米国の東インド艦隊司令官、ペリーの来航を機に、欧米列強からの圧力が強まり、開港した函館。
開港は西洋文明の流入と同時に、外国の脅威ももたらした。
その象徴ともいえるのが、1864年に江戸幕府が北方警備の拠点として建造した城郭、「五稜郭」だ。
設計は伊予大洲藩出身の蘭学者、武田斐三郎(あやさぶろう)。
5つの稜が星型に突き出した城塞であったため「五稜郭」と名付けられた。
将軍慶喜、大政奉還の後、明治元年(1868)、五稜郭は明治新政府に接収されて箱館府となるが、それもわずか半年、旧幕府の海軍副総裁榎本武揚は1868年8月、「開陽丸」以下8隻の旧幕府艦隊を率いて江戸湾を脱走。旧幕臣の新天地を蝦夷地に求めて10月25日に箱館と五稜郭を占領した。
そして12月15日、五稜郭において榎本武揚らは「蝦夷共和国」を発足させた。
榎本武揚が総裁となり、旧幕臣の大鳥圭介は陸軍奉行に、新撰組副長だった土方歳三は陸軍奉行並に任じられるなど、アメリカの制度に倣って閣僚は、国内初の公選入札、つまり選挙で選ばれた。
しかし、新政府軍は翌年、海と陸から、大軍を派遣し、箱館と五稜郭に総攻撃を開始した。
圧倒的な兵力の前になすすべもなく、土方歳三が討死したのをはじめ、脱走者が続出し、5月18日に榎本武揚はついに開城降伏した。
この箱館戦争によって鳥羽・伏見の戦いに始まった戊辰戦争は終わりを告げることになる。
「蝦夷共和国」は消滅。その政権の存在期間はわずか5ヶ月間だった。
その五稜郭跡では現在、函館市による五稜郭の本陣だった箱館奉行所の復元工事が進められている。
開港は西洋文明の流入と同時に、外国の脅威ももたらした。
その象徴ともいえるのが、1864年に江戸幕府が北方警備の拠点として建造した城郭、「五稜郭」だ。
設計は伊予大洲藩出身の蘭学者、武田斐三郎(あやさぶろう)。
5つの稜が星型に突き出した城塞であったため「五稜郭」と名付けられた。
将軍慶喜、大政奉還の後、明治元年(1868)、五稜郭は明治新政府に接収されて箱館府となるが、それもわずか半年、旧幕府の海軍副総裁榎本武揚は1868年8月、「開陽丸」以下8隻の旧幕府艦隊を率いて江戸湾を脱走。旧幕臣の新天地を蝦夷地に求めて10月25日に箱館と五稜郭を占領した。
そして12月15日、五稜郭において榎本武揚らは「蝦夷共和国」を発足させた。
榎本武揚が総裁となり、旧幕臣の大鳥圭介は陸軍奉行に、新撰組副長だった土方歳三は陸軍奉行並に任じられるなど、アメリカの制度に倣って閣僚は、国内初の公選入札、つまり選挙で選ばれた。
しかし、新政府軍は翌年、海と陸から、大軍を派遣し、箱館と五稜郭に総攻撃を開始した。
圧倒的な兵力の前になすすべもなく、土方歳三が討死したのをはじめ、脱走者が続出し、5月18日に榎本武揚はついに開城降伏した。
この箱館戦争によって鳥羽・伏見の戦いに始まった戊辰戦争は終わりを告げることになる。
「蝦夷共和国」は消滅。その政権の存在期間はわずか5ヶ月間だった。
その五稜郭跡では現在、函館市による五稜郭の本陣だった箱館奉行所の復元工事が進められている。
こんばんは。
五稜郭の航空写真、見事ですね。思わず見とれてしまいました。これって、本当に飛行機から撮影されたのでしょうか?まるで、ヘリコプターから至近距離から撮影した写真のようです。すごい写真に驚きました。
さて、五稜郭での戦いは江戸時代末期と言え、侍の時代です。刀を腰につけて武士が街中を闊歩していた時代です。それが、まるで近代戦のような、銃火器を駆使した戦いが展開されたとは・・・いまだに信じられません。
私は、幕末については高校時代の日本史の授業と司馬遼太郎から得たち知識くらいしか持っていません。所謂、司馬史観にどっぷりつかっていると言っても過言ではありません。五稜郭での戦いについて色々と述べたいのですが、よく考えたら司馬から得た知識の受け売りでしかないことに気付きました。情けないですね。
話を洞爺丸台風に戻させて下さい。明日9月26日は洞爺丸台風と未曾有の被害が出た伊勢湾台風の日です。洞爺丸台風、伊勢湾台風という歴史に残る台風による大災害の日が同じ9月26日だったとは・・・・ちょっとびっくりしました。
おはようございます。
いつもご覧いただきありがとうございます。
本日、9月26日。
あの「洞爺丸台風」と「伊勢湾台風」が、同じ日に日本を襲ったとは、全く気がつきませんでした。
台風の多い時期とはいえ、妙な一致で驚きました!。
ともかく今年の9月26日は、全国的に天気が良くて一安心です。
「函館五稜郭」は、以前から狙っていた被写体です。
(高度を更に上げると、完璧な五角形をしていて驚きます!当たり前か?技術者ってすごいですね。)
古墳や城、湖など巨大なものは、上空から見て初めてその全貌が見えてくるので感動です。
また、たとえば海などは、見る視点を変えるとともに、その色が刻々と変化していきます。
山の形なども、見る角度が変われば、全く別の山のように見えてきます。(富士山は例外)
歴史的な事象も、これと似たようなところがあるのかもしれません。
いろいろな見方があるのでしょうね。それを見る人によって…
“司馬史観”って不思議と引き込まれていきますネ。
いろいろ教えてください!