しみの谷に泪して御身にすがり奉る」テカリの修道士はその書き物の最後にそんな言葉を書いていた。このあわれな谷戸とひろい世界とはどこが違うのだろう。谷戸は世界であり、自分たちなのだと侍は与蔵に語りたかった。うまく言えなかった。

(遠藤周作著『侍』より)










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