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春、列島を横断する (12) - 石巻港

2011-05-14 | 東北



五月五日、牡鹿の小さな港、月の浦を出港。日本人たちが「ムツ丸」と称し、エスパニア人の船員たちが、「サン・フアン・バプティスタ」と呼ぶこのガレオン船は、つめたい太平洋を北東に向かってゆれながら進んでいる。弓なりに帆はふくらんでいる。出向の朝、私は甲板で、十年間、住みなれた日本の島々をいつまでもながめた。      (遠藤周作著 『侍』 より)







今から約400年前、江戸時代初頭、仙台藩の「侍」が藩主伊達政宗の命令で太平洋と大西洋を渡りスペイン、ローマへ向かった。

彼の名前は、支倉六右衛門常長。


宮城県石巻 (牡鹿半島)で建造したガレオン船「サン・フアン・バブティスタ号」で慶長18年9月15日(1613年10月28日)に月ノ浦を出帆し、ヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)太平洋岸のアカプルコへ向かった。アカプルコから陸路大西洋岸のベラクルスに、ベラクルスから大西洋を渡りエスパーニャ経由でローマに至った。

宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を正使、常長は副使として、率いたこの使節は「慶長遣欧使節」と呼ばれている。



Hasekura Rokuemon Tsunenaga was a Japanese samurai and retainer of Date Masamune, the daimyo of Sendai.

In the years 1613 through 1620, Hasekura headed a diplomatic mission to the Vatican in Rome, traveling through New Spain (arriving in Acapulco and departing from Veracruz) and visiting various ports-of-call in Europe.

This historic mission is called the Keichō Embassy , and follows the Tenshō embassy of 1582.


He is conventionally considered the first Japanese ambassador in the Americas and in Europe.









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